堂々とした振りではなく

 2016-01-26
小動物系を卒業して堂々としたヴァイオリンらしい立派な演奏にするには…。

格好だけそうしようとすることはとってもウソっぽくて(笑)、そう思うとかえって逆効果。
やっぱり「私が!私が!」というのは苦手ですぅ…。

母には「バレエの時にはもっと堂々としていた」と言われました。
確かにヴァイオリンに比べたら、キャリアもあるしそれなりに育っていたとは思うけれど、
たかが13、4歳の頃の自分と比べられてそんなふうに言われるの、不本意だな。
バレエの先生にはやっぱり今のように「遠慮っぽい」と言われていたし。

いつ辿りつくかは未定だけれど、最後には自我的ではない演奏を目指すのだったら、
「私が!私が!」の時期をショートカットすることはできないでしょうか。(笑)

自分がやりたい演奏に、もっともっともーっと真っ直ぐに向かって弾いたら、
堂々とした振りをしなくても、そんな音が出るのでは?

今のわたしは、恥ずかしさがあったり、まだまだ自分を表現することにためらいがあったり、
自分の少ない見積もりに自分を合わせようとしているようなところがあり、
それを自分でやっておきながらもどかしさを感じています。
本当はもっと違うんだ。

もっと堂々と弾くべきと言う先生も母も、
本当のわたしはもっと違うはずだと思ってくれるからそう言ってくれるのでしょう。
嬉しいことですね。

実際に弾こうとすると、いろいろできないことがあってそれどころじゃない現状だけど、
いえいえ、それこそがいつでもどんな時でも真っ先にやることなんじゃない?

書いているそばから頭の中でたくさん言い訳が…。
でも、どうしたらいいのか分かっているなら少しずつでも。
アクセルとブレーキを同時に踏むのはもう止めます。

(あっ、言い切った…。)



妄想世界で弾いています

 2015-12-17
先日、練習の録音をyoutubeにしたら、これまでよりも客観的に聴けるようになって、
またもや「あ~」とか「う~」とか落ち込んでいました。

頭の中での妄想と、実際に自分ができることがあまりにもかけ離れている。
色んなことを分かっているようなことを言っても、ただ「思うだけの人」なんだな…。ガックリ…。
いつもはそれでもしばらく放っておけば直るのだけど、それがなかなか…。

昨夜、先日の会の写真が届きました。
見ていたら、とても緊張していたことやそれでも幸せな気持になったことを思い出しました。
上手く弾けないところはあっても、あの日、あそこであの曲を弾けることはとっても嬉しかったのです。

自分じゃないような、良い写真がいくつかありました。

アンサンブル初心者合奏会♪第三回発表会151206_241 (調子に乗って出してます、笑)


人さまの前で演奏するのに、こんな顔して弾いてたなんて思いませんでした。
緊張していたし、指の位置を見ると曲の後半で、弓が震えていた箇所です。

自分のことながら、すごく幸せそうに平和そうに見えます。
(実際は弾きながら色々なことが頭を駆け巡っているけど…笑)

ヴァイオリンを始めた頃「演奏家さんのような美しく正しい演奏がしたい」と思う一方で、
「ナリフリ構わず、どんな音が出てもお構いなしに、人さまの前で自分の世界に没頭して弾く人になりたい」
という、少し変わった望みを持っていました。

人にどう思われるか気になるわたしには、到底できない単なる憧れ…の願望でした。
でもこの写真を見ると、ちょっとそれっぽくない???

写真だけ見て音を聴かなければ、なんだか上手そうだし、
自分の世界に没頭しているように見えます!
わたしの願望、もしかして叶っていたかもしれません。

すっかり立ち直りました。(笑)
良くできたかもと思った練習の演奏でも、改めて聴くと未熟さにガックリはします。
でも本番で、妄想の世界の中で弾くことが少しでもできていたなら合格です。
(わたしの判定基準です、笑)

わたしの良いところは、イメージが膨らんで頭の中で妄想できること。
それを見た目で少し表現できたかもしれません。
あとはそれをヴァイオリンで音にすることです。

今では「自分の世界に没頭して美しい音で弾く」という目標になっています。
またハードル上がってる…。
でも、それができたら本当に幸せだろうな~。



心の震えが伝わる(^^;

 2015-12-12
誰かの前でヴァイオリンを弾く時には、
自分の胸の内にある大切なことを打ち明けるような気持ちでいます。

心の内を伝えるのは、嬉しいような恥ずかしいような、
聴いて欲しいけれど聴いて欲しくない、でもやっぱり聴いて欲しい…というような。
(面倒くさい人です、笑)

そういうときには心が震えていて、弓も震えて、時には足も震えます。
でもその心の震えが音に乗って届き、
未熟な演奏でも誰かに何かが伝わるのかもしれないなぁ…と思います。
弓の震えは伝わっちゃ困るけど。

先日の「The First Noel」(まきびとしつじを)の演奏、
弾いているわたしは幸せを感じながらも、音はあんなことやこんなことがあり…。
前日の練習の録音だったら大丈夫なのではないか?と思いました。

良かったら聴いて下さい。





ある人がこんな言葉を教えてくれました。
「たった一人にでも心に響く歌が歌えたら天命を生きていることになる。」

わたしには「いつも涙が出そうになる」と言ってくれる、ありがたい友人がいます。
天命を生きさせてくれてありがとう。

音痴だなぁ…とか、弓が…とか、いろいろと思うことはありますが、
わたしにとって大切な曲になったので、その記録です。
あとで、「ああ、あの頃はヘタクソだったなぁ~」と
上手になったわたしが思える日が来ることを願います。



呼吸しながら弾く

 2015-11-26
「呼吸しながら弾く」って当たり前のことですが。
習い始めた頃、良く先生に「息、してますか?(^^)。」と言われていました。

左肩の都合で楽器の構え方を少し変えてから、弾きながら息をしている!と自分で分かります。
(The First Noel を弾いている時限定ですが)
構え方は肩に大丈夫な範囲で、だんだん普通っぽく戻ってきているようだけど。あれ?(笑)

体幹の力の入れ具合が踊る時に似てきて、腹式呼吸になっているかもしれません。
正確に言うと、お腹に空気を入れるのではなく、背中とわき腹に入れます。
バレエだと、胸もお腹も何事もないかのようにしておいて他で必死に息をします。

ヴァイオリンを弾いて必死に呼吸する必要はないし、お腹が出てもいいけれど、
わたしにはこうした方が心地良いようです。

体調に関わらず、自分の体をなるべく心地良く感じる状態にしておこうと、
秋口くらいから気がついたときにストレッチをしています。
アーチェリーの練習をした後にはヴァイオリンで良い音が出るという以前の経験から、
あの頃の状態にも少し近づきたいと思ったり、
(アーチェリーをしていた頃には毎日ストレッチもしてました)
体が自由になった方が音も自由になるのでは?と思うのです。

この前、ついでに台所の流しのヘリにつかまって、
バレエのバーレッスンの最初の簡単な動きをしてみたら、
動きと呼吸の関係がこれまでに無くピタリと一致して、快適でした。
(今までそんなに意識したことが無かったのだろうと思う)

またバレエのレッスンしたら、ヴァイオリンを弾くことに良い影響があるのでは?と思ったけれど、
まあ、いろいろ現実的ではないので、これで充分かな?
ささやかなそんなことの成果か、
わたしの目標のひとつの「踊るように弾く」は、時々これかも?と思える瞬間があります。
そういうときには、弓の動きと呼吸が何となく自然に連動しているのだろうな。

ヴァイオリンは弦楽器なのに、弓が足りなくなると息苦しいように感じます。
ん~、そんな音が出るのでそう感じるのかもしれません。

先日、俳優の演技指導をしている方から
「日常の会話では話の途中で息切れすることはないでしょ。
無意識のうちに話したいだけの息を前もって吸っているんです。」という
とっても興味深いお話しを聞きました。
セリフになるとそれが無意識にできなくなって、おかしなことになる場合があるのだそうです。

弓の配分はこれと同じだなぁ…。もちろん無意識にはできません。
わたしは先を計算することができなくて、弓が足りなくなって息切れします。(笑)




本当の願いに気がつきました

 2015-09-05
わたしは「世間の常識」みたいなものには懐疑的で、
そういうものに対してずーっと反抗期です。暴れたりはしないけど(笑)。
通例や先入観でものごとを判断しない。だから「歩いたトコロが道になる」はずなのですが…。

先月のある日、珍しく夜中に目が覚めて、突然頭に思い浮かびました。
わたしはヴァイオリンで何を望んでいるのか?って。

ヴァイオリンは小さい子どもの頃から始めて、
厳しい練習を長年積んで、ようやく一人前の演奏ができるようになる。
ヴァイオリンを習う前から、ずーっとそう思っています。

40過ぎてから楽譜も読めないのにヴァイオリンを始めても、どうにもならない。
追いつこうと必死にやったら、少しは近づくことができるかもしれないけれど、
今からそれをやるのは、もういいかなと思うんです。

これまで、目標を定めてそれに向けて努力をして成果を出すという経験をたくさんできました。
望む結果を得られなかった時もあったし、途中であきらめたり、情熱や意欲がなくなったこともあります。
わたしは目標があるとものすごく頑張れることは良く分かった。
だから、苦しい思いをして今からまたそれをやりたいとは思いません。

「ヴァイオリンを流暢に弾くことは、わたしには不可能なことで
それを可能にするには死ぬほど苦しい練習をしなければならないし、それをやろうとは思わない。」

「大人からでも美しい音で弾くことはできる(^^)」という先生の言葉を疑ってはいないけれど、
このことは、それよりも強固な自分の中の決まりごととして心の中にあるのです。
でもヴァイオリンを弾いてみたい。できないと分かっているけれどやってみたい。
これまでヴァイオリンを弾くというのは嬉しいけれど少し苦しいことでした。

「ヴァイオリンで望むことは何か?」
「なんの制約も条件もなかったら、どうなりたいと思っているのか?」

なんで夜中に頭の中にこんな質問が浮かぶのか分からないけれど、
「厳しい苦しい練習とセットじゃなかったら、本当に本当に何の交換条件もなかったら、
本物のヴァイオリニストのような音で、ヴァイオリンを弾けるようになりたい。」
そう思いました。

朝になって思い出してみると、
「そんな都合のいい話しはないよな…。」と自我先生が登場して言います。
ん~、でもわたしには、
「世界へ行けー!」と言われて本当に行けそうだったフィールドアーチェリーや、
「わたしはお金に困ることはないんじゃないか?」と、何の根拠もなく思えるという実績があるので、
自分の本当の願いを取り下げずに望んでみようと思います。

どちらかといえばナマケモノだし、全然必死な練習ではないけれど、
これまでのように自分のペースでヴァイオリンを続けて、いつかはそうなる。
実際にどうかはやってみなければわからないけれど、そう思えることが何よりの幸せです。
ようやく、そう思っても良いんだと自分に許可がおりました。

おかしなことを言っているのはよく承知しています。
でも思うのは自由だから。
これまで自分の望みをずーっと否定してきたんだな。ゴメンネ。



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