大好きなフレーズ

 2018-03-16
先回のレッスンから1週間くらい妹ちゃん(少し軽い方のヴァイオリン)で練習した後相棒くんに持ち変えて弾くようになり、昨日のレッスンは相棒くん持参で行きました。レッスン前に家でボーイングの練習を始めたらまた弓が跳ねて直らなくなり(特にE線の下げ弓)、右手も調子が悪くなってきたのでは?と、弓を置いて手を動かしてみたりして少し深刻な気持ちになったのですが、ただの気にし過ぎだったようでレッスンでは大丈夫でした(笑)。

今回はクロイツェル40番の残りとツィゴイネルワイゼンのわたしが大好きな部分を重点的に。何度も書いているように、わたしはツィゴウネルワイゼンをさらさらと弾けるような腕前では決して無いのですが、練習のための課題として曲にもサラサーテにも敬意を払って取り組ませてもらっています。

超絶技巧の部分をそれらしく弾くことは困難ですが、ミュートを付けて弾くこの部分は音の並び自体は難しくなく、だからこそ別の意味でとっても難しいのかもしれませんが、それなりに弾けるようになりたい。ツィゴイネルワイゼンを練習するのはただここをやりたいからといっても過言でないくらい、好きな部分です。

先生はフレーズの組み立て方の計画や、弓の使い方、ヴィブラートのかけ方、強弱などを論理的に、それに加えてどういうイメージをもって弾くかということもお話ししてくれました。こういうメロディーはつい、気持ちよく情緒的に弾けば良いような気がしてしまうけれど、気持ちよく情緒に浸るのは聴く人の側であって、弾く側には違う役目があるのです。

先生のお手本を「あぁ~、こんなふうに弾けたらなぁ~」とウットリしてしまうのだけど、自分でそれをやろうと思ってもマネできません。「どこがどうだったかというのはすぐに忘れてしまうものです。聴いた時にどんな風景が見えたかということの方が確かなことです(^^)」イメージ&妄想先行型の自分にはそう言っていただけることはすごく助かります。

どんな弾き方・イメージが良いのか、正解というのは無いけれど、先生が言われることとわたしのイメージはそれほど違わないと思うので、本当にそういうふうにできたらなぁ~と思います。レッスンの録音を聴いたら、自分の弾く音が少しずつ変わってそれに近づいて行くのが分り、幸せです。

言われたことがその場である程度できないと、なかなかこういうレッスンにはなりません。それには事前にある程度まで弾けないことには話しにならないし、言われたことを音に反映できる技術や頭の柔らかさも必要ですね。ん~、それにはやっぱり自分で練習することだなぁ…。当たり前過ぎることを今さら思います。

レッスンの行き掛けに通ったパン屋さんで気になったもの、帰りにまだあったので買って帰りました。


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妹ちゃんとレッスンへ

 2018-03-02
昨日はヴァイオリンのレッスンで、ちょっと軽い方の妹ちゃん(2台目のヴァイオリン)を持っていきました。最近は相棒くん(いつものヴァイオリン)ばかり弾いていて、控えの選手のようにほとんど出番がありません。レッスンへ持っていこうと決めたら嬉しそうで張り切っているように感じられました。何がどうとは言えないけれど、そんな雰囲気がしたのです。

もともとわたしの調子が悪いために妹ちゃんの出番がやってきたわけで、テンションの違う二人組み(?)で先生のところへ。楽器だけが張り切ってくれてもわたしの方は右手に変に力が入ってしまっていたようで、弓が跳ねてなかなか直りません。レッスンの始めにそういうことがあってもたいていはやがて落ち着いてくるのですが、昨日は根本的に何か違っていたようで直りません。時間をかけてボーイングの復元練習をしました。

左の肩が痛くなるので捻りたくないけれどクロイツェル40番の練習で普段以上に捻る必要があって、捻りたくないけれど捻らなくては…という葛藤に連動して、代わりに右手が捻れていたみたいです(笑)。後から考えたら合点がいきました。先生が弓を貸してくださりボーイングの練習を繰り返しやったら、最後の方には自分の弓に持ち替えても跳ねなくなりました。良かった…。

妹ちゃんの音を先生に聴いてもらうのは久しぶりです。「やってきた最初の頃はやさぐれた表情をしていたけれど、良い音が出るようになりました(^^)。」「技術の差でちゃんと音に違いが出るようになっています。良くない楽器は何をやっても同じ音しか出ませんから(^^)。」と言ってくださいました。妹ちゃん!褒められたよ!良かったね。満足に弾けなくてごめんね。

一方でわたしの方は、肩の調子が悪くなってしまうことやそれで練習が進まないことなどを何度も繰り返している状況に、久しぶりに気持ちが沈んでしまいました。まともなレッスンにならない状態が何度もあり、先生もイヤになってしまっているのではないか…。家に帰ってからも大きなため息が出たり、あ~とか、う~とか口から出てきてしまう。旅行へ行っていたから練習できなかったというのももちろんあるけれど、その後が良くないので「楽しんできたんだから仕方ないじゃん!」とはならないのですね。

今日はいろいろ進まなくても慌てずに、できる範囲の練習をゆっくりやったら気持ちも落ち着きました。復元後の状態が維持できていて今日は弓は跳ねませんでした。練習しなければ…と思うことがプレッシャーになることか多いのだけど、練習することで気持ちが落ち着くということもあるのだな。



妄想ばかりが先行して

 2018-02-09
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。
いつも言っていただいていることですが、「外向きの愛想の良い、人が寄って来そうな良い香りの音で(^^)」と先生。

わたしが出す音は寂しめ&厳しめで、内向きな印象です。それは普段人に見せている自分とは少し違っているかもしれないけれど、本当の素の自分なのだろうな。自覚あります(笑)。出てくる音を変えるには、わたしの場合は自分の中身を変えるのが良いのではないかと思うのです。器用ではないので中身そのままであたたかい外向きな音を出すのは難しい…(^^;

厳しさの先にある美しさとか、精神的・知的な喜びが好みではあるけれど、この世に体を持って生まれたのだから、美味しいものを食べるとか、肌触りの良さやお風呂に入った時のホッとする感じ、そういう体感的な喜びにもっと心を開いていったらどうか?と最近思うようになりました。

今までも美味しいと思ったり暖かいとか気持ち良いとか、もちろん感じていたけれど、それをもっと積極的に楽しむ心のゆとりが生まれたら、出てくる音も変わってくるのではないかと思います。ヴァイオリンの音色のためだけでなく、わたし自身がそういうゆとりのある人になりたいなぁと、ようやくそういうことに心が向くようになりました。ちょっと、いろいろ頑張ることに少し疲れてきたというのもあるかな。

家でヴィブラートの練習をしながらイタリア絵画のふくよかな女性を思い浮かべたりして、またもや妄想先行な日々を過ごしていましたが、課題のほうがあまり上手く進まず、先回残したクロイツェル39番の終わりの方と40番は半分までしかできませんでした。ツィゴイネルワイゼンも練習はしていても、何か方法が間違っているのか練習が足りないだけなのか…という状況です。

妄想や理想ばかりが広がって、現実が置き去りにされていてはね…。わたし、このくらいの練習では全然足りないんだなぁ。と言いながら、週明けから旅行に出かけるので、ヴァイオリンの練習はしばらくお休みです。でも練習以上に、楽器を弾く上でもそれ以外でもわたしにとって良い影響があるだろうと思っています。

出かけるまでは練習できるので、忘れてしまうかもしれないけれどできるところまではやっておきます。


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レッスンの後、ホッとした気持ちで見上げることが多かった樹たち。今はなくなってしまったけれど



わたしは指が開く人なのかも

 2018-01-26
昨日はヴァイオリンのレッスンへ。今年に入ってからは仕事がヒマヒマなので、レッスンを2週間に一度の通常ペースに戻しています。時間があっても2週間で課題を終わらせることはやはりプレッシャーですが、難しそうな曲の場合は「最後まで終わらなくても良いです(^^)」といっていただいているので、それに甘えて無理やり最後まで頑張ろうとしなくなりました。

今回はクロイツェル39番。見るからに嫌な感じのする楽譜で、特に難しいのが人差し指を押さえたまま残りの指を遠くへ広げて弾く部分。そのパターンが何度も出てきます。肩が外れそうな場合は無理にやらなくて良いと言ってもらっていて、自分でも気を付けていましたが、つい肩を捻る方向へ力が入ってしまい、肩が外れてその日の練習が強制終了…というのを3回ほどやってしまいました。装具していても外れなくなるわけではありません。そんなことやっていて、更に進まなくなってしまうのですよね…。

もう肩はとても緩くなっているのでそれほど痛くならないし、すぐに自分で戻せなくても静かにしていれば緊張が取れて戻るので大事には至りませんが、なるべくなら避けたい。で、肩を捻らないように肘の位置を動かさずに人差し指と小指を開いて押さえることにしました。最大に開くのは、例えばA線のシを人差し指で押さえ、D線で同じ高さのシを小指で押さえるという遠さです。

肩が外れるのは怖いので必死で指を開くと何となく押さえられます(若干他の弦を触ってしまうけれど)。レッスンが強制終了になるのは避けたかったのでそうやっていたら、先生には苦労なく指を開いて押さえているように見えたようで感心されました!他の人はもっと大変そうに押さえて、それでも届かない人もいるそうです。先生ご自身も肘を入れないと届かないとのことでした。

何がどうしてわたしは届くのか(それでも大変ですが)、自分では分らないけれど、わたしが他の人よりもできることがあるなんて!普段できないことばっかりなので、すごく不思議な気がします。できないことはできるようになるために「なんでだろう?」と考える必要があるけれど、自分で不思議であってもできることは考えなくて良いので、検証はやめておきます。

と言いながら、家に帰ってからどうやらわたしは指を反らすのが得意だからそのせいか?と思い、家にいた息子に同じように指が反るか見せてもらったら、あれ?同じくらい反る??「遺伝じゃね?」と言われて、ん~、親子だからそうかもね。他の人はどうなんだろう?

左手自体は今でもやっぱり右手よりも動きが悪く、握力も右の半分くらい。グーパーしたり、親指側から指を一本ずつ開いたり閉じたり、小指からもやったり、グーにしたまま手首を曲げたりのばしたりしています。病院でのリハビリは肩だけなので手のことは自分でやらなければと最近気がついた(笑)。

ツィゴイネルワイゼンがなかなか上手くいかないのは指の動かし難さや力の入り具合にも問題がある。音程がふにゃふにゃしてしまうのは、指が動くのと一緒に手首や腕がいちいち動いてしまっていて、どこにもよりどころが無かったのも原因のひとつだろうと思います。これまではそれにさえ気がつかないくらい何がいけないのか自覚できていませんでした。

フラメンコの踊りのように…、捻りながら回転する動きのようなイメージ…、大袈裟な音程…、ツィゴイネルワイセンはできるようになったら本当に面白いと思います。できなくてもそういうことを練習するのは今の段階でも楽しいです。


20180126084536d68.jpeg  大雪の翌日の太田黒公園



今年最初のレッスン

 2018-01-12
昨日は今年に入って最初のヴァイオリンのレッスンでした。

年が明けてからは時間がふんだんにあるのですが、毎日ものすごく練習しているかといえば残念ながらそうではありません。頭のどこかで使える時間は全部練習に当てたらどうか?という非現実的な考えがチラリと浮かんだりすることがあります。でも浮かぶだけ(笑)。結局忙しくてもそうでなくても、練習できない自分にちょっとガッカリしています。

それでも、解読が難しかったクロイツェル38番はなんとか最後まで音にできました。先回のレッスンで「もし無理でしたら途中まででも(^^)」と先生が言ってくださったのを覚えていて、ほんの数日前には途中までで諦めていたのだけど、もう少しだけ進めてみようと思ったらそれまでの繰り返しが多く、ぎりぎりセーフで間に合いました。

「時間があってもそれほど練習できません…」と自分の残念さをお話ししたら、「(一日中練習しろと)昔のヴァイオリンの先生みたいなことはあまり言うべきではなくて、人生はヴァイオリンだけではないわけで(^^)」「ヴァイオリンの先生がそんなこと言ってはいけないかもしれないけれど、そう思います(^^)」と言ってくださいました。

わたしがこれからヴァイオリンを職業にしていくかもしれない若い人だったら、違う言葉を掛けてくださるのかもしれませんが、現状に即した現実的なものの見方をしてくださってありがたいです。もちろん、「一日中練習するんだー!」と頑張ることを止めはしないと思います。でもその心配はなさそう(笑)。

引き続きツィゴイネルワイゼンもやっています。「楽譜通りに弾く」というのとは少し違うこの曲を、楽譜通りに弾くことがままならない自分が弾くことは難しいのです。でもそれはどういうことかを理解できて少しでもそんなふうに弾けたら、何か自分の世界が少し広くなるような気がするのです。そのための練習課題のような気がします。

夕方になったらすっかり寒くなって、レッスンの前にはそれなりにでも頑張ってはいるので少し疲れてお腹も空いたので、鏡開きのお汁粉を作りました。あったまって足の先までポカポカになりました~。


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