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改めて、自分の個性を受け入れる

 2018-10-09
絵画や彫刻や舞台作品などを見ると「そしてわたしはどうするの?」という思いがこころにやってくるのは、わたしは表現する側だという認識があるからなのだということに改めて気が付きました。

自分の表現ツールは何なのか。40歳過ぎて始めたヴァイオリン以外に、もっと上手くできることが他にあるのではないか。最近ヴァイオリンをどうやって表現することと結びつけて良いかわからなくなって、他に思いつくことを見に行ったり考えたりしてみましたが、やはり、どうしたって、ヴァイオリンなのです。バレエの代わりにヴァイオリンを、と思ったわたしは本当に正しくて、それを疑うわたしの方がおかしかった。

バレエを踊るのとヴァイオリンを弾くことのオオモトにあるものは、自分にとっては同じものです。他の人に理解できなくてもわたしにはそうです。それは小さい子どもの頃から感じていて、今もずーっと持っていて、何かを通して表したいと思うもの。これまで何度か中断したけれど、今もあまり上手くいっていないように感じているけれど、手段をヴァイオリン以外に探してでもそれをやらなくては…と思うくらい、あきらめ悪く持続する、何かです。

ツッコミどころのないそつない演奏ができるようにはならないかもしれません。平均的に全体的に良く…というのは無理かな。あちこち難ありでツッコミどころはあっても、それを忘れさせる何かがあるような音楽ができるようになりたい。

上手くいっていないと思うのは、気持ちと身体に不自由を感じているのと、上手くいっていないことに目が向ているからで、現実には少しずつ良くはなっている。わたしのやりたい音楽は、従来の下から着実に積み上げていく方法だけでは辿り着かないものかもしれなくて、飛躍した場所から足りないものを補うために降りてくるような方法が必要です。

ヴァイオリンの先生は、今まで、そのどちらからもアプローチしてくれていました。「できない自分」という意識が染み付いていて、辿り着きたい場所からのアプローチをしてくださっても、わたしの側が無意識のうちに受け取り拒否していたかもしれないと気が付きました。ツィゴイネルワイゼンを長い間やっているのは自分にとって大きな意味のあることだから、なのですよね。

そう言いながら今日はヴァイオリンの練習ができていない。眠たい時間に消音機をつけて弾くよりも、今日これを書くことの方が数段大切だと思って、記しています。半分言い訳なのは分かっているけれど。明日からはこれまでよりももっと楽に上手くいく気がしています。


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