喜びを音にするわたしなりの弾き方

 2017-04-13
今、『ヴァイオリン・マスタリー』という本を少しずつ読み進めています。音楽からだけでなく、わたしには演奏家の写真や言葉から感じることも多くあります。昨日のレッスンの時に先生とその本についてお話しした会話も刺激になって、頭の中が良い意味でモヤモヤとし始めていました。

ハイフェッツはヴァイオリンを習うようになってから憧れの存在で、以前から写真でも映像でも、特に右手の動きやかたちがとても印象的で好きでした。本の中にはハイフェッツへのインタビューもあり、今日もその部分を読みました。

楽器屋さんから持ち帰った毛替えの済んだ弓に少しずつ松ヤニを塗り、点検で駒の位置を調整してもらった相棒くんの開放弦を繰り返し弾きながらモヤモヤを頭の中で廻らせていたら、閃きというか気づきというか、言葉で上手く書けない右手の動きのニュアンスが生まれました。

ヴァイオリンの持ち方も弓の動かし方もいろんなやり方があり、外から見たらその内のどれかかもしれません。でも自分では今までのやり方とはかなり違っていて新しい感覚、最初に先生から習ったのとも少し違います。

バレエもアーチェリーも、目標にするもの(バレエでは美しい動き、アーチェリーでは真ん中に当てる)と自分なりの身体の心地良い使い方を一致させることができていましたが、ヴァイオリンではなかなかできませんでした。ヴァイオリンを弾く時にはいつも身体のあちこちに不自由さや違和感を感じていて、心の中にあるものをその不自由な動きを経由して外に出さなければなりませんでした。

技術的に未熟な上に身体の動きが悪いから上手くできないのだと思っていたけれど、そうではありませんでした。音楽を表現する時の身体の喜びとヴァイオリンを弾く動作を結びつけることがようやくできたように思います。右手を動かすという意識が無いまま、何もしなくても弓が動いて音が出たような気がしました。

その音が美しい音だったかどうかは自分では分からないし、何かおかしな弓の動かし方をしているのかもしれないし、明日になったらどこかへ消えてしまって元に戻ってしまうかもしれないけれど、わたしにとって本当に嬉しい大発見なのです。

手帳の今日の日付の欄に「ヴァイオリンを弾くということが(わたしなりに)分った日」と書き込みました。記念日にしたいくらいに忘れたくない嬉しいことです。明日になっても再現できると良いけれど。



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