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リセット計画、進んでいます

 2018-06-27
急に暑くなりましたね。梅雨はどこへ?
ヴァイオリンの練習は音漏れ防止のため部屋を締め切るので、エアコンをつけたり消したり、扇風機にしてみたりしていますが、アゴ当てに汗が…。相棒くん(ヴァイオリン)本体は濡れていないよね?いえ、首や鎖骨が触るあたりは危ないかも。雨が降らず天気が良いと、相棒くんの調子は良いようです。爽やかとは言えないけれど湿度も下がっているのでしょうね。

土日は朝早く出て遅く帰ってくるのでヴァイオリンの練習はお休みです。月曜日、ヴァイオリンを構えたら何となく違和感が。少し間があいた時に感じる違和感は大切にします。この前までは間があき過ぎて違和感だらけだったけれど(笑)、このところはそこそこ練習できているので感覚を信頼して大丈夫だと思う。

リセット計画が進んで、最近はヴァイオリニスト養成ギプス(別名、脱臼防止サポーター)を外して過ごすことが多くなり、ヴァイオリンもそのまま弾く練習をしています。暑いし、着けていても外していても肩の離れ具合はあまりかわらないので(笑)。

肩当ての収まり具合が変わるので少し調節しましたが、また少し感じが変わりました。調子が悪かった時はサポーターしないと情けない音しか出せなかったのですが、今は相棒くんが好調だと思えるくらいの音が出るようになりました。やっぱり肩の調子、少し良いみたいです。空耳&勘違いでなければ良いのだけど。

肩はいろいろ調べた結果、外傷の脱臼と違ってここを直せばよいという箇所は見つからず、やはりリハビリでコンディションを整えていくのが良いだろうということになりました。手術して治るものならそれで、と思っていたところもあったけれど、やはりこれ以上痛い事をしなくて良くなり安心しました。今後の方針はちょっと迷っていることもありはっきり決まっていませんが、調子の良い間に自分で地道に戻していくことだなぁと改めて思っています。

明日、明後日は泊まりで下見へ。帰ってきて週末は2日間仕事へ。またヴァイオリンの練習はお休みです。不定期、不規則な仕事が好きでやっているので、まあ、いつもこんな感じです。体力温存しますと言いたいところですが、この前の日曜深夜のサッカーも帰宅後に見たし、明日の夜も泊まり先で見る予定です。今日は早く寝ます(笑)。


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踊りの曲は良くわかる

 2018-06-20
週末に久しぶりの現場仕事があり劇場へ。その時にはあまり感じなかったのに、終わった次の日はとても疲れてほとんど寝て過ごし、翌日に復活しました!

ヴァイオリンの練習をする前に、仕事でよく聞いているメロディーを弾いてみようと楽譜を探しました。ミンクスの「ドン・キホーテ」はIMSLPにピアノスコアしかなかったのですが、知っている曲だからヴァイオリンがどの音を弾いているのかは分ります。カッコいいメランコリックなメロディーは楽譜で見ると特別難しくは無いのですが、自分が弾くといつも聞いているような音にはなりません。

そういうことをしてみると自分の何が足りないのか良くわかりますね。粘っこさとか押しの強さとか…、いつもレッスンで言われていることです。相当頑張ってしつこく濃~く弾かないと、耳慣れたメロディーにはなりません。ん~、やっぱりそうなんだ…。

踊りの曲はわたしにはよく分る。以前先生が「音楽体験というのは、楽器をやったことがあるかどうかだけではありません(^^)」と言ってくださったことを思い出します。その時にはあまり実感できなかったけれど、音楽に合わせて踊ることは音楽体験のひとつなのだと、今の段階になって良く分かるようになりました。

ヴァイオリンを弾くという同じことをするにも、人それぞれ脳ミソの使い方が違っているのだろうな。わたしは楽譜を見て弾いていても今出している音がドレミファソラシドの何の音なのか意識することが苦手です。最初はたどたどしく時間をかけて楽譜で音を確かめながら弾くので認識しているはずですが、音を覚えたら考えなくなってしまいます。(←だから未だに初見では弾けません)

わたしの音楽体験は何の役に立っているのかと言えば、ん~、曲の起承転結や流れを感じるのが少し得意かもしれません。あとは曲から妄想する色や温度や景色や動きとか。先生はわたしのそういうところをよく分かっていて、「これを踊りの動きに置き換えたらどうなるかを考えて弾くとどうなりますか?」と言ったりします。そういうことで音が変わってくるのです。便利なんだか不便なんだか…(笑)。

でも、そういうわたしの特徴を上手に活用して自分らしいヴァイオリンができたら楽しいだろうな。


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普段よりも少し丁寧に掃除をして今日は小さな花を買いました。梅雨時にオレンジのお花、部屋も気持ちも明るくなります。



以前に近い音になりました

 2018-06-15
水曜日にヴァイオリンのレッスンへ。少し間があいて1ヶ月ぶりになりました。

朝から退院後の診察のために、神経内科と整形外科の肩の先生に会いに行き、午後から急遽検査が入ったので一旦家に戻り少しヴァイオリンの練習をして、再び帰ったのはレッスンへ行く30分前というバタバタの一日になってしまいました…。

家での練習ではリセット計画として、肩が亜脱臼の方向へ動いてしまわないように関節の位置を維持しながら弾くということを意識していて、少しずつまともな音が出るようになっていました。重音もそれなりに弾けるようになり、課題のクロイツェル42番の残りも最後まで進められました。

「様子を観察するのが仕事ですので(^^)」といつもおっしゃる先生には、わたし以上に変化が分かるようで、体調が良かった前の頃のような問題ない弾き方になっていると言ってもらえました。検査で肩の関節に造影剤や麻酔を入れてCTとMRIを撮ったので、レッスンの時にも少し痛みや肩の動かしにくさが残っていたのですが、それでもこの前までよりはかなり良い状態だったようです。

ヴァイオリンを弾くのは肩や腕だけでなく、体幹の筋力も大きく影響するのだろうな。この前までは腹筋が超絶弱くて、朝起き上がるのがかなり大変で工夫が必要でしたが、今は寝ぼけていてもスッと、知らないうちに起き上がれるようになっています(笑)。レッスンの後、先生のお宅のドアを軽々と開けられたので、先生もわたし自身も(笑)ビックリしました。(大変な時は先生に開けるのを手伝っていただいていました。)

調子が良いときにその感覚を定着させられるように、レッスンの内容をアレンジして進めてくださいました。ヴィブラートをかけてメロディーを自然な音で弾けるようにというもので、この前までは左手を一生懸命に動かさないとそれらしくならなかったのですが、調子が良くなっても同じように動かしてしまい、やり過ぎ感満載になってしまいます。

「今の状態であれば、左手をエレガントに使うという意識だけして、あとは出てくる音に任せて(^^)」。そう言われて弾くと無理のない伸びやかな音(当社比)になって不思議です。こういう弾き方で上手く音が出るなんて、今まで調子が悪くて分らなかったけれど、わたしはもしかして本当は上手になっているのかもしれない。(これも当社比ですが、笑)

クロイツェルはこれで一応全部最後まで音を出してみたことになり、本当に音を出しただけではあるけれど全部のページに書き込みしてある状態になりました。カイザーのように1番から順番に始めていないことと、終わらせて開放されたい(笑)という気持ちが無くなったことで、いつから始めたとか終わったとか気にならなくなっていますね。次回からは重音シリーズの32番以降の2巡目をやります。

レッスンが終わってから先生と少し音楽のお話しもできて、レッスン前は病院疲れでグッタリしていたのがすっかり元気になりました!


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クラシック音楽は民族音楽

 2018-06-12
放送大学の授業は主にテレビやラジオで受講しますが、普通の授業のように先生から直接受けられる授業もあります。いろんな講義がありますが土日のものが多く、わたしの場合、日程的に受けられるものが限られてしまいますが、先週から週1回×4回の音楽に関する授業に出ています。

先週は音楽の定義や音楽学や歴史について、ざっくりとでしたが興味深いお話をたくさん聴きました。その中で「クラシック音楽というのはヨーロッパの民族音楽である」というお話が、わたしには目からウロコでした!

日本の学校での音楽教育は西洋音楽の流れのものでドレミファソラシドと習うし、「音楽といえばクラシック音楽が一番上にあって、その中でも交響曲が最上級の音楽」みたいな風潮もあります。わたしはそれに反感を感じながら、でも結局は西洋音楽の中のヴァイオリンやバレエが好きだし、舞台の仕事もそういったジャンルで、ドップリその世界の人になっていることは認めざるを得ません。

この「クラシック音楽はヨーロッパの民族音楽」という話を聴いて、何だか少し気が楽になりました。西洋文化のマネをして外発的近代化をしてきた日本人が「西洋音楽=音楽」と受け止めたことは良く分る。でもヨーロッパは広い世界の一部の地域だし、世界にはたくさんのジャンルの音楽があります。生まれて初めてそういう視点から自分の好きなものを捉えることができました!

それが分かっても、自分が18・19世紀のヨーロッパの音楽やバレエが好きなことには変わりありません。オペラに比べてバレエは芸術性が低いとか、バレエ音楽もそうだとか言われることがあっても、好きなものは好きなのだから仕方ないです。ただ、自分が関わっているものがとっても狭い範囲のマニアックなものだという認識は持っていたいと思います。マニアック好きだからちょうど良かった(笑)。


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今日出会ったビョウヤナギという花



プライベートな素のわたし

 2018-06-11
わたしは大抵、いつでも誰といても「○○なわたし」として振舞っていて、それはたぶん、自分が「こういう人でありたい」ということの現れなんだろうと思います。その意識が強いので、そうでない時は滅多にありません。一緒に居る人のことを全然考えられなくなっている余裕のない時とか、頭がカラッポになっている時だけ、本当に素のわたしになってしまうらしい。それはとってもプライベートな姿です。

この前の入院中のリハビリの、かなり年下の女性の先生の目に映ったわたしの姿は、普段の自分とは全然違ったみたい。わたしとしてはとっても真面目にやっているつもりなのだけど、肩を動かす怖さと葛藤する姿がとても頼りなさそうで愛らしく見えたようです。普段そういうキャラではないのでとてもビックリ!意外でした。その先生にはその後もずーっと、わたしがそういう人に見えたままだったようです。

別の日には、シャワーの後でナースステーションにドライヤーを借りに行ったら、看護師さんに「可愛い♪」と言われて、自分では何も考えず油断しまくっていた時だったのでまたビックリしました。

え~、何だか調子狂っちゃいます。自分のことを愛らしいとか可愛いと言いたいのではないのです。普段の、ちゃんとした大人の人でいようとしている時よりも、たまたま現れてしまった素のわたしの方が愛らしい人間に見えるというのが、不思議で予想外だったのです。

今までいつも「大人なわたし」とか「きちんとした人」でいることが良いと思ってそうしていたけれど、そうでない自分でも受け入れられる。もっと素のままの自分でいても良いのかもしれないな。ピンチの時だけでなく、そういう姿でいる方が余計な力が抜けて楽なはず。

「誰かとの間で期待されるようなわたし」としてではなく、「自分自身に期待されるようなわたし」としてでもなく、ただこのままでいる「プライベートな素のわたし」の範囲を少しずつ広げていこうと思います。



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