本当の願いに気がつきました

 2015-09-05
わたしは「世間の常識」みたいなものには懐疑的で、
そういうものに対してずーっと反抗期です。暴れたりはしないけど(笑)。
通例や先入観でものごとを判断しない。だから「歩いたトコロが道になる」はずなのですが…。

先月のある日、珍しく夜中に目が覚めて、突然頭に思い浮かびました。
わたしはヴァイオリンで何を望んでいるのか?って。

ヴァイオリンは小さい子どもの頃から始めて、
厳しい練習を長年積んで、ようやく一人前の演奏ができるようになる。
ヴァイオリンを習う前から、ずーっとそう思っています。

40過ぎてから楽譜も読めないのにヴァイオリンを始めても、どうにもならない。
追いつこうと必死にやったら、少しは近づくことができるかもしれないけれど、
今からそれをやるのは、もういいかなと思うんです。

これまで、目標を定めてそれに向けて努力をして成果を出すという経験をたくさんできました。
望む結果を得られなかった時もあったし、途中であきらめたり、情熱や意欲がなくなったこともあります。
わたしは目標があるとものすごく頑張れることは良く分かった。
だから、苦しい思いをして今からまたそれをやりたいとは思いません。

「ヴァイオリンを流暢に弾くことは、わたしには不可能なことで
それを可能にするには死ぬほど苦しい練習をしなければならないし、それをやろうとは思わない。」

「大人からでも美しい音で弾くことはできる(^^)」という先生の言葉を疑ってはいないけれど、
このことは、それよりも強固な自分の中の決まりごととして心の中にあるのです。
でもヴァイオリンを弾いてみたい。できないと分かっているけれどやってみたい。
これまでヴァイオリンを弾くというのは嬉しいけれど少し苦しいことでした。

「ヴァイオリンで望むことは何か?」
「なんの制約も条件もなかったら、どうなりたいと思っているのか?」

なんで夜中に頭の中にこんな質問が浮かぶのか分からないけれど、
「厳しい苦しい練習とセットじゃなかったら、本当に本当に何の交換条件もなかったら、
本物のヴァイオリニストのような音で、ヴァイオリンを弾けるようになりたい。」
そう思いました。

朝になって思い出してみると、
「そんな都合のいい話しはないよな…。」と自我先生が登場して言います。
ん~、でもわたしには、
「世界へ行けー!」と言われて本当に行けそうだったフィールドアーチェリーや、
「わたしはお金に困ることはないんじゃないか?」と、何の根拠もなく思えるという実績があるので、
自分の本当の願いを取り下げずに望んでみようと思います。

どちらかといえばナマケモノだし、全然必死な練習ではないけれど、
これまでのように自分のペースでヴァイオリンを続けて、いつかはそうなる。
実際にどうかはやってみなければわからないけれど、そう思えることが何よりの幸せです。
ようやく、そう思っても良いんだと自分に許可がおりました。

おかしなことを言っているのはよく承知しています。
でも思うのは自由だから。
これまで自分の望みをずーっと否定してきたんだな。ゴメンネ。



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