『シーモアさんと、大人のための人生入門』

 2017-03-18
久しぶりに映画を観ました。『シーモアさんと、大人のための人生入門』です。公式サイトはこちらかな?→ http://www.uplink.co.jp/seymour/


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かなり前から公開されていて、テレビで取り上げられているのを見て知り、先月友人にも勧められました。そろそろ観られるところがなくなっていまいそうなので行って来ました。

ドキュメンタリー映画なので話の筋や結論はありません。89歳のピアノ教師・シーモア先生の言葉が散りばめられた美しい詩集のようでした。行く前から、わたし、きっとこれを絶対に好きだと思っていて、ウルウルしてしまうのが分かっていたのでなかなか観に行かれませんでした(笑)。

その昔、6歳のシーモア少年は家でピアノを弾きながら、その曲のあまりの美しさに涙が出たそうですが、それを話すシーモアさんを見ながらわたしも泣けてきちゃうのです。年齢に関わらず音楽を理解することはできる。同じ年くらいの頃、家の板の間で音楽に合わせてクルクルと踊っていた自分のことを思い出しました。

美しい音楽が好き。それに呼吸を合わせて一緒にいるのが好き。音楽を聴いて湧きあがってくるものと共にあるのが好き。「音楽は神さまの言葉」というのは本当にそうだと思います。その神さまは外にいるのではなく「心の中の源泉」であるともシーモアさんは言います。

そんな言葉に触れたら、わたしはもう本当に嬉しいのです。家に帰る途中でも、帰ってからも、何度もいろいろ思い出してはウルウルして、目が真っ赤になりました。消化するのに時間が掛かってなかなか文字にできませんでした。

神さまの言葉をクラシックの音楽にするには技術が必要で、それがなければ美しさを再現することはでない。毎日の積み重ねが大切だとも言っています。それが充分にできない自分にもまたウルウルしてしまう…。

毎日の練習を音楽と共にある喜びと切り離してしまっていることに、苦しさがあるのです。それは決してカイザーやクロイッエルの教本から強要されていることではなく、自分がそうしてしまっているのだな…。どんな曲にも喜びや感情が動く要素はあるのです。

このところ、ヴァイオリンの体験会や演奏の会で、わたしがなぜヴァイオリンを弾こうと思ったのかを話すことがありました。それは音楽を聴いた時に湧き上がるわたしの中の何かを表現したいから。それが以前はバレエで今はヴァイオリンになっている。バレエをやる人、楽器をやる人が誰でもそんなふうに思っているわけではないと思う。でもわたしは何度そこから離れても、やっぱりやりたいと戻ってくるのです。

英語は苦手でよく分らないけれど、映画の中で何度も「gift 」という言葉が出てきて、字幕では「才能」と訳されていました。自分に音楽の特別な才能があるとは全く思えないけれど、音楽へのこの気持ちは神さまがわたしにくれた贈り物なのだと、初めて思えました。

与えられたということは「それを使いなさい」ということです。使い方がよく分らないけれど、もうあれこれ言っていないでやります。また書きながら目が真っ赤になってしまっています(笑)。やっぱりこんなふうになるのは普通じゃない。ここにわたしの何かがあるのでしょう。

この映画は東京では来週25日から一週間、下高井戸で観ることができます。あとは逗子とか。オンライン上映というのもあるようです。



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