エアヴァイオリン再び

 2014-12-23
エアヴァイオリンで思いっきり好きなように弾いたらどうか、と
ご自身のライブにわたしを誘ってくれたソングレターアーティストの安達さんが言いました。

先生からも以前から事あるごとに
ヴァイオリンを持たない練習を提案していただいていました。
「ヴァイオリンを弾く動きをバレエの動きに置き換えて(^^)」
「頭の中で曲に振り付けをして(^^)」と言われることもあります。

目の前のことで手一杯だったり、身体の動きがイマイチだったりして
一時のことになってしまっていたけれど、これはわたしにとって最重要事項だったのですよ。
思い出させてくださってありがとうございます。

けれどヴァイオリンを持たないと、どうしたら良いか分からないので(笑)
ヴァイオリンを持って、自分の気持ちと身体が一番解放される構え方を探しています。
それが一番良い音が出るに違いないし、
わたしが一番美しく見える姿に違いないと思うのです。

どんな見てくれでも、その人なりの美しさが必ずあるに違いなく、
それはその人らしさが何の妨げも作為もなく、ただ内側から湧いて出るもの。
だからきっとわたしにもそういうものがあるのでは?
そういう姿でヴァイオリンを弾いてみたいのです。

まだ試し始めたばかりで、全然うまく弾けません。
ヴァイオリン弾くことだけに集中しても満足に弾けていないのだから、当然ですね。
でも、やります。

今日は劇場へバラシのお手伝いへ。
開演前の心地良い緊張感の空気を吸って、出番の終わったセットや小道具を片付けます。
毎年関わっている公演だけど、今年はサポート役にまわしてもらいました。
久しぶりにボスの背中。んー、嫌いじゃないな(笑)



わたしの本筋

 2014-12-22
少し忙しくしていました。
日常のことだけでなく、心の中でもいろいろと思うことがありました。

世の中には人それぞれに担当があって、
それは仕事とか立場という枠を超えたもっと大きなくくりなのだと思います。
自分の担当分野は何なのか分かっていたはずなのに、
また迷走していたことに気が付きました。(分かっているのにやめられない…)

半年に一度くらい、こういう見直しの機会に恵まれてその度に愕然とするけれど、
心の奥の方では本当は気が付いていたことなので、認めるしかありませんね。

わたしはやっぱり自分が本当に好きなことに、
あれこれ考えずに、ただ進んでいくのが本筋です。
上手いか下手か、それが仕事かそうでないか、そういうことに関係なく、
自分がやりたいようにヴァイオリンを弾くのが、今のわたしの本筋。

こう書いて、いつもながらちょっと頭おかしいんじゃないか?とも思うけれど、
そういう人なのだから仕方がない。

こんな便利なところに住む家があって、時々好きな仕事もさせてもらって、
もちろん色々ないきさつでこうなっているのは知っているけれど、
わたしは宇宙に養ってもらっているんだな~と脳天気に思っている方が、きっとすべて上手くいく。

先日いただいたコメントに
「音楽家でもダンサーでもないけれど、舞台人だというヘンな自負があります。」と書きました。
何気なく出てきた言葉だったけれど、改めてそうなんだなぁ…と認識しました。

舞台の仕事に行けば、それはそれでまた中途半端な自分を発見するのだけれど、
だからこそ、わたしは「裏方」という枠に限定されないものなのだ、なんて思うのです。

そんなことを考えていたら、
「あの楽器が、何のためにあなたの手元にあると思う?」
という言葉が胸の中に湧いてきました。

そうだね。
あの相棒くんは、まるで「これを選べ」と言っているように、
間違いようがないくらい分かりやすい状況でわたしの目の前に差し出されたのでした。

これから一緒に何をするのだろう?どんな場所で弾くのだろう?
どんな演奏になっていくのだろう?

ちょっとこわいような気もするけれど、楽しみです。


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動きをイメージして弾くと…

 2014-07-25
ヴァイオリンへの取り組み方に、音から入る方法と、形から入る方法が考えられるそうです。
わたしは体の動きについてのイメージをたくさん持っているようなので、
格好から入る方が上手くいくのではないかと、先回のレッスンで先生から提案がありました。

ただのロングトーンの練習でも、先生が言うことを体の動きのイメージに置き換えて音を出すと、
なぜそうなるのかは分からないけれど、いつもとは違った密度のある音が出てきます。

この前弾いたテレマンも、
「バレエの振り付けをするとどうなるか、音ではなく動きのイメージでできますか(^^)」
と言われて弾いてみると、
「この前の演奏よりも今の方が、はるかにこの曲らしくなっています。(^^)」
確かに録音を聴いてみると、とても大きく、表情のある音楽になっています。

「自分では何が違ってこうなるのか、分かりません。不思議です…。」
「ぜんぜん違う音がしていますよ(^^)。具体的に違っているのは音の長さ、音量の変化です(^^)」

動きをイメージすることで、それがわたしの体の動きに移って、
ヴァイオリンを弾く動作に変換されて音が変わってくるのだと思います。
少しだけれど、そういうことができるところへやってきたのだ…と、今これを書きながら思いました。

「気持ちだけ入っていればそれっぽく聴こえる、と言うのとは違うこと(^^)」だそうですが、
自分でやっておきながら、謎です…。

「ヴァイオリニストは弾きながらいろんな動きをしているけれど、あれは何でしょう?」と質問したところ、
「あれは、あの音を出すために必要な動きなんです(^^)」とのことでした。
曲から受ける印象を動きのイメージに変えてから弾くことで
良い音にしようとするわたしとは逆ですが、
やがては音のための動きに変わっていくのだろうと思います。

Youtube で見ても、人によってさまざまな動き方で個性的です。
女性ヴァイオリニストは美しい人がたくさんいるけれど、
演奏する動きという観点からすると、自分の好みに合う人はあまり見つかりません。
見た感じが濃厚な感じの人は苦手だな…なんて思っていたら、素敵な演奏を見つけました。




自分とは容姿が全く違いますが…。

わたしがいつかできるようになりたい「踊るように弾く」というのはこういう演奏です。
あ、この曲が弾けるようになりたいというのとは違いますよ。



朗読とヴァイオリンで見える景色

 2014-05-12
友人の木下沢きのこさんの朗読に合わせてヴァイオリンを弾きたい…
という思いつきを現実のものにするために、日々練習をしています。
詳しい経緯はこちら → 妄想を計画に

本のページをゆっくりめくっていくように、時間と共に流れていく雲のように…、
きのこさんの声の後ろで、わたし、そんなものになりたい…。
そういう妄想からこれは始まりました。

けれど、いざ楽譜を目の前にしてヴァイオリン持って弾き始めると、
とたんにそういう思いはどこかに消えてしまって、
音符が並んでいる通りに、弓を持って弦をこするという現実的な作業にすり替わってしまいます。

その作業(笑)はわたしにとって充分に難しいものです。
選曲の時点で、自分が弾くのに不可能ではないと思えるものを選んではいますが、
そこそこにでも弾けるようになるためには、まだまだ時間がかかりそうです。

先日のレッスンで先生から
「コソコソした演奏ではなく、ハッタリでも良いのでスケールの大きい演奏で。(^^)」
「広々とした優雅でエレガントな動きをしているかという観点で。(^^)」
「ヴァイオリンの場合は動きがそのまま音になるので優雅な動きをすると優雅な音が出ます。(^^)」
と言われました。

「音楽が(朗読の)添えものという感じではなくて、
音楽を含めた景色が見えているような感じがいいです。(^^)」
「テープレコーダーで流すのとナマとの違いは、そこにあると思いますので。(^^)」

こう言ってもらい、自分がやりたいことを思い出させてもらえました。
わたしの頭の中にある妄想を、自分の身体とヴァイオリンを通して外に出したい。
きのこさんの朗読とわたしのヴァイオリンがつくる景色を見てみたい…。

作業に熱中してしまいそうになったら、先生のこの言葉を思い出すことにします。

朗読とヴァイオリンの会、7月に決まりました。
会場を予約したりして、まだほんの少しずつですが妄想が現実に近づき始めています!



ヴァイオリンを通してやりたいこと

 2014-04-30
お久しぶりになってしまいました。
勉強のために出かけたり、各種お仕事(笑)があったり、喫茶店でお金磨きしたり、
ついでに体調崩したりして(肋骨もまだ痛い…)、忙しく過ごしていました。
通院での点滴の治療も今日で無事に終わりました。

そしてヴァイオリンの練習が全くできなくて…、ようやく今日から再開です。
ヴァイオリン練習できない時に感じる罪悪感は何なのだろう?
できないなら「練習できません。以上、終わり。」でいいのに。

自分が幸せを感じるのはどんな時か?
いつもそんな事を考えています。
美しいヴァイオリンの曲を聴いている時。
自分でも呆れるくらい簡単に、最上の幸せな気分になります。
気持ちがテロテロに溶けて、天国へ行った気分。

練習していると苦しくなったり、聴くと幸せになったり…、
どうしてかは分からないけれど、ヴァイオリンは私にとって何か特別なものです。

「踊るように、歌うように、遊ぶようにヴァイオリンを弾くこと」
わたしがヴァイオリンでやりたいことです。
それがどういうことなのか、改めて考えてみたら、
聴いている人にどう聞こえるかではなくて、
弾いているわたし自身が、感じているままをヴァイオリンを通して音にしたいということ。

でもそれをやるには技術がないとできないので、そのために練習をしているんだな…。
それを思えば練習は修行ではなくて、わたしの望みをかなえる方法のひとつ。
すっかり忘れて練習はただの修行のように感じていました。

「きちんと・正しく弾きたい」という自分の中の強力な自我先生を突破して
好き勝手に自分の思うままに弾きたい。
そうした時に、美しい音楽が自分のヴァイオリンから出てくるのが望みです。
40過ぎてヴァイオリンを始めたわたしには分不相応な望みだと分かっているけれど、取り下げません。

朝からいろいろ考えていたら、自分の「魂の欲求」みたいなのに触れてしまったようで
また、電車の中で目の前がにじんで来てしまいました。
あ、いけない…と思って、今日は2駅くらいでおさまりました。

朝っぱらから大のおとなが恥ずかしい…。



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