忍耐が要る訓練です…

 2016-04-28
今日はヴァイオリンのレッスンへ。

2巡目のクロイツェル2番と21番。
先に弾いた21番は、休符から始まるために何度練習してもリズム音痴になっていて、
レッスンでもそうなってしまい、前半だけ弾きなおさせてもらいました…。

で、クロイツェル2番なのですが…、
「良い音程と音色で、うまく響くツボで弾くように(^^)」と言われ、始まりました。
弾いては止まり、弾いては止まりを繰り返しながら
良い音が出るポイントで弾くこと、上げ弓と下げ弓が同じであること、
音を繋げること、力は入れ過ぎず緩めることを、何度も細かく指摘してもらいました。

自分では自覚が無く、先生に言われなければ気がつかない箇所もたくさんありました。
ん~、自分が今まで出していた音はなんだったのだ?
一瞬、得意の自虐モードになり、レッスンの途中でため息が出てしまいました。
先生スミマセン。
今までがダメだったのではなく、今よりもっと思うように弾けるための提案なのですよね。

これだけ細かく音を止めて指摘をするのは、教える方も相当大変なことです。
それも怒ったりせずに丁寧に冷静に、でも手を緩めずに。
教える側も教わる側も疲れたと思います…。

均質に均一に音を出すだけで余計なことを一切しない。
この「だけ」というのがものすごく難しいことなのですよ。
ああ、またため息出そう…。

先月うまく音が出なくて落ち込んだ後から、
家では開放弦の上で弓だけ動かすような練習もまた少ししているけれど、
それと同じことを曲の中でやる練習と思えば良いのですよね。

ヴァイオリンの練習は、相当忍耐が要る訓練です。
ヴァイオリンに限らずそういう訓練が必要なものはたくさんあるでしょうけど。
自分の好きなメロディーを自分が思う美しい音で弾くためには必要なこと。
ちょうどわたしができるようになりたいと思っていたことだからやらなくちゃ。



ランチをごちそうになる

 2016-04-26
わたしの周りにはユニークな人が多くて(類は友を呼ぶ?笑)、
友人の思いつきを支持して、
「私たちに今日のランチをごちそうしてください」という文字の書かれた紙と共に、
六本木の街に立ちました。

思いついてやりたくてドキドキワクワクするけれど一人では…というので、そのお手伝いです。
何でそんなこと?と思うかもしれないけれど、
「やってみたい」という以外にあれこれ理由は必要でしようか?

「こんなことするなんて緊張する~!」という友人を見ていると、何の罰ゲームかと思うけれど(笑)、
これがやりたいことだというのです。面白~い。
わたしだって緊張するけれど当事者意識が薄いので大丈夫。

初めは道行く人に見られていると感じて少し怖いような気がしていたけれど、
だんだんその反応を観察するのが面白くなってきました。こちらが観客の気分。

お金に困って今日のご飯も食べられないようには見えないないわたしたちを見て、
呆れたような顔、不快そうな顔、???でいっぱいになってる顔、目をそらす人。
「面白いことやっていますね。」と通りすがりに声を掛けてくれた男性。
遠くからニッコリうなずく年配の男性などもいました。

小一時間経ったころ、小柄な女性が突然目の前に現れました。
手に千円札2枚を持って「これでご飯食べてください。わたしもうご飯食べちゃったので」と。
黒っぽいシャツとパンツにサングラス、
スタイリストさんのような格好の、自分たちより少し若い女性でした。

通りかかった男性がわたしたちをどこかに連れて行ってくれてご馳走になる、
という展開を、な~んとなく予想していましたが、
それと全く違うこの「現金で」という突然の展開にビックリです。

その女性は「時間が無いので」と、すぐにその場を立ち去ってしまいました。
動揺してしまっていたけれど、きちんとお礼が言えていたかな?わたしたち。

友人と二人で近くのお店に行き、そのお金でランチをご馳走になりました。
お金は汗水たらして働いて手にするもの、商品や労働、サービスの対価として受け取るもの。
友人はそういう価値感とは別の体験がしたかったのだそうです。
「欲しい」と頼んで、ただ受け取る。求めに応じて、ただ差し出す。
そんな世界があってもいいのではないか。

困っている人がいるから助ける、寄付をするということは、似ているようでちょっと違う。
お金を差し出してくれた方は、どうしてこんなことをしてるかなど何も聞かずに行ってしまった。
こういう世界が本当にあるのだと、教えてもらえました。
自分も片棒を担いでおいてなんだけど、不思議な体験でした。

知らない人にさしたる理由もなくご飯をごちそうしてもらおうなんて、
経済社会の仕組みでは反則行為かもしれません。
でも、それが特別なことでなくなる日がいつか来るのではないかな~?

誰かのためになるから、何かの役に立つから、ではなく、
「ただやりたいからやる」という動機から動く世界に、いつかなると思っています。



音の凸凹を揃える

 2016-04-25
先日のレッスンで、先生に駒の調整をしてもらっただけでなく、
弓で弦のどこを弾くか(駒からの距離)についてを丁寧に教わりました。
前にもお話してもらったことがあったけれど、
『白鳥の湖』の曲を好きな音で弾きたいと思って、D・G線をオリーブの弦に換えたので、
勝手が変わり、ちょうど良いタイミングかもしれません。

まずは音程が合っていないと良く響きません。
良い楽器ほどそれがシビアに反映されるようです。
それに加えて駒からどのくらい離れた位置を弓で擦るかによっても音は大きく変わります。
これは弦の種類でも変わり、なおかつ一音一音で変わります!!
あー、あと弓を動かすスピードでも変わってしまいます。

いやぁ…、本当に細かいことで、わたしには実行不可能か?と思われます。
でも、フレーズの途中でどうも好きじゃない音質になってしまう音が
そういうことに気をつけると少しは前後の音に違和感なく音が繋がるような気がします。
実際にできているかは良くわかりませんよ。気のせいかも…。

今練習している『白鳥の湖』の「グラン・アダージョ」は、
(もう面倒くさいからいつも呼んでる名前で書きます)
踊りの動きとヴァイオリンのフレーズの流れを、自分なりに同じようにしたいと思って、
フィンガリングや弓を決めました。

それでもなんだか凸凹ギクシャクしてしまうところがあります。
もちろんわたしの弾き方でそうなる部分が大きいけれど(音程合ってないし)、
ファのシャープは音が出にくくあまり響かないのに、
続いて半音上のソを弾くと静かな音にしたくても良く響いて大きくなっちゃう。

ヴァイオリンという楽器の特性か、音の高さによって響き方が違うのは前から感じているのです。
ただ、それを修正(?)しながら弾くというのはもう本当に職人技です…。
ソが響きすぎるのはどうしたらいいのか自分では分かりません。

楽器の調整で直してもらうのがいいのかな?
でもそれをやってもらうほど自分が音に神経を使えているかは分かりません。
他の曲だったらあんまり気にならないのだろうなぁ。

好きだけどうまく弾けなくて、最初の部分ばかり何度もやり直すので
全然進まなくて、後の方は手薄になってしまう…。



マニアックなヴァイオリンの世界

 2016-04-24
いつもお世話になっている弦楽器屋さんの展示会で、会長さんの講演を聴きました。
このところなかなか予定が合わず、お話を聴けるのは久しぶりです。

5分前に会場に行ったら、既に前の方に座っている人たちがいました。
ヴァイオリンを弾く人というよりも、きっと作る人たちかな?
それなりの年齢の男性ばかり10人くらいが、板を削る会長の実演を見ながら待っていました。

何度聴いてもいつも大体内容は同じです。
「ストラディヴァリを再現したい」それに尽きます。
わたしはヴァイオリンを作る人ではないけれど、
どう作ったらストラディヴァリのような音の出る楽器になるのかを聴くのが好きです。
というよりも、あの方の夢を追い続ける熱意に触れるのが好きなんですね、きっと。

裏板と表板の厚さ=硬さの違いでそば鳴りの楽器になったり遠鳴りの楽器になったりする。
後からニスを塗りなおしてある場合などはニスの厚みで板が硬くなる。
ストラディヴァリでも後から間違った補修をされていれば音のバランスは変わってしまっている。
いやぁ~、ホントにもうこういう話は面白いんです、わたしには。

先生のオールドのヴァイオリンは大きな音がするけれど
耳元ではわたしの相棒くんのほうが大きな音が出ているように感じます。
ん~、後から雑に塗られてしまっているニスを剥がしたらどんな音になるのだろう?
相棒くんももっとパワーアップして、先生の楽器みたいになるのかな?
いや、もう結構剥がれているから変わりないか…。

ヴァイオリンは本当に職人の世界だな~と思う。
作る人、調整する人、弾く人も。
展示会へ行くと、必ず美しい音で弾く人がいます。
あ~、また自分とは世界が違う音だなぁ…と少しガックリするけれど良い刺激になります。
ああいう音を出すことも、本当に職人技です。

先日のレッスンでその職人技的なことを改めて教えてもらいました。
難しい曲を弾くことだけでなく、きれいな音を出すことも職人芸だと改めて思います。


IMG_4651 (1024x768) 上塗りニスも剥がれてる相棒くんの背中



歴史の中の一粒

 2016-04-21
今やっている『白鳥の湖』の曲、
ちょうど先日テレビでやっていたN響コンサートでは「パ・ダクシオン」となっていて、
それ以前にも検索したら「swan lake pas d'action」というタイトルのものがかなりありました。

でもわたしは「パ・ダクシオン」=情景のようなつなぎのような演技の部分という認識なので、
この有名な踊りをそう呼ぶことに違和感があり、不採用にしていました。

先日の仕事の時に、わたしから質問したのではないけれどたまたまあの踊りの話になり、
バレエの著名な先生からとても納得のできる答えをいただきました。
もともとは独立したパ・ド・ドゥというよりも、もっとドラマティックな演技的な踊りだったとのことです。
あ~、そうだったんだ…。
時代と共に踊りや解釈は変化してくるものなのだろうな。

先日見つけたこの動画、パールマンがヴァイオリンを弾いてマカロワが踊っています。
とってもドラマティック過ぎて、普段わたしが知っているものとは全然違います。
でもこれで合点がいきました。
できるかどうか分からないけれど、こんなふうに弾くのが本当かもしれません。





その先生は同席していたバレエを職業としている人たちに、
クラシックバレエを仕事としているということは、自分もその歴史の中の一粒である。
もっと勉強してその歴史を理解しなければいけない、とおっしゃっていた。

クラシックというのはそういうこと。
わたしはバレエの裏方の時にはバレエの歴史の中の一粒に、
ヴァイオリンを持ったら、ヴァイオリンの歴史の中の一粒になるのかな?
ヴァイオリンは職業じゃないし、王道からははるかに外れた道を進んでいるけれど、
端っこのほうにある歪んだ一粒にでもなれたら嬉しいな。

こういうことを書くときには、間違ったことを書かないように調べます。
そうしたら、また興味深いものを見つけてしまいました。
図書館の本を予約したので、そこに本当に書いてあったら報告します。

仕事も一段落して、その後少しゆっくり休んで体調も戻りました。
ヴァイオリンもようやく昨日から普段通りの練習をしています。



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