上手じゃなくても目を惹く踊り

 2015-07-27
バレエの舞台の裏方の仕事に行っている時はヴァイオリンの練習はできないけれど、
音楽を聞きながら、踊る人たちを見ながら、いろいろな事を思います。
それが、わたしのヴァイオリンには役立っているのだと思います。

発表会で踊る子どもたちや大人たち。
今後頑張って練習してもバレエダンサーになるのは難しいだろうなぁ…という人もいます。
楽しみのため、健康のためなど、
誰もがバレリーナを目指してバレエをやっているわけじゃないのでそれでいいのです。

だからと言って、そういう子どもたちや大人たちがつまらない踊りをしているかといえば、
ぜんぜんそんなことはないのですよ。
とっても楽しそうに踊っていたり、なんともいえない味のある踊りだったり。
何度見ても、ついその人に目が行ってしまうということもあります。

わたしも今から本物のヴァイオリニストになることはないでしょうから(笑)、
そういう人たちのようにヴァイオリンを弾くことができたらなぁ…と思います。

始まる前にはとっても緊張している子どもたちが、
いざ出て行くときにはパァっと表情が変わります。
袖に戻ってきた時にはとっても嬉しそう。

先日、先生に「何を思って演奏に臨むのですか?」と質問したけれど、
この子たちはどんなことを思って舞台に出て行くのだろう?
「ドキドキして緊張するけど、お客さんの前で踊るの嬉しい!」と思っているんじゃないかな。

自分が誰かの前でヴァイオリンを弾かせてもらうときには
「ドキドキして緊張する…」だけで、「嬉しい!」が抜けていると気がつきました。
次の機会には「ドキドキするけど嬉しい!!」という気持ちで弾いてみたいと思います。

自分が子どもの頃、バレエの発表会に出た時には
1000人の客席の中で家族がどこに座っているか、いつもすぐに見つけられました。
一体何を考えていたんだろう(笑)
大きくなるにつれ、そういうことに気が廻らなくなっていったけれど。



小さく、でもはっきりと決めた

 2015-07-24
時々誰かの前でヴァイオリンを弾かせてもらうようになってはきたけれど、
もともと上手じゃないのに緊張して、終わってからガックリすることが多いです。

そんな演奏だけど、聴いてくれた人に何かが伝わった…と感じる、
嬉しい体験をさせてもらったことがあります。

上手な美しい演奏ではない自分のヴァイオリンの音に、一体何の価値があるのだろう?
それは聴いてくれた人が決めることで、自分では知ることができません。

「恥ずかしがる姿を見て喜ぶ人がいる」
「確実に人に喜んでもらっているということを忘れないこと」
「あなたの姿を見て楽しむ人がいるのを忘れないこと」

何度も言われているけれど、「本当かな…?」と半信半疑です。
本当にそんなことがあるのだろうか?と思ってしまいます。

「仕事とは自分が喜ぶことで人を喜ばせ豊かさを回していくこと」
先日、そういう話しを聞きました。仕事の転機…がやってきている。
どう考えても、わたしが一番嬉しいのはヴァイオリンを弾くこと、ヴァイオリンの話をすることで、
もしそれで人が喜んでくれているのなら…。

つい数日前、心の中で小さく、でもはっきりと決めた。

ヴァイオリンの先生は、先日演奏を披露する機会があって(わたしは聴けなかったけれど)、
レッスンの時に「どんなことを考えて演奏に臨むのですか?」と質問しました。

「言いたい事が伝わる演奏ができるように(^^)」
「聴いてくれる人と、心のやり取りができるような演奏をと思っています(^^)」
先生のように普通に弾ける(変な表現ですが)人は、どんなことを?と思ったのだけど、
いつもお話ししてくださること、そのままでした。

普通には弾けないわたしは、
言葉足らずでも、なんとか何かを分かってもらえたら…、
きっとこういうことを言いたいのだろう…と、想像力で補ってもらえるような何かを少しでも伝えられたら…。

ああ、それなのに…。
バッハの無伴奏ソナタのアダージョは全然うまく弾けなくて、決心がガクッと折れます。
もともとわたしの演奏の価値は、上手いとか下手とかいうこととは無関係のようだけど、
言いたいことのカケラも言えないのではダメなのです。

でも、立ち直りが早いのはわたしの取り得。
昨日よりは少し気持ちも復活して、
レッスンの課題以外に、これから先、弾こうと思っている曲も練習しました。

何をどうしたら豊かさにつながっていくのか、
自分では見当もつかないし、具体的な方法も分からないけれど、
規格外の道を行こう、規格外のヴァイオリンを聴いてもらおうと思っているのだから、
考えても分かるようなことじゃないのでしょう。

どうぞ、わたしの行く末を楽しみに、
上手く弾けなくて落ち込んだりするのも、どうか面白がってもらえると嬉しいです。
(当人は面白くないのだけど、笑)


アダージョの最終回

 2015-07-23
今日はヴァイオリンのレッスン、無伴奏ソナタ1のアダージョ最終回でした。

ここ数日は時間があったので、わたしにしてはたくさん練習ができました。
でも一晩寝ると、前の日に何度も練習してできるようになったところができなくなっている、の繰り返し。
まるでルームランナー状態ですね。やってもやってもちっとも前に進んでいないのです。

今日になっても相変わらずうまくできないし、
何だか緊張してきて、追い詰められたような気持ちになっていました。

全くうまく弾けないわたしが、慎重に安全運転をしてもきっと何も面白いことはなく、
それならばたとえ暴走しても思いっきり走ってしまった方が良いのでは?なんて、
レッスンへ向かう途中で考えていました。

いえ、多分先生はわたしに面白さを望んでいないと思うけど?(笑)

いつも通りのボーイングの練習の後、
ヴィブラートの練習の途中から、先生があの楽器を貸してくださいました。
そしてアダージョの仕上げ演奏へ…。

「最低でも2回は弾いていただきますので、まずはリハーサルのつもりで(^^)。」
そう言われると更に緊張してきてしまいます。
家での練習でも、何度も弾いてようやくできるようになる状態なので、
先生の楽器に持ち変えてすんなり弾けるとは思っていませんでしたが、
予想以上にできませんでした。
走れないことには暴走もできない、という感じです。

更に2度目には普段間違えないところで間違えたり、
頭の中が真っ白になって、止まってしまったり。
ほらほら、どんどんおかしくなってきてしまいます…。(涙)

「ちょっと2回目が残念なので、え~、弓を変えて…(^^)。」
これ以上何度やっても同じことになるんじゃないか…と思ったけれど、
さっきまでとは別の弓を貸してくださり、3回目を弾かせてもらうことになりました。

わたしはすっかり消極的な気持ちになってしまっていたけれど、
先生はなんとかもう少し良い状態で弾けるのではないかと思ってくださったようでした。
その甲斐あって、3回目は少しはマシに弾くことができました。

「3回の中では一番良かったと思いますので、これで一旦終わりにしたいと思います(^^)」
「一生ものの曲ではあるので、またやることにしましょう(^^)」

一生ものの完成しない曲、達成感のない曲とはいえ、
あまりにもできなさ過ぎて、敗北感を感じます…。
帰り道の足取りもトボトボと…。

家に戻っても、珍しく思わず「疲れた…」と言ってしまったり、「あぁあ…」とため息が出たりします。
悲しいというのではなく、ただ残念だなぁ…と思います。
ん~、仕方ない。わたしなりに少しは進んでいるのだからと思うしかありませんね。




グァルネリが好き

 2015-07-21
バッハの無伴奏ソナタ1のアダージョ、
先生に「次回仕上げでお願いします(^^)。」と言われています。

しばらく前に、「こういうふうに弾きたい!」という演奏が見つかりました。
先生の音に似ているその演奏、お話したら楽器はグァルネリだと教えて下さいました。
もうひとつ気になる演奏があったのだけど、そちらもグァルネリだとのこと。

テレビ番組の楽器の聴き比べでは全く正解しないのに、
たくさんあるyoutube の中からグァルネリを使った演奏を拾い上げる自分が不思議です。
なぜだか分からないけれど、その弾き方が好きなのです。

「楽器がそういう弾き方を要求するんです(^^)」と先生。
楽器に合わせた弾き方が、その楽器を使う人の弾き方になっていくのだそうです。
先生に似ているその演奏を目指すには、先生の楽器を…、ということで、
仕上げの時には、わたしが大好きな先生の楽器を弾かせてもらうことになっています。

自分のやりたいバッハのアダージョは「ドイツ語で議論を尽くすような演奏(^^)」
情緒とかエレガントというのとは無縁な感じです。
ヴィオリーノという響きの多い優しい音のする弦を試して気に入っていましたが
この曲はそういうイメージでは無いです。

先生の楽器にはドミナントが張ってあり、
「それをお借りするのだったら弦を換えなくちゃ!」と、今朝になって気がつきました。
明後日レッスンなのに今更ですが、相棒くんにドミナントの弦を張りました。
(この前まで使っていた弦だけど、まだまだ使えます)

換えてみたら、ああやっぱりこっちの方がいい!少しだけ思う音に近づきました。
弦が違うとこんなに感じが違うんだと改めて思います。
音だけではなく、弾きにくかったところが弾きやすくなったりします。

ん~、弦のテンションが違うから?歯切れが良くなる、トリルがやりやすくなる、ような気がします。
プレーンな音というのはこういうことか…。他のを試してから戻ると分かります。

E線はそのままヒルですが、他の弦を換えたのでE線も音が違って聴こえます。
響き合う相手が変わったのだから当然といえば当然なのかもしれないけれど、
理屈じゃなく実感できるというのは面白いことですね。

まあ、客観的に聴いたら大して変わりないことなのかもしれませんが…。
まだまだできないことがたくさんあって(汗)、面白がっている場合じゃないのだった。



「格好から入る派」

 2015-07-20
ヴァイオリンの持ち方を変えてそろそろ3週間ですが、
まだまだ自分の姿を見て確認しないと正しい位置が分かりません。
鏡では正面からの姿しか分からないので、
以前に買ったウェブカメラをパソコンにつないでチェックしています。
(弾きながら時々目をやるくらいで録画はしていません)

ヴァイオリンへの取り組み方に、音から入る方法と、形から入る方法が考えられるそうで、
わたしは格好から入る方が上手くいくのではないか?と
以前から先生に言われていたのを思い出しました。
今までも何度かやってみようと試みたけれど、中断してしまって今に至ります。
でも、今度はできてもできなくても、追求してみたいと思っています。

とはいえ…、
まだ持ち方が一定ではないようで、日によっていつも通りに弾ける時と
前日とは違って、突然ヘタクソになる日があったりして、自分でビックリします。
そして、持ち方をどう変えても、上手く弾けないものは身体に力が入ってしまって苦しくなります。
ああ、これじゃ元通りです…。

少し進歩したのは、
ヴァイオリンを構えてから自分の好きな立ち方を探すのではなく、
あらかじめ身体を作っておいてから、その後でヴァイオリンを肩にのせるようになりました。
どんなふうにヴァイオリンを構えても、
結局のところ肝心なのはわたし自身の姿勢で、それがおかしければダメなんですよね。

弓の動かし方が楽になったように思ったけれど、動かすことと弾くことは別のようで、
弓元での圧力のバランスがうまく調節できないのもあってか、
右手が元の方まで使いたくないと、引き返してきてしまいます。(笑)

弓の動きは「格好から入る派」としては重要ポイントなんだけどな…。
いえ、誰が弾いても重要度は高いですね。

自分が望む姿でヴァイオリンが弾きたい。
もしかしたら、それができたら望む音が出てくるのではないか…?
望む音とまではいかなくても、少しは良い音になるのではないかと思います。



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