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新しい年

 2019-01-01
新年あけましておめでとうございます。


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昨日急に思い立ちどこへ行こうか調べて、初日の出を見に出かけました。
葛西臨海公園、かなりの人が集まっていました。雲に隠れて出そうで出ない初日の出に「出た?出てる?」という声があちこちから聞こえてきました。ようやく見え始めた時の光と暖かさ、見ている人の嬉しさを自分のそれと一緒に感じながら、来て良かった…と心から思いました。

初日の出を見に出かけたのは、「今年はきっと良い年になる」と少し前からそう思っていて、それを確かなものにしたいと思ったのです。決意表明?みたいなことかな。おひさまの前でそれをやってみたかった。わたしを明るい暖かい方へ導いて下さいとお願いできました(^^)。

いつものように見通しとか心当たりは無いのですが、「良いことがある」とこんなにハッキリと決めたことはこれまでありません。これからいつもそのように思っていれば、きっとそうなっていくでしょう。日常の中の小さなことの中で、心が嬉しさや喜びや、安心ややすらぎを感じるものを選んで、積み重ねて行きたいです。

努力や頑張りも時には必要かもしれませんが、無理やりにではなく自然にそれができるように上手にわたしを仕向けてあげられたらなと思います。なかなか難しそうですが、やってみる価値はありますね。

今年がみなさんにとって、穏やかで幸せな一年でありますように。



今年を振り返り

 2018-12-31
今年も残り数時間となりました。どんな1年だったかなぁと数日頭の中で振り返っていましたが、淡々と毎日を過ごしてきた印象で、あまり良いことが浮かびませんでした。

ヴァイオリンを始めてから、毎年人前で弾く機会をつくってきましたが、今年はそれがありませんでした。先生のところは発表会はないので自主的に何かしなければこうなるので、こちらが普通なのかもしれません。わたしにとっては消極的な意味合いですが新しいことですね…。

自分の決めた日にレッスンへ行く。そのための課題を練習する。仕事で弾けない日があると忘れてしまってまたやり直す。手や肩の調子が良くないとあまり頑張れない。そんなことを繰り返していました。仕事が忙しくても調子が良くなくてもやるときには会でもなんでもやるので、それが理由ではありません。誰かの前でヴァイオリンを弾くことは、今までもノリノリでやりたい!と思ってやっていたのではなく、自分を奮い立たせて頑張ってというのが正直なところなので、ただそれをしなかったというだけ、かな。

表立った成果は無かったかもしれませんが、自分の中では少し変化してきたところがあって、以前のようにギリギリと自分を頑張らせたり、いじめたりしなくなってきました(笑)。なるべくゆっくりゆったりする時間を取って、家で好きなものを作って食べたり、花を可愛がったり、肌触りの良いものを着たり。日常の幸せ度は少しずつアップしつつあります。

今年、初めてヨーロッパに旅行へ行って、その後放送大学で学び始めました。自分がしてきた舞台の仕事やヴァイオリンについてこれまでと違った角度から見てみることで、経験と知識が結びついて立体的に感じられる面白さや、新しい発見をしています。こうしてみると、今年は熟成期間のようなものだったのかなぁと思います。

今月になって相棒くん(ヴァイオリン)を調整してもらい、弓も整備して、かなり音が変わって戸惑っていますが、これを転機にだんだん良くなっていきたいと思っています。本当に、そうなっていくことを期待しています!

今の気持ちは穏やかで、でもちょっと疲れていて、お昼寝したいような気分です(笑)。お昼におそばを食べて、同居人の息子氏は仕事へ出かけ(今日は泊まり)、わたしはこれから一人でちょっとドキドキしながら(楽しめるかどうか心配…)、ライブハウスへ出かけてきます。

ではまた来年!(たぶん明日更新します、笑) みなさま良い年をお迎えください。


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自分の知らない自分に出会った

 2018-11-05
第一声でビックリして、エレキギターの音をどうしてか「懐かしい…」と感じて、その後、歌を聞きながら涙が出てきてしまった。全く予想外の展開に、自分の知らない自分に出会った気がしました。遠くに住む友人の勧めで一人で出かけたライブで、初めて見るお目当てではなかったゲストの人にすっかりやられてしまいました。

「わたしが思っているわたし」の範囲はとても限られているけれど、実際にはそんな中では収まらない。それなのに自分の知っている範囲に何とか収めようとするから苦しくなるのかもしれません。自分を制限する自分から自由になりたい…。前から何度も思っていますが、久しぶりにまたここに戻って来ました。

わたしが、芸術を特別なものにしておきたくて、それに行き詰まりを感じていて、自分にも行き詰まりを感じているのです、きっと。予想外なぜんぜん違う自分に出会って、もっと自分の感性に素直になりたいと思ったのです。これまで自分を縛ってきたギチギチした枠を捨てて。


週末の仕事が終わったら、特段何も解決していないのにすっきりとした気持ちになりました。久しぶりにオーケストラでの「白鳥の湖」を聴いてきたからか、やはり相棒くん(いつものヴァイオリン)は、妹ちゃん(もうひとつのヴァイオリン)よりも格段に良い音がしているのが、ハッキリと分りました。

余計なことは考えずに、目の前にあることに取り組む中で自分を伸び伸びする方向に仕向けて行きたい。実際にはやらなければならないことに埋没してしまいそうだけど、そうならないように。



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「先生のわたし」と「教わるわたし」

 2018-07-17
以前から、自分が自分自身の名コーチや名教師になって、上手に練習できるようになだめたりおだてたりして導いてあげられたらなぁ…と思っていました。厳し目の言葉掛けで辛く当たることはついやってしまうので、そっちのキャラは間に合ってます(笑)。

自分を自分で育てなおす。
そう考えた時に、「育ててもらうわたし」は小学3年生くらいの感じかな。ヴァイオリンで小学3年生では遅いかもしれないけれど(実際にヴァイオリンを始めたのは42歳だから相当遅いです、笑)、バレエではそのくらいからしっかりやれば良いと思う。人から言われたことが理解できて、どうすれば良いのか自分で考えられるようになる年齢だと、自分を振り返って思います。

どんなふうに教え育ててもらいたいかな…と考えたら、小学3年生くらいから指導してもらったバレエの先生は、とても厳しかったけれど本当に良い先生でした。自分で感じる、考えるように仕向けられ、やる気のある生徒にはそれを活かせるような環境を与えてくれました。

ヴァイオリンだったら、どんなふうに教えてもらいたいかな…と思い浮かんだ言葉は、ヴァイオリンを始めてからずっと教えてもらっている先生にも言われていることでした。結局ですね、先生が言っていることを自分のフィルターを通して受け取っているので、そのままの言葉で伝わってきていないのかもしれません。先生はきっと教える相手ひとりひとりに合わせて言葉の選び方を変えていると思うけれど、わたしに必要なことをわたしが言って欲しい言葉で言ってくれているのではと、今更ながら思います。

それを改めて幼いわたしに言ってあげて、受け取るわたしは心をまっさらにしてそれを「はい!」と聞く。わたしはこれから育てなおす幼いわたしにどんなふうになってもらいたいと思うのだろう?そう文字を打ちながらすぐに答えが頭の中に浮かびました。持って生まれたその種を、存分に葉を育て茎を伸ばして花を咲かせて欲しい。そのお手伝いができたら嬉しい。

そのためにわたしがしてあげられることは何かな。これはヴァイオリンに限ったことだけでなく、上手くいかない時、思うようにできない時は?←またこのところそんな毎日なので、しばらくは落ち込まないようにサボらせないように、ちょっと手間が掛かるけれど優しく見守ってあげます。


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暑い中ミニバラちゃんが咲いてくれました。小学3年生のわたしはこんな感じかな。



プライベートな素のわたし

 2018-06-11
わたしは大抵、いつでも誰といても「○○なわたし」として振舞っていて、それはたぶん、自分が「こういう人でありたい」ということの現れなんだろうと思います。その意識が強いので、そうでない時は滅多にありません。一緒に居る人のことを全然考えられなくなっている余裕のない時とか、頭がカラッポになっている時だけ、本当に素のわたしになってしまうらしい。それはとってもプライベートな姿です。

この前の入院中のリハビリの、かなり年下の女性の先生の目に映ったわたしの姿は、普段の自分とは全然違ったみたい。わたしとしてはとっても真面目にやっているつもりなのだけど、肩を動かす怖さと葛藤する姿がとても頼りなさそうで愛らしく見えたようです。普段そういうキャラではないのでとてもビックリ!意外でした。その先生にはその後もずーっと、わたしがそういう人に見えたままだったようです。

別の日には、シャワーの後でナースステーションにドライヤーを借りに行ったら、看護師さんに「可愛い♪」と言われて、自分では何も考えず油断しまくっていた時だったのでまたビックリしました。

え~、何だか調子狂っちゃいます。自分のことを愛らしいとか可愛いと言いたいのではないのです。普段の、ちゃんとした大人の人でいようとしている時よりも、たまたま現れてしまった素のわたしの方が愛らしい人間に見えるというのが、不思議で予想外だったのです。

今までいつも「大人なわたし」とか「きちんとした人」でいることが良いと思ってそうしていたけれど、そうでない自分でも受け入れられる。もっと素のままの自分でいても良いのかもしれないな。ピンチの時だけでなく、そういう姿でいる方が余計な力が抜けて楽なはず。

「誰かとの間で期待されるようなわたし」としてではなく、「自分自身に期待されるようなわたし」としてでもなく、ただこのままでいる「プライベートな素のわたし」の範囲を少しずつ広げていこうと思います。



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