FC2ブログ

肩当て無しも悪くないかも

 2019-05-30
今日は久しぶりのレッスンでした。先回、もともと仕事の都合で1ヶ月空けてあったレッスンをお休みさせていただいたので…。

肩当て無しで弾くことは以前も試したことがあったけれど、弾きにくく感じて本当に少し試しただけ。今回は必要に迫られて始めたことですが、本気でやってみると発見があります。

わたしが肩当てを使わないのに合わせて、先生も「この方が分りやすいですから(^^)」と、肩当を外してレッスンをしてくださいました。恐縮です。以前、左腕を上げるのが難しくなった時に姿勢を変えて弾いたことがあったのですが、その時もわたしの態勢と同じようにしてレッスンをしてくれたこともあります。

肩当て無しのメリットはヴァイオリンの位置を自由に変えられることで、それは自分でも数日間で実感できました。他には、自分の場合は首の力をあまり使わずに済んで、楽です。それから、アゴで深くヴァイオリンを挟める(今使っている肩当てとアゴ当ての都合でいつもは浅めになっている)のでコンパクトにいろいろやり易くなる。

左手はヴァイオリンを支えながら動かすことになり、少し不自由な気がしますが、弦とポジションによってあまり変わらず弾けるところ、むしろやり易くなるところなどあって、不自由とは限らないです。左手が動かしにくい時には難しいかもしれませんが、今はまずまず動きは良いので大丈夫です。

左手のポジション移動は、肩当てをしないことで左手をなるべく指板から離さずに慎重に移動させていることに気が付きました。音程も頭の中でいつも以上に意識して弾かなくてはと思ったら「そんなに悪くありません(^^)」と言ってもらえました。いつもが乱暴な動き&テキトーな狙いだったのだな(苦笑)。

どこかに不具合がある時の方が、普段より慎重になって上手くできることがこれまでも何度かありました。何でもない時には自動操縦的に、雑だったり力でやってしまったりするみたいです。上質な自動操縦ができれば言うことありませんが。

これから少しの間はコンスタントに2週間おきのレッスンです。2週間では練習期間としてはギリギリで頑張らないといけませんが、今回のように空いてしまうのも元気がなくなり煮詰まります…。またチマチマ地道にやります。



20190530223917c27.jpeg

今年はベランダのミニバラにたくさん花が咲いています。毎日眺めて幸せです。



肩当てを伝わる振動が…

 2019-05-28
肋骨を痛めてからもなにくわぬ顔をして、だいたい普段のように過ごす振りをして仕事にも行っていましたが、ヴァイオリンを構える姿勢が痛かったので、しばらく練習を休んでいました。ようやく仕事も一区切りついて、身体も楽になってきたので少しずつ練習もやり始めました。

が、しかし…、構える姿勢は無理なくできるようになったけれど、弾き始めたら肩当てから胸に伝わる振動がダメです。直接骨に振動が伝わって、何でもない時はそれが心地良かったのですが、変な響き方でとても苦痛です。少し考えた後、肩当てなしで弾いてみることにしました。

肩当てなしで弾くと、ヴァイオリンの胴体に触れるのはアゴと首と鎖骨と肩。鎖骨に伝わる振動は大丈夫です。少し肩の部分が滑るので、応急的に滑り止め(100均のフタを開ける薄いウレタンみたいなやつ)を間に挟んだら快適になりました。翌日に家にあった革で滑り止めをつくったら、より良くなりました。

いろいろ万全になるまで変わったことはしないでおとなしくしていた方が良いのだろうけど、いつまでも練習しないわけにもいかないし。肩当てしないと、ヴァイオリンがこれまでよりも左横に、高さも少し上になります。こういう時は楽器も弓も低めに持った方が良いけれど、できなくはないです。で、慣れてくると、あれ?この方が弾きやすい??

いえ、正確に言えば、弾きやすさと弾きにくさ、どちらもあります。でも、この方が身体の自由度が上がるような気がするのと、相棒くん(ヴァイオリン)との親密さが増します。実際に密着度がアップしているから(笑)。もちろんG線、D線のハイポジションは弾きにくい。E線は結構大丈夫。ポジション移動はカールフレッシュではかなり難しく(肩当てしてたって同じように難しい…)、ツィゴイネルワイゼンは思っていたよりもできそうな気がします(気がしているだけかも)。

しばらくこれで弾いていようと思います。今週は予定通りレッスンへ行けそうですが、どの程度まで普通っぽく弾けるようになるかな…?無理せずにチマチマやります。



行き当たりバッタリ歩いたら

 2019-05-22
仕事が忙しかったり、肋骨を折ってしまったり(先週はそのためヴァイオリンのレッスンをお休みしました)、でもいろいろ大体落ち着いてきて、今日は表参道で用事を済ませ、珍しく真っ直ぐ帰らずフラフラ歩いてみる気になりました。普段、わたしはどこへ行っても直行直帰の人で寄り道するのは苦手ですが、お天気が良く気分も良かったので(^^)。

どこへ行くかは決めず、曲がってみたい道、目に入ったものに向かって歩いてみました。あみだクジみたい(笑)。どこに行って何に出会うのかちょっと試してみたかったのです。方向音痴だけど、迷子になっても帰り道はGoogleマップで調べれば良い。

青山墓地を抜けて、住所表示が西麻布になったあたりに花屋さんがあり、胡蝶蘭の株を見つけました。胡蝶蘭、育てたこと無いけれど何かの縁かもと、お店の人に声をかけて一株いただきました。

201905222305143ba.jpeg


その先で何となく角を曲がったら西洋の骨董屋さん?(昼は骨董、夜はバーだそうです)があって、そこでイヤリングを見つけて、しばらく眺めた後に買いました。お店の人はややごつい感じの男の人でしたが、丁寧に包んでくれて可愛い花柄の袋に入れてくれました。

20190522230516f6c.jpeg


もうそろそろ帰ろうかと大きな道に出て交差点を渡ったら「←国立新美術館」の看板が。今やっているクリムトの絵のチラシは前から見ていたけれど、「これは行かなくてもいいかな…」となぜか除外していた展覧会です。今日も反対の広尾駅に向かって帰ろうと歩き始めてから、いやいや、あみだクジを全うしなくちゃと思って、行ってみることにしました。

わたしは放送大学の学生で、国立の美術館は特に割安で観られます。企画展の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」、行って良かったです。昨年行ったウイーンは寒くてグレーな印象で、それが思い出されてなんとなく敬遠してしまっていたのかも。

201905222305142c4.jpeg


一番嬉しかったのは、自分がシュテファン寺院の写真を撮った、まさにその場所から描いたルドルフ・フォン・アルトの絵があったこと。他にもシューベルトが使っていた眼鏡(この眼鏡を通して何を見てたのだろう…)、作曲家たちの肖像や彫像、劇場に関する絵、1800年代のドレスや帽子など、わたしの興味のあるものがたくさんありました。一番最後にあったロダン作の「グスタフ・マーラーの肖像」、気難しい顔をしていて「自分の心の内など理解しようとしてもムダだ」と言われた気がした。本当の最後に反対側から右の横顔を見たら、柔らかい表情をしていて、何だか安心した(^^)。

自分で計画して行動しなくても、もしかしたらそうしない方が、自分に必要なものや出来事に出会えるのかも?なんて、ちょっと思ってしまうような午後でした。



ボスはやっぱりわたしの師なのだ

 2019-05-14
久しぶりにボスとの仕事でした。このところずっと他の人とばかり仕事をしていて、ボスとは年に一度くらいしか一緒になりません。

ずーっと前、一緒にやっていた頃は、圧倒的に仕事のできる師に要求されることに応えようと必死になって、できないくせにできないのは悔しいから無理やりにでも頑張って、でもそれをずっと続けるのが苦しくなって仕事を辞めたのだったな。何年も経って戻りたいと言ったら、わたしにはそんな素振りは見せなかったけれど喜んでいたと他の人が教えてくれた。

戻ったと言っても前と同じことはもうしたくないので、仕事の範囲を限定してよその人とばかり働いているけれど、数日間同じ劇場の同じ側の袖で過ごして、慣れ親しんだ間合いや空気感に、ああ、やっぱりボスはわたしの師匠なのだなと改めて感じた。

舞台をまとめるやり方は人それぞれ違うけれど、劇場にいる間何もしていないように見える時でも、ずっとその役割で居続けてくれてありがたかった。あんなにアクが強いのに(笑)、そこを自分色の世界にしてしまわない。圧倒的に仕事ができることはもちろんだけれど、ボスの何がそんなに良いのか、今になってようやく良くわかりました。

今回は演目のことも出演者のことも良く知っている人が他にいたので、わたしは当初の目標通りに機嫌よくそこに居ることがだいたいできました。以前はボスとの仕事の最中には、わたしを責めるボスの声が頭の中に聞こえてきて苦しかったのですが(…かなり危険な精神状態)、もうそれはありませんでした。

ボスと同じ職種はもうしないことにしています。そう決めて同じ裏方の仕事をすることは、だからわたしはもう弟子ではないと、裏切り者のような居心地の悪いような気持ちでいました。でも今回ボスの仕事を見たら、わたしはわたしの立場でそれをやれば良いのだと思えました。やっぱりボスはわたしの師で、わたしはボスの弟子で良いのだった。



連休後も続きます

 2019-05-07
長いゴールデンウイークが終わっていろいろなことが通常営業に戻りましたが、わたしは引き続き、このあとあとも2週間くらい繁忙期ペースのままです。その合間にヴァイオリンのレッスンがあって、もろもろ全然大丈夫ではありません(汗)。

次の仕事の準備をしていたらヴァイオリンもリコーダーも練習する時間が取れず、それ以上にその仕事のことがとても心配になってきてしまいました。自分は心配性なんかじゃない!!と思っていたけれど、結構そうかもしれなくて、でも、いろいろ考えているようで肝心なことはあまり考えていなくて、余計なことに気を回して始まる前から疲れてしまうのかもしれないなぁ。

このまま現場に行ってしまったらグッタリするのは目に見えているので、ただ機嫌良くそこに居ることが自分だけでなく皆のためにもなるのだというつもりでいることにします。自分に割り当てられた仕事の分担というのはもちろんありますが、できること以上を求められているかもしれないと思って勝手に疲れてしまうよりも、自分で決めた役割をする方がわたし自身も周りの人も安心する(…と自分に言い聞かせる)。

こんなふうに書いていたら少し落ち着いてきました。ここ数日、気持ちも身体もバランスを崩しそうな感じでしたが、今、ちょっと大丈夫かもしれない…と思えてきました。ん~、久しぶりにグダグダしたことを書いてしまいました。こういうの、消してしまっても良いのだけど、またしばらく間があいてしましそうなのでこのままで。

新しい時代になったといっても、何かが帳消しになったり突然希望がやってくるわけではありません。少しずつ丹念に方向づけていく事ですね。



≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫