映像の自分は別人みたい

 2012-01-18
年が明けてからこの半月の短い間に、自分が映っている映像を3回見る機会がありました。

最初は、アーチェリーの初練習日。
ビデオカメラを持ってきた方がいて、自分の射っているのを映して見せてくれました。
技術的に気が付くことがたくさんありましたが、
それ以外に、自分ではもっと鋭く射っているイメージなのに、
実際にはとても淡々と静かに射っていて、何も感じたり考えたりしていないようにみえます。

その次は、新年会でのヴァイオリンの演奏の記録を見ました。
あんなに緊張して、まるでうまくいっていなくて、
頭の中ではものすごいスピードで「これではいかん、なんとかしなくては…」と
いろいろな事を考えていたにもかかえわらず、こちらもまた、それほど動揺は見えません。

3つ目は、やすらぎの部屋のユーストリーム生放送に参加した時の録画を見ました。
「話しをしている横で、話しとは関係なくお金を磨いていて」とよっしーさんに言われて、
なんとなく画面の端っこに居たのですが、
時々言葉を発しているのや、自分の横顔や動作を見ていると、
「わたしって、こんなふうなの?」と、いつも自分に対して持っているイメージとはかなり違う。
静かで、穏やかで、ゆったりとして見えます。
わたしが思うわたしとは、やっぱり違います。

映像で見た自分は、自分自身で思っているわたしとはかなり違っているけれど、
わたし以外の人は、あそこに映っている人を「わたし」だと認識しているんだ…と不思議なことを思います。
あれは、わたしじゃなくてわたしの入れ物みたい、とまたヘンな感覚。

自分の感情を表に出さないように、長年自分を訓練してきたようなところがありあます。
「自分の気配を消す」とか「邪魔にならないように居る」とかも、たぶん得意です。
今はもう、感じるまま振舞ったり、押さえた自分でいなくていいと思っているのに、
実際には、まるで感度の悪い楽器のように、思っている音が出ていません。

もっともっと、やって大丈夫なんだなぁ~。
自分でやり過ぎだと思うくらいで、きっとちょうどいいかもしれません。


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