美しい桜の木

 2016-03-31
わたしの場合は、モヤモヤしたり落ち込んだりしても、
いろいろいじくらずにそーっとしておけばそのうちなおります。
それについては自分のことを信頼しています。

積極的に気分転換することはあまり得意じゃないけれど、桜を観に行きました。
去年行きそびれた六義園のシダレザクラを見ようと出掛けたら、
あまりの人の多さにグッタリしてしまい、その足で去年も行った染井霊園へ行きました。


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たくさんある中で、この桜の木が好きです。
塀で囲まれたお墓におじゃまして、ゆっくりと写真を撮らせてもらいました。
静かな場所でそうしていると、わたしも静かな気持になる。

「この桜の花が可憐で美しいのは、この木が美しいから。」
帰りの山の手線の中で、急にそんな言葉が思い浮かびました。
文字にすると当たり前すぎるけれど、そうなんだ!と気が付きました。

この木の美しさは、枝振りとか根の様子といった具体的な形ではないように思います。
だって壁に囲まれていて他の木も周りにあって、全貌は良く見えないのです。

そばに居ると、自分の心が澄んできれいになっていくような気がする。
それがどうしてなのかは良く分かりません。


花は色も薄く、枝にはまばらに咲いています。


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そうなんだよな。
わたしが生き生きとしていればそういう音が出てくる。
わたしが美しい心でいれば、美しい音楽になる。
どこがどう美しいのかと尋ねられてわからなくても、きっと誰かが感じてくれる。

六義園でグッタリして良かったかも。
そうじゃなかったらこの木に会いに来なかったかもしれないから。



相棒くん(ヴァイオリン)がよそよそしい

 2016-03-29
先日のレッスンのあと、弦を換えたりして気分転換をしようとしたけれど長続きせず、
次の日にはなんだか相棒のヴァイオリンのようすがヘン…?

相棒くんがただのモノになったような感じ。
元々モノには違いないのだけど、意思の疎通ができないような。
そっけないとかよそよそしいという次元じゃなく。ん…、うまく言えないけれど。

「魔女の宅急便」で黒猫のジジが急に言葉をしゃべらなくなって、
普通の猫みたいにニャーと鳴く場面を思い出した。
主人公のキキが魔法を使えなくなって、ほうきで飛べなくなった時のこと。

自分が今まで魔法を使えていたとは思わないけれど、なんだか世界がシラーっとしています。
仕事もヴァイオリンも、どこへ向かうのかさっぱり分からない気がして、
自分は何をやっているのだろう?と思います。

音が死んでいたら、わたしは何の取り得もなくなってしまうなぁ。音痴だし、弓も下手だし。
そう思ったら、音痴で弓が下手なことをそのままにしていて良いのか?と。
え~!こんな時に追い討ちをかけるような心の声です。(泣)

今まで練習をしながらそういうことにもっと注意を払っていたら、
もう少し上手になっていたかもしれません。
練習の方法や意識の持ち方が間違っていたのかもしれない。
そう思って、鈴木の教本の一巻を取り出して、「キラキラ星」を弾いてみたら、
これが撃沈でした…。音程も弓も満足にできない…。

でも、「落ち込んでいます、引きこもります…。」というのとはこれまた違っています。
「わぁ~、もうヤダ~ッ!!」とか暴れたら発散できるかもしれないけれど、ウソくさいし。
そうならない自分を、なんだか不自由だなぁ…と思います。
↑これが正直な今のわたしの気持ち。

仕事の予定もあるし、ヴァイオリンの練習もたくさんではないけれどしています。
花屋さんをのぞいてみても気に入ったお花に出会えず、まだ買っていません。
買ってくるんじゃなくて、この季節なんだし、お花見に行けばいいんだ。

なんだかグチのようなことばかりツラツラと書いてスミマセン。
お付き合いいただいてありがとうございます。



音が死んでいる

 2016-03-25
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。
今回は練習不足のため、家を出るギリギリまで練習してから出掛けました。

音楽をするには身体以上に心のエネルギーが必要だと感じました。
先日の舞台の手伝いのあと、気力が少なくなって心が重たく硬くなったのが戻りません。

「すごく引きこもった感じの音になっていますので(^^)。」と言われ、
「ホールの後ろの方まで届くように(^^)。」と言われても良くならず、
「ん~、今日は音が死んでますね、ダメですね(--)。」

先生は良いときは良い、悪い時は悪いと、
言っていることはそれ以上でもそれ以下でもないと分かっているのですが、
昨日はわたしがやっぱりどこかおかしかったみたいで、
見捨てられた子犬のような気持ちになり、どんどん緊張してきてしまいました。

いたたまれないような気持ちになるのは、
過去の別の体験で感じた感情が、まだどこかにあるのだろうと思います。
(昔のバレエのレッスンとか、他にもいろいろ…)
今、目の前で起こっていることとは関係無いのに、そんなふうになる自分に戸惑い、
クロイツェル19番はいつもできている事ができなくなり、間違えたりつっかえたりしました。

他には1巡目のクロイツェル13番と今回から新しい曲を。
レッスンが終わる頃には、緊張マックスの状態ではなくなったけれど、
いつものような音にはならなかったと思います。

今まで体調があまり良くなくても、どこかを怪我して痛くても、
こんなことは無かったのでちょっとショック…。
それ以上に、自分の気持ちの反応に大きなショックです。

少しゆっくりして、時間が経ったらいつもの調子に戻ると思います。
今日もまだダメだ…。なんかヘンです。
またお花でも買ってこようかな。



自分を大切にしていなかった

 2016-03-22
ちょっとしたことがきっかけで、専門外のジャンルの公演をお手伝いしていました。
それに関わっているひと月あまりの間、なんだかモヤモヤとしていて、
どんどん好きじゃないわたしになっていくのを感じていました。

ほとんどの人が「はじめまして」の環境でそんなことするなんて、チャレンジャー過ぎです。
自分で了承して引き受けたことだけれど、
どうしてそこにいるのか、そこで何をやっているのか、途中から良く分からなくなりました。

全部が終わり駅から家へ歩きながら、ようやくその理由が分かりました。
わたしがわたしを大切にしていなかった。
わたしが自分の仕事を大切にしていなかった。

規模が小さくても、表立ってやるべきことがそれほどなくても、
仕事にしていることを、「手伝う」というかたちでやってはいけなかった。
その立場でそこに居るということは、とても大きなエネルギーが要ることなのに。

わたしはいつまでたってもいろんなことを良く分かっていない。
やってみないと分からないんだなぁ…。

演目は本当に味わい深く、好きな作品でした。
公演は大成功で、今後はもっと大きく育っていくことになるだろうと思います。
そのためのプレゼンのような公演でした。

でも、自分が仕事の立場でそれに関わることは、わたしの喜びとは少し違った。
あんなに素晴らしい作品に関わらせてもらっても、
肩書きのある仕事をすること自体にやはり魅力を感じないということも、改めて分かりました。

そんなことを考えているわたしでも、ご出演の方たちからは
「優しい笑顔に癒された」とか「気遣いが嬉しかった」と言っていただきました。
もしかして怖い顔してたんじゃ?と思っていたので、ちょっと不思議な気持ちだけれど、
一番大切にしたいと思っている人たちからそう言ってもらえて、
わたしが居た意味が少しはあったのかもしれないと思えました。

良く考えれば分かりそうなことでも、やってみないとわからない。
わたしは相変わらず体験型の人なのだなぁ…と改めて思いました。でもちょっと疲れたな。

新しい体験と学びをありがとうございました。



できない理由を探さない

 2016-03-16
少し前にアーチェリーをやっている夢をみました。
久しぶりに的に向かっているわたし。
「どうやって射つのか忘れちゃったな…」なんて思いながら、
でもその瞬間、あの感覚を思い出して矢を放ったら、まっすぐに真ん中へ飛んでいった。
「やっぱりね。」と心の中で思った、という夢。

今のところまたアーチェリーをする予定はないけれど、
実際に射ってみたら夢と同じことが起きるのではないか、と思う。
この自信はどっからくるの?と思うけれど、そうなんです。

わたしがそう思っているのだから、そういう現実が生まれる。
無理やりそう思い込もうとしているのではなく、
ずうずうしくも当然のようにそう思っているんだから、そうなるだろうと思います。
そうならなくても、そうならない現実の方が間違っていると感じて、そうなるまで練習すると思う、笑。

ヴァイオリンではどうしてそうならないのかな、と以前から思っています。
自分で貼った「自分は上手く弾けない」というレッテルは、
できないことのいい訳にはちょうど良いから、なかなかそこから抜けられないのかもしれません。

子どもの頃からやっていないから、楽譜が苦手だから、できない理由を探せばいくらでもあるけれど、
それが何の役に立つというのだろう?
わたしが上手にヴァイオリンを弾けるようになったら、何か不都合なことがある?
ちょっと真剣に考えてみたいと思います。

「できない、できない!」と思いながら、ただやみくもに練習するよりも、
こういうことをきちんと整理した方が良いのではと、改めて思いました。
相変わらずちょっとおかしなことを言っているのは分かっています。
でも、わたしにとっては大切なことだから。

今練習中の2巡目のクロイツェル19番は、以前よりも指が動かしやすくなっているように感じます。
手や肩のことも、できないことのいい訳にしてはいけないのです。

良くも悪くも、わたしが思う「わたし」になっていく。
この力は本当にすごいのだと、体験を通して感じています。
だから最初の設定をもう一度改めたいと思います。
何度も何度も、新しいわたしになるんだ。



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