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皆のもの、わたしの演奏を聴くが良い

 2016-01-14
今日は今年最初のヴァイオリンのレッスンでした。
2010年の1月からヴァイオリンを始めたので、
数えてみたら丸6年が経ち、これから7年目がスタートします。

これまで長期のお休みはありませんでしたが、途中の数年は肩や手の不調があって、
とりあえずヴァイオリンの音を出せるだけ…という現状維持の時期もあったので
それなりに、出来る範囲で進んできたという6年です。

今日からは小学校を卒業して中学生(笑)。
良い機会なので、先生に自分の良いところを教えていただきたいとお願いしました。
できないことは数え上げればきりがなく、山ほど思いつきます。
だから、厚かましいとは思いながら自分では良く分からない良いところを知りたいと。

もし大して良いところがなくても、先生なら何か見つけてくださるに違いない。
「他の人よりもかなり良い音で弾けていると思います(^^)」そう言ってくださいました。
もちろんいつもというわけではないのは自分で分かっていますが、嬉しいです。
変なお願いしてスミマセン。でも聞いてみて良かった。
これでまたしばらくは頑張れます!

「今後の課題としては…、」
そうですよね。良いところのお話だけではね。
「上手い人のようにバリバリ弾くには曲の経験量が必要です(^^)」
「今後の課題としては、技術の確実性と押し出しの強さですね(^^)」

押しの強い演奏については、
先日の教会での演奏の録音を聴いていただいた時にも指摘してもらい、
聴きに来た母にも「もっと堂々と弾いたら良いのに、控えめで遠慮っぽい」と言われています。
「ソリスト的な演奏を求めるとすればそこは必要だと思います(^^)」

そうなんです。
以前からも「小動物のようではなく、大柄な人になったつもりで(^^)」とも言われています。
ちょこまか、セコセコしている弾き方だから。
「良い意味で厚かましく、わたしがわたしが!と弾いた方がヴァイオリンらしくなります(^^)」とも。

と言われているそばから、
「ではクロイツェル8番から(^^)」と言われて楽譜を開いたら
それだけで気持ちが引けて、「狭い部屋に入っちゃったような気持ちになります。」とわたし。
音を出す前にそういうところに行ってしまうからそういう音が出てしまう。
ただ単に、気構えの問題なのですが…。

「聞いて聞いて!」とか、「聞け~!」という感じで弾くのだそうです。
そうか…。ジャイアンみたいな感じ??
わたしはつい遠慮っぽくなってしまうので、
「皆のもの、わたしの演奏を聴くが良い。」くらいの上から目線の偉そうな態度にする?
いやいやいや…そんな…。

いえ、そんなこと言ってる場合じゃない。
「これは今年のうちに何とかしたいです(^^)」と先生に言われたのでした。
パーフェクトな音程とか超絶技巧ができるようにというのとは違って、
気持ち次第でその気になればすぐにでもできることなんじゃない?

…ハイ。検討させていただきます。





ニューイヤーコンサート 続き

 2016-01-12
昨日、所沢へ演奏会を聴きに行きました。
前の記事はこちらです。 ニューイヤーコンサート

後半は秋山和慶さん指揮、東京交響楽団で、ドヴォルザーク「新世界より」でした。
ソリストを迎えての前半と空気は変わって、
楽団員の皆さんの「いよいよわたしたちの出番です」という気概のようなものを感じました。
なんだかこういうの、嬉しいです。

ドヴォルザークは大好きな作曲家ですが、
「新世界より」をナマのオーケストラで全部聴いたことは無かった気がします。
2楽章の「遠き山に日は落ちて」とも歌われる部分は、きっと誰でもどこかで聞いたことがある。

どうしてか、とても懐かしい気持になります。異国の音楽なのに不思議です。
これを誰でも知っているということに、日本の文化は豊かなのだな…と思いました。
心がじんわりとして静かになる。音がホールの中に、人に沁み込む。
皆が自分の心をジッと見つめるような時間。

4楽章はカッコいいですね、やっぱり!
普段弦楽器の音ばかり聴いていて管楽器を聴く機会があまりありません。
トランペットの音が真っ直ぐに飛んでくるのがスゴイです。
弦楽器がふんわり空気を響かせるのと違って、ダイレクトに音がやって来る。
ビビビーンと空気が振動して直撃されます!

ドヴォルザークにとっては、移り住んだアメリカが新世界だったのかな…。
わたしは何かあるたびにすぐ「世界が変わった!」と思ってしまう。(笑)
曲の途中、何度も「新しい世界の扉が開いた!」と思う部分がありました。

アンコールは「ラデッキー行進曲」。そうだ、ニューイヤーコンサートだものね。
会場の拍手が迷子にならないように、秋山先生が優しく先導してくれました。
この指揮の秋山和慶さんは、どうしても良く知っている気がしてならないです。
もちろん、そんなはずありませんが。(笑)

終演後、出口でホールからのお年賀のお菓子を頂きました。
15時開演で終わったのは17時半を過ぎていました。
外はすっかり暗くなっていて、イルミネーションがキレイでした。

ガラスに蒼い光が写りました。

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盛りだくさんで楽しかったです。やっぱり行って良かったと、駅へと歩きながら思いました。



ニューイヤーコンサート

 2016-01-11
前から、神尾真由子さんの演奏を一度聴いてみたいと思っていました。

体調が思わしくない中村紘子さんの代わりに、
神尾さんとパートナーでピアニストのクルティシェフさんが演奏するというのをたまたま見つけ、
今日、所沢のホールへ行って来ました。
数日前にサントリーホールでも同じプログラムがあったのですが、チケットが売り切れでした。
仕事で行ったこともある所なので、そう遠くには感じません。


___201601112138053ea.jpg    航空公園駅前の紙飛行機のオブジェ



ホールの主催事業で、秋山和慶さん指揮の東京交響楽団。
プログラムはこんなのでした。

__ (2)

神尾真由子さんはサラサーテの2曲。
オペラ歌手のようなツヤツヤな声で歌い上げる演奏でした。
「ツィゴイネルワイゼン」はハイフェッツの演奏が大好きなので、それと比べるつもりはありませんが
やっぱりわたしの見たい景色とは少し違う音でした。

でも、聴いてみたいと思ったんだもの。
もっと違う曲の方が良かったのかもしれません。
思いつきや直感で行動したら、こういうこともあるよなぁ…。

次はピアノのクルティシェフさん、
ヒョロリとした体つきで、低いイスに座って(膝が90度より鋭角でした!)、
背中を丸めて顔を鍵盤に近づけ張り付くように弾く姿…。

クレーメルもそうだけど、
そうそう、わたし、こんなふうにちょっと変わった人が好き。
自分の音楽に没頭している人。

ショパンのピアノ協奏曲1番は初めて聴きます。
1楽章の途中で音が途切れた「間」。
え?何?これからどうなるの…?と思ってもまだ余韻が続いていて…。
次の音が始まった途端に、心を優しく撫でられたような気持ちになって、…やられました。
良く「心を鷲掴みにされる」と言うけれど、それよりもっとデリケートな感触。

なんで音じゃなくて「間」で泣かされるんだ!!
いや、「間」も音楽ですよね…。

ポロポロとピアノから紡ぎだされる音は、
木の枝が風に乗ってサワサワ揺れるような、
それに合わせ木漏れ日がキラキラ揺れるような…、まるで少女マンガの世界のようでした。

心の奥のほうに眠っている優しい記憶にそっと触れるような音。
その記憶が何なのか思い出せなくても。

たぶん聴いていた人の多くが、同じような体験をしていたのではと思います。
わたしの1階の一番後ろの席から、前の人たちが顔に手をやる仕草があちこちで見えました。
わたしも涙や鼻水で大変でした。(笑)

不思議な印象のクルティシェフさんを見ていたら
少年のようでもあり悪魔のようでもあり、ちょっとパガニーニを思い出しました。

休憩後の「新世界」もとても良かった。
明日(たぶん)、続きを書きますね。



次は「愛の挨拶」です

 2016-01-07
バッハのダブルコンチェルト3楽章が終わったので、次回から「愛の挨拶」をやります。
いつも先生に曲を決めていただいていたので、すっかりそのつもりでいましたが、
「何かやりたい曲はありますか?(^^)」と尋ねられ、何となくこの曲に決めました。

是非に!と思っていたのではないけれど、
いつか弾けるようになりたいと、漠然とでしたが思っていました。
誰もが知っているような小品を弾けるようになりたい。
そういう曲の方が、聴く人にとって親しみやすいだろうから、と
どうしてだか誰かに聞いてもらう前提でいる別人格の自分がいるらしい…。

教会での演奏は嬉しかったけれど、人前で弾くのは苦手だな…と思ったばかりなのに。
苦手は克服しなければ…と思うドM なわたし。
閉め切った自分の部屋と先生とのレッスンでだけ弾いていたのではダメなのです…。
でも予定は未定、白紙なので大丈夫?(笑)です。

楽譜で音を拾ってたどたどしく弾くのと平行して、
練習以外の時間に頭の中で曲のイメージを膨らませます。
楽譜を読むとか、誰かの演奏を聴いて参考にする以外に、わたしはこれをやる必要がある。

妄想していたらバレエのようなショーダンスのようなものになりました。
あるカップルのストーリーです。

振りらしきものや構成を考えていると、「ここ!」と思う音があって、
良く楽譜を見ると、そこはいろいろと注文が書いてある箇所で、
作曲者のこだわりポイントなんだなぁ、と思います。

楽譜を見て気が付かないで、妄想の中でそこを見つけるのがわたしらしいな。(笑)
まだ音符を見るのに精一杯で、他の細かいことは目に入らないのです。
妄想すると音楽が立体的に分かるような気がする。気がするだけですが。

途中の連続するフラジオレットはどんな意味が込められているのだろう?
わたしにはカップルのこれからの幸せな未来の図が、
スライドショーのように差し込まれるイメージが湧いて来ました。
妄想力豊かだなぁ(笑)

今のところ膨らませたイメージを音に反映させるとことろまでは全然いきません。
ヨレヨレ、フラフラした音です。
でもやがては妄想のストーリーを脳内再生しながら弾きたいと思います。



ケースを抱きしめる

 2016-01-06
いつものように練習を終えて、相棒のヴァイオリンを布で拭きながら思いました。
ポツリポツリとだけど、
わたしの気持ちを音にしてくれるようになった、と。
まだまだ独り言のようで、朗々と語ったりはしないけれど。

誰かに聴かせられるようなものじゃない。
でも、とても嬉しい時間です。
ヴァイオリンを弾くようになる前には、味わったことの無いような時間。
もっと言えば、最近になってその嬉しさがはっきりと分かるようになりました。

わたしの中に、外へ出たがっている何かがある。
わたしだけの特別なものじゃなく、きっと誰でも持っているもの。
誰でもが音楽を聴いた時に感じるようなこと。
わたしは聴くのではなく、自分がやってみたい。違うとすればそこだけです。

ヴァイオリンをしまってケースを持ったら、抱きかかえたくなった。
時々そうすることがあります。

今日は胸にぎゅーっと抱きしめてゆらゆらして、しばらくそのままでいた。
どうしてかわからないけれど、涙が出てきた。
嬉しいとか悲しいとか、説明できない涙もあります。

相棒くんを抱きしめているというより、わたしを抱きしめているのだと思った。
そうしながら、わたしが抱きしめられているのだと思った。

相棒くんはケースの中でどんな気持ちだっただろう?
しばらくしたら気が済んで、クローゼットの定位置に納まってもらいました。
付き合ってくれてありがとう。

今までだったら照れ隠しに何か付け足して書きたくなるところだけれど、
照れたり恥ずかしがったりはぐらかしたりはやめようと思います。
わたしはこんなわたしなんだと、まずは自分でごまかさないようにしたいと思います。



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