ひとりでリハーサル

 2016-06-30
来週、ヴァイオリンを弾く小さな会を予定しています。
今日は会場の下見を兼ねてひとりでリハーサルをしてきました。


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こじんまりとしたスタジオです。
ピアノがあるけれど使わないので、どっち向いて弾こうかな…と、
弾きながら歩いて音の良さそうな場所を探し(広くないのであまり変化しませんでした)、
試しにイスを並べたり、テーブルを移動したり…。

方針が決まったので、あとは普通に練習を。
リハーサルというほどまだ完成度が高くないです。本番は1週間後だけど。
今週は急遽予定が変わって、いろいろなことをとっても頑張っていますが、
練習はあまりたくさんできていません…。

こじんまりしているとは言っても、普段練習している部屋より広い&響きます。
そういう場所で弾くと、ちょっと良い音に聴こえて嬉しくなります。

どんな感じなのか、練習しているのを録音しました。
自分の音を「イヤだな~」と思わずに、客観的に聴けました。
やっぱり弾きながらでは気がつかないことがたくさんありますね。

身内のような親しい人に来てもらって、リクエストしていただいた曲を弾きます。
わたしのヴァイオリンを初めて聴いてもらう人もいます。
でも今までと違って、焦ったり追い詰められたような気持ちにはなっていません。

大丈夫なのか…?
多分大丈夫なんじゃないかと思っています。
うまく言えないけれど、自分が今までと少し違った段階に差し掛かっているような気がしています。
クラシックのヴァイオリンの曲ではないので気持ちが違うのかもしれません。

なんとなく、このままそーっと刺激しないで当日を迎えたい気がしています。(笑)
もちろん気になっているところは改善できるように練習しますが。
安心できる人たちの前で、相棒くんと歌えたらいいなと思っています。



自分の音が好きなんだ

 2016-06-28
先生にお願いして、レッスンで「白鳥の湖」のグランアダージョに取り組んでいます。
週末のバレエの仕事で、久しぶりにその曲がありました。

録音再生のヴァイオリンの演奏は、自分のイメージとはかなり違っていました。
あっさりしていて元気っぽいし、素っ気ない。(笑)
わたしと違って、音が外れたり指が回らなかったりはもちろんないけれど、あんまり好きじゃない。
自分の頭の中にある演奏が相当気に入っているんだなぁ。

レッスンでは、区切って細かく見てもらい、先日最後まで終わりました。
使っている楽譜には弓や指について何も書かれておらず、
指は自分で考え、弓順は楽譜のスラーの通りに弾いていましたが、
一通り曲を理解する練習ができたので、弓が苦しいところは変更して良いことになりました。

何度も練習するうちに、頭の中の音楽がどこかへいなくなってしまって
好きなはずの曲でも、なんとなく元気がなくなって来るのだけど、
仕事で聞いてテンション上がったので、やる気が復活しました。

弓が苦しかったところを変えてみたら、なんだか好きなフレーズになりません。
指と弓の関係が変わってしまって上手く弾けない&イメージが違ってしまいます。
あともう一本指があったら問題ないのだけど。(笑)

頭の中の妄想はかなり完成されたものみたいで、変更が難しい。
弾きながら自分の相棒くんからその音が出てきているような気になっています。
わたしは自分の音が好きなんだ…。
↑結局、ぜんぜん自分の音を客観的には聴けていません。(笑)

普段弾きながら自分の音をチェックしてダメだししているけれど、
同時に良い音が出ていると思うことも、自分の音、好きだなぁと思うこともあるのです。
そう思えないで弾いている時は、きっとつまらない音楽になっているのだと思います。

人に「どうだ!」と主張するのとは少し違うけれど、
そう思いながら弾くことで音楽が動き出して、わたしの薫りが表れる。

先日、舞台袖から踊る人を見ながら、その人の薫りや抑えた色気を感じました。
同じことをやっても皆違う。良い薫りがする踊りや音楽が好き。



元通りに弾けるように

 2016-06-24
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。

レッスンで先生にみてもらうのは、
できないことをできるように&より良くするための考え方を教わるだけでなく、
調子を崩した時に元に戻せるようにしてもらうこともあります。
昨日は後の方を重点的に。

左肩の調子が良くなかったのだけど、右手の弓まで様子がヘンでした。
身体も気持ちも全部が影響し合っているのだろうな。
「右手は何か…?(^^)」と尋ねられました。
いえ、何ともありません。(笑)

調子の良くない時には一段階戻って、習い始めの頃やっていた練習をしてみます。
そうやりながら、その日の状態で出せる一番良い音まで連れて行ってくれます。

無理なくヴァイオリンを構えようとすると、とても横に行ってしまいます。
そういう場合の弓の使い方を改めて教わって…、
わたしはいろいろなことに対応できる人になれるかもしれません。

ヴィブラートの練習は普段のような音が出ました。むしろ良いかも?
ん~、余計な力が抜けているから???いつもは何が邪魔をしているのだろう?

通常通りクロイツェルは2巡目の3番と1巡目の26番を。
2回目なのに3番は全然ダメで、新曲の26番は「とても良いです(^^)」と言ってもらいました。
練習しない日が多かったので、新曲だけすごく頑張ったから。
練習すればしたなりに弾けるということですね。その逆もだけど…。

レッスンしながら肩の様子は変わらなくても、
気持ちは次第に元気になって、何となくいつも通りに近い音が出てきました。

わたしは本当に「気持ちの人」なんだなぁ…と思う。
自分でダメだとかできないとか心細いとか感じていると、その通りにダメになっちゃうし、
本当にできると思ったら現実的な問題とは関係なく、たぶんできるのだろうと思います。

もっとメンタルを鍛えればいいのか…。
それだけでなく、練習すれば弾けるのだから練習もします。(笑)




出てくる音を評価しない

 2016-06-22
先日の事情聴取(笑)の時、
ヴァイオリンの何が好きなのか?というようなこと聞かれ、
(具体的にどう聞かれたかは忘れました、笑)
「出てくる音を評価しないで、音楽とヴァイオリンと一緒になって弾いているのが幸せ」
と答えていました。

普段練習をしながら、自分が出した音について、
音程が合っていないとか、響かせられていないとか、弓が良くないとか…
常にダメだしを続けています。

先日のレッスンでも、自分の音を客観的に聴きながら弾くと教わりました。
「客観的に聴く」とは、聴いた音と望む音の違いに気づき修正していくということ。

きっと上手くなっていけばいくほど、自分へのダメだしの精度は上がっていくのでしょう。
あのハイフェッツでさえ、演奏が終わってから
「ここが良くなかった、上手くできなかった」と言っていたそうです。

そういうどこまで行っても終わりのない道を、わたしは進んで行きたいのか?
本当はそうじゃなくて、どんな演奏でも「それでいいんだ」と思って、
というか、それさえも考えないで、ただ弾きたいのだと思う。

自分の音を評価しながら弾くことを否定しているのではないのです。
「ただ弾いた」時にわたしの望むような音が聴く人に届いたら良いな~とは思うのです。
評価せずに弾くことができたら、自分ではそうなのかどうか分からないのだと思うけれど、
評価しながら練習しなければ、望む音は出せないのではないか?と今は思うから。

普段の練習をしながら、「ただ弾く」境地に行かれるのかな?
誰かの前でそうやって弾きたいなら、その練習も必要なのかな…?

また、ぐるぐるモードになっているのかもしれませんね。
でも、大事なことなのです。
きっと、うまく両立して進んでいけるとも思っています。

以前やっていたフリースタイルでユーモレスクを弾くのは、今はやっていません。
「こんな気持ちで弾きたい」という衝動のようなものは、
普段の練習でも少し解消できているような気配もあるんだよな。

先週は数日間ヴァイオリンを触りませんでした。
仕事や体調や気持ちの問題(笑)などあって。
どんな理由であれ練習しなかったことには変わりないのだ、と
自分につれない言葉を掛けていじめるのは得意だけれど、
また練習できるようになっているのだからそれでいい、と思っています。



何で泣いてるのか分からない~(笑)

 2016-06-19
「あなたの魂があなたに伝えたがっていることを絵で届けます。」
というブルーミングソウルイメージ。
のりま・えるまののぶこさんが、個展のためドイツから来日しているのに合わせてお願いしました。

絵を描くために事情聴取(笑)があって、
好きなことやこれまでのエピソードなどを思いつくまま聞かれるままに話します。
わたしは、どうしたってヴァイオリンの話しになるでしょう。


バレエもヴァイオリンも、西洋の芸術は磨いた技術の高みで神に出会うことを目指すもの。

でも神さまは、そこまで行かなければ会えない遠くに居るのではなくて、

本当は誰のそばにも一緒に居てくれている。

自分が神さまの分身として創られたならば、

未熟な技術の今のわたしのままでも、神さまの分身としてヴァイオリンを弾いたなら、

聴く人の同じ部分にきっと届くと思っている。


これまでここに書いた事はなかったけれど、いつからかそう思うようになっています。
何度か人に話したことはあって、その時は何でもなかったのに、
今回は途中から涙が出てきてしまいました。

「なんで泣いているの?」と聞かれても
「自分でも、なんでだか分からない~。」という間抜けな答えになっちゃいました。(笑)

今考えると、たぶん自分の魂に向かって話していたのかな。
それが聞けて、嬉しかったんだと思う。

不信心なくせにいつも神さまとか書いてしまって、どうかなぁ~と思うのだけど、
そのくらいわたしには特別な存在ではなくて、身近に思っているということかな。
信じている宗教はないけれど、自分流の信仰はあるのです。

絵はドイツに帰ってから描くそうです。
ゆっくり楽しみに待っていようと思います。



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