仕事で感じることいろいろ

 2017-03-27
久しぶりに週末に泊りがけで舞台の裏方の仕事に行き、今日はくたびれてボーっとしています。バレエの発表会の仕事でした。発表会というのはバレエを職業としている人(教える、踊る仕事)と、将来職業とするかもしれない生徒さんや楽しみのためにバレエを習っている生徒さんなどが関わっています。そういう場にいると、いろいろ思うことや感じることがあります。

自分もこれまでいろいろな立場でこういう場を経験しているし、ヴァイオリンでは大人から始めた初心者でもあります。バレエを大人から始めたであろう方たちを見ると、「ああ、わたしもこんなふうに見えるのだろうな。」と思います。この人たちがここまで踊れるようになるにはどれだけの苦労があっただろうか。自分がヴァイオリンを思うように弾けないことや、また少し身体を動かしてバレエのようなことをしてみたら全然身体が動かないこともあり、改めてそう思うようになりました。

一方で、一流のバレエダンサーである方のお話を聞く機会もあります。「稽古で100%、120%を出してやる。それを続けていかなければ上達はない。」自分に厳しくそれを続けている方でも、歳とともに肉体は少しづつ下りに入り、それを緩やかにすることはできてもやはり下り坂にはなっていきます。

いろいろなことを感じるといつも、「では、わたしはどうするの?」と思う。誰に何も言われていないけれど、何を見ても何を聞いてもそう思う。でもわたしには、その時の自分ができる最善の練習、演奏をやること以外に、どうもできません(笑)。身体と気持ちを苦しめないところで、その日・その時のわたしにできる最大限のことをやり続ける。実際にはそれもやれていないな…。

わたしの舞台の仕事は、出演者・大道具・小道具・照明・音響といったパートの間を埋めてつなげるような役割で、何をやっているのか説明が難しいです。誰もが困らないようにする役割かな?今回は精神的なストレスは全くなかったけれど、何度も階段を上り下りして疲れました(笑)。

劇場の翌日は甘いものが食べたくなり、今日出先でいただいたドラ焼きがとても美味しかった。調子に乗って抹茶パフェを買って帰ってきました。ぼーっとしていたはずが、ヴァイオリンの練習を始めたら何だか元気になりました!音楽をやるとエネルギーの自家発電が起きるような感じです。久しぶりにそれが実感できました。


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先月我が家にやってきたミニバラに新しい花が咲きました。



自分のことが分かっていない

 2017-03-24
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。

3月に入り通常通りにクロイツェツと課題の曲を進める練習をしています。が、なんだかあまり進んでいるような気がしません。前の日に練習したことが次の日にはまたできなくなっている…。これは以前何度も感じたことではありますが、いつまでたってもそこからなかなか脱出できません。

「それでも以前よりは少しずつでも進んでいるのでは?(^^)」そう言われれば確かに少しは進んでいます。しかしクロイツェル28番の重音の部分が、数日前にはもう少しマシに弾けていたように思うのに、レッスンの日は上手く左手を押さえることができませんでした。

「今日は少し調子が悪そうですが…(^^)」様子を観察するのが仕事です、とおっしゃる先生にそのように言われて、最初は「?」と思ったけれど、いやいや、途中からチューニングが狂ったのを直そうとしても左手に上手く力を入れることができず、先生に手伝っていただく始末。なんとかレッスンで弾けるようにしなくてはと練習することで頭が一杯で、自分の不調に気が付かないという鈍感なわたし。

通常だったら「重音の部分だけもう一度お願いします(^^)」と弾き直すだろうところを、手の動きを見て難しいと思ってくださったのか、やり直しはせずに終わりました。ん~、こうしていつも大目に見てくださっているのだろうな…。申し訳ない気もするし、自分でも残念です。

ヴィブラートは肘から動かすやり方は支点となる肩が不安定なため難しいので、手首からのヴィブラートをできるようにしたい。身体を動かすのは得意なはずなのに、未だにヴィブラートが上手くできません…、とお話ししたら、「それでも以前はちゃんとできていましたので(^^)」と言ってくださいました。

そうなんだ!以前はできていたんだ!わたしはずーっとできていない人だと思っていました。肩や手の不具合で上手くできなくなっているのか…。これも自分では分かっていませんでした。できていたと言ってもらい、嬉しいと同時にちょっと複雑な気持ちにもなりました。不具合が解消されればまたできるようになるということかもしれません。でもまずは、現状のまま手首からのヴィブラートができるようにしていきたいです。

2巡目のクロイツェル11番と28番が終わり、次は12番と29番へ。久しぶりにツィゴイネルワイゼンも少し見ていただいて、ようやくミュートで弾く部分まで行きました。ここが弾けるだけでもこの曲に取り組ませてもらう意味があるように思います。(他は難しくてほとんどまともに弾けていません)この部分が弾けて幸せです(^^)。



卒業写真

 2017-03-22
息子の大学の卒業式に行きました。ツンデレ親子なので別々に家を出て(笑)、会場の父兄席で式に参列しました。座っていたら、保育園・小学校・中学校・高校の卒業式でも息子の姿を見つけて嬉しくなっていた自分を思い出しました。

4年前の入学式も、予定が空いていたので同じようにして大学の講堂へ行きました。4年前と違うのは、今日は予定を空けてでも行く理由があったこと。息子と二人で写真を撮ってもらうことになっていました。

大学の生協の出資金が返金されるにあたって、選択肢が3つありました。1現金で返金、2印鑑を作る、3卒業写真を撮る。普通に現金で返してもらうのだろうと思っていたら息子が「写真…撮ろうかな?」と言うのです。へ~、珍しいことを言うな…と思っていたら「追加料金で家族との撮影もあるよ、最後くらいする?」と。

「最後くらい」というのは、息子は今まで入学式も卒業式も写真を嫌がって、わたしと一緒はおろか彼自身の写真もほとんど撮らせてくれなかったから。学生生活の最後くらい一緒に写真を撮って親孝行をしたいと思ってくれたのだと思います。それを聞いて涙が出そうになって、慌てて他の部屋に隠れた怪しいわたし(笑)。直接口に出して言うことはなくても、奨学金も借りずに不自由なく大学へ通えたことをありがたいと思ってくれているのは分かっていました。

式が終わってしばらく後、二人で写真撮影の部屋へ行きながら、並んで歩くのが嬉しいな…。経済学部は男子がほとんどのためか、写真を撮る学生は少ないようでガラガラでした。写真屋さんにテキパキと指示されるまま、あっという間に撮影は終わりました。部屋を出た時息子に「ありがとうございました。」と言われたかな?言われたかも。肝心なことをはっきりと覚えていない(笑)。でもそんな気持ちは伝わっていたから言われたかどうかは問題ではないの。

こちらこそありがとう。わたしをお母さんでいさせてくれて。母親としていろいろなことを体験させてもらったり、いろんな気持ちを味あわせてくれて。大切なものを傲慢に自分のものにはできない気がして、生まれたばかりの赤ちゃんの時から大好きだけれど大切過ぎてちょっと距離を取るような感覚がありました。それを感じて、きっと彼もわたしにそうしてきたのだと思います。

4月から社会人になるのでこれでひとまず母としても卒業で、今後は今まで以上に同居人っぽい関係になる予定です。とは言っても「朝起こしてください」とか、「お腹空きました」とか、今までと同じような生活が続くと思います。



まだ筋トレ未満です

 2017-03-21
2週間ほど前から、左肩のリハビリのために近場の整形外科に通っています。特に悪くなったというのではなく、より良い状態にするために始まったことです。そうなんだよな、強く希望したというのではなくそんな流れになりました(笑)。もちろん、より良くなりたいという希望は大いにあります。でも今までどうするのが良いのか分らなかったのです。

初診の時には、現状把握のために痛いことやできないことをやらされて、一時は調子が悪くなりできていたことができなくなりました(笑)。MRIを撮りに別の施設へも出かけましたが、その結果は大学病院の方に送られているので来月にならないと分かりません。でもそれは念のための検査で、たぶんなんともないだろうなぁと思っています。

新しく通い始めたリハビリの整形外科というのは運動療法を主体にしたところで、わたしの現状に合わせた運動メニューを自宅で行い、週2回程度行って理学療法士の先生に身体の調整と、運動の指導と成果のチェックをしてもらっています。スポーツジムのように機械やマットや鏡があります。

以前入院時にしていたリハビリも好きだったけれど、やっぱりこういう練習系(?)が好きなんですね、わたし。今やっている宿題は、まだ肩をどうこうするところまでは行かず肩甲骨や脊椎をたくさん動かせるようにする運動と胸式呼吸です。現時点では力の弱いところは無理に動かさず、使える筋肉でそれを補う練習をしています。これがかなり面白いというか興味深いです!先生が触っている場所に力を入れて意識を向けて動かすとできます!

動きの良くないところ以外は、言われたことはわりとすぐにできます。こんなふうに身体に指令を出して動かすことは得意な方です。目的の動作と使う筋肉の場所がまだ上手くグルーピングできていませんが、新しい身体の使い方をインプットしていくことは面白いです。身体を動かすのは得意なのに、ヴィブラートが上手くできていないことがとても不本意です…。もっとじっくり取り組んだ方が良いかも。できるようになりたいな…。

ヴァイオリン弾けているのにリハビリ?と思われるかもしれません。ヴァイオリンを弾くのだけは調子がどうであっても(多少無理がある時も)ずーっと続けているので、そのための動きはずーっとリハビリを続けているようなもので、身体の方でも自然と代替手段を駆使できているようです。ただ、それでも無理があるところもあり、上腕骨が前にズレている状態のまま弾いています。

今のところそれは改善できていませんが、胸式呼吸の練習の成果か左の胸郭を広げられるようになり、息が楽にできるようになっただけでなく、楽器を下側から支える感覚が少し戻ったかもしれません。ヴァイオリンから身体に伝わる振動に共鳴する空間が広くなったかもしれず、音が良くなっているかもしれない。(←ただの気のせいかもしれません、笑)



『シーモアさんと、大人のための人生入門』

 2017-03-18
久しぶりに映画を観ました。『シーモアさんと、大人のための人生入門』です。公式サイトはこちらかな?→ http://www.uplink.co.jp/seymour/


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かなり前から公開されていて、テレビで取り上げられているのを見て知り、先月友人にも勧められました。そろそろ観られるところがなくなっていまいそうなので行って来ました。

ドキュメンタリー映画なので話の筋や結論はありません。89歳のピアノ教師・シーモア先生の言葉が散りばめられた美しい詩集のようでした。行く前から、わたし、きっとこれを絶対に好きだと思っていて、ウルウルしてしまうのが分かっていたのでなかなか観に行かれませんでした(笑)。

その昔、6歳のシーモア少年は家でピアノを弾きながら、その曲のあまりの美しさに涙が出たそうですが、それを話すシーモアさんを見ながらわたしも泣けてきちゃうのです。年齢に関わらず音楽を理解することはできる。同じ年くらいの頃、家の板の間で音楽に合わせてクルクルと踊っていた自分のことを思い出しました。

美しい音楽が好き。それに呼吸を合わせて一緒にいるのが好き。音楽を聴いて湧きあがってくるものと共にあるのが好き。「音楽は神さまの言葉」というのは本当にそうだと思います。その神さまは外にいるのではなく「心の中の源泉」であるともシーモアさんは言います。

そんな言葉に触れたら、わたしはもう本当に嬉しいのです。家に帰る途中でも、帰ってからも、何度もいろいろ思い出してはウルウルして、目が真っ赤になりました。消化するのに時間が掛かってなかなか文字にできませんでした。

神さまの言葉をクラシックの音楽にするには技術が必要で、それがなければ美しさを再現することはでない。毎日の積み重ねが大切だとも言っています。それが充分にできない自分にもまたウルウルしてしまう…。

毎日の練習を音楽と共にある喜びと切り離してしまっていることに、苦しさがあるのです。それは決してカイザーやクロイッエルの教本から強要されていることではなく、自分がそうしてしまっているのだな…。どんな曲にも喜びや感情が動く要素はあるのです。

このところ、ヴァイオリンの体験会や演奏の会で、わたしがなぜヴァイオリンを弾こうと思ったのかを話すことがありました。それは音楽を聴いた時に湧き上がるわたしの中の何かを表現したいから。それが以前はバレエで今はヴァイオリンになっている。バレエをやる人、楽器をやる人が誰でもそんなふうに思っているわけではないと思う。でもわたしは何度そこから離れても、やっぱりやりたいと戻ってくるのです。

英語は苦手でよく分らないけれど、映画の中で何度も「gift 」という言葉が出てきて、字幕では「才能」と訳されていました。自分に音楽の特別な才能があるとは全く思えないけれど、音楽へのこの気持ちは神さまがわたしにくれた贈り物なのだと、初めて思えました。

与えられたということは「それを使いなさい」ということです。使い方がよく分らないけれど、もうあれこれ言っていないでやります。また書きながら目が真っ赤になってしまっています(笑)。やっぱりこんなふうになるのは普通じゃない。ここにわたしの何かがあるのでしょう。

この映画は東京では来週25日から一週間、下高井戸で観ることができます。あとは逗子とか。オンライン上映というのもあるようです。



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