音楽を聴いて湧き上がるもの

 2014-05-06
先月から「自分が望むことは何か」を考えるモードに入っています。

ここは自分が好きなことを好きなように書く場所と決めているけれど、
これから書くことはいつも以上に個人的なわたしの心の中のことなので、あまり面白くないかもしれません。
始めにお断りしておきます。

夕飯の支度をしながら今一番気に入っている室内楽の曲を聴いていたら、
自分の中から強く湧き上がってくるものがあって、キャベツを切っている視界がぼやけました。

そして、長いこと良く分からなかったことに、ああ、そうなんだと合点がいきました。

こういう、音楽を聴いた時に湧き上がってくるような感情は、小さい頃からありました。
バレエの仕事に付随して、後から学習して得た感覚なのかと思っていたけれど、
よく思い出してみればそうではなかった。
この感覚は感情というよりも、衝動に近いような原始的な感覚で、
考えるとか感じるというのではなく、自分で抑えることができないような何かです。

4歳のわたしがどうしてバレエを習いたいと言い出したのか、自分では覚えていないけれど、
バレエへの気持ちは、紆余曲折を経てその後30年間持ち続けることになりました。
そこで自分なりに完結したつもりだったけれど、
完結しない何かがわたしをヴァイオリンへと向かわせました。

「バレエが好きだから」「ヴァイオリンが好きだから」もちろんそれはあるけれど、
「音楽を聴いた時に自分の中からやってくる衝動のようなものを何かで表したい」
その手段が、以前はバレエで今はヴァイオリンになっている。

よくここに、「わたしにとってヴァイオリンを弾くことは踊ることと同じこと」と書いていました。
「自分の中に流れている音楽を外に出したい」とも書いていたけれど、
それがどういうことなのか、とてもはっきりと分かりました。

それほどまでに強く「表現したい」と思っていることに、自分ではあまり気が付いていなかった一方で、
「やり過ぎてはいけない」という強いブレーキは、子供の頃から常に感じていて、
バレエの先生にはいつも「遠慮っぽい」「もっとやっていい」と言われていました。

「やり過ぎてしまうことへの怖さ」は、「表現したい」という強い望みの裏返しで
子供の頃からなんとも複雑なことをやってきたものだと改めて関心しますが、
もしやったらすごいものが出てきてしまうことを、本能的に感じて蓋をしているのかも知れません。

「きちんとやれと言う自我先生が、わたしが好き勝手にやることを許さない」なんて
巧みな言い訳をして怖いものに向き合うことを避ける別の自我君がいて、人間というのは本当に面白い。

でも、わたしの表現したいことには「美しい」というのが絶対条件でもあるので、
自分でそれが出来ないこの自己矛盾…。
気が付いても、怖いものは怖いのだし…。

怖くても少しづつやっていこうと思い初めていたから、この気付きがやってきたのかもしれません。
一生楽しめそうな課題ですねぇ…。(遠い目)

取り留めのない独白を、最後まで読んでくださってありがとうございます。



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