無駄な練習?無茶な練習?

 2013-03-29
バッハのダブルコンチェルト2楽章、やればやるほど下手になっている気がする…。
一生懸命に弾くあまり、余計なことをし過ぎているみたい。
ヴァイオリンは一生懸命に弾く楽器じゃないしな…。
この前のレッスンで、それが良く分かりました。

今日の練習は、チューニングしている時が一番良い音だったかもしれません。

ヴァイオリン以外にもちょっと不調なので練習をお休みしようかとも思ったけれど、
明日からまたヴァイオリンを弾けないので練習を始めたら、
カイザー19番にはまってしまいました。

新しく習った弓のワザ、「ソーティエ」という弾き方で弾く曲ですが、
これは弓を速く動かす弾き方なので、ゆっくりではダメ。
でもそんなに速く弾けないので、まずはスピッカートという弾き方で始めています。

次回のレッスンまでの課題は、メトロノームの90の速さで弾けるようにすること。
レッスンの時「忍者の修行のように…(^^)」と先生はだんだんスピードを上げて行き…。
それが面白くって、無茶だと分かっていながら家ではいきなり速く弾いてみたりしています。

もちろんぜんぜん弾けないけど…。

ゆっくりから練習してだんだん速さを上げていくのがいいか、
いきなり速いので始めて、弾けるように頑張るか…?
弾けなくても速くやってみる方が面白いんだけどな…。

これに限らず、わたし、練習の方法が何か間違っているかもしれません。
うーん…。



レッスンに行きました

 2013-03-27
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。

わたしが舞台の仕事に行っている頃に、先生はモンドムジカという弦楽器の展示会を見るため、
ニューヨークへお出かけしていて、そのお話しをたくさん聞けました。

自分が行ったことのない場所に実際に出かけてきた方のお話しを直接聞くことは、
興味を感じることについて質問することもできて、
経験することには及ばないかもしれないけれど、とても楽しいのです。

アメリカ、ニューヨークは世界の中心といわれているけれど、
ヴァイオリンに関しては、それは当てはまらないことのようでした。
日本にはたくさんの良い楽器(日本製という意味ではなく)が集まっているそうです。
遠くにお出かけしてそれを改めて感じるというのは複雑な心境でしょうか?

それを聞いて、
地方で美味しい魚はないか尋ねた時に
「良いものはみんな東京の築地に行っちゃうからね~」というのを聞いたことがあるのを思い出しました。
日本って、東京って、いいところなんだな。
生まれてからずっといると、あまり実感がないけれど。

そんなお話しを聞いていたら、あっという間に時間が経ってしまいました。
でも、カイザー19番とダブルコンチェルトは見てもらいました。
カイザー19番は少し時間をかけて、最終的には速いテンポのソーティエで弾くのか目標だそうです。

ダブルコンチェルトは今回は合奏ではなくひとりで弾いて、細かく直してもらいました。
音の長さに応じて弓を使うこと(短い音で弓を大きく使い過ぎていました)、
音の頭よりも終わりの方が音が大きくなっていくように弾くこと(その逆になってました)、
当たり前のようなことに、弾くのに夢中で気が付いていませんでした。

レッスンが終わってから先生に体調について聞かれ…。
先生の目はやっぱりごまかせないのでした。(べつにこまかすつもりではないのですが)

でも、左手の調子は悪くないです。握力は20キロになったし!!



ヴァイオリンは何の役にも立たないけれど

 2013-03-25
数日間ヴァイオリンを弾けない日が続くと、
バッハのダブルコンチェルトは更に下手くそになってしまっていて、ガッカリでした。
また練習できるようになって何日か経ったので、ようやく普通くらいの下手さに回復しました。

今回の宿題のカイザー19番を、全部ではないけれど解読してから仕事に入り、
練習できないとすっかり忘れてしまうんじゃないかと心配だったけれど、
こちらは意外にも、思ったより覚えていました!なんでかな~?

こうして毎晩毎晩、締め切った部屋の中にこもって、ひとりでヴァイオリンの練習をしています。
ヴァイオリンを始めてから3年ちょっと、それを続けています。
練習以外の時間にもヴァイオリンのことを考えている時もあって、
それはもう、たくさんの労力をヴァイオリンに使っています。

何のため?何のためでもありません。
わたしがヴァイオリンを弾くのは、演奏家になるためでも音大に入るためでもなく、
誰かの何かの役に立つためでもありません。(どれも、実際にやろうと思っても困難ですが…)

わたしが、ただヴァイオリンを弾きたいから。
もっと思ったような音が出せるようになりたいから。
ちょっと練習しないくらいですぐに弾けなくなってしまうような、無駄とも思えるようなことだけど、
そんなことぜんぜん問題じゃなくて、それでもいいからただヴァイオリンが弾きたい。

うまく弾けなくても、楽譜を読むのが嫌いで音が分からないことにイライラしても、
楽しいと思えない時があっても、ヴァイオリンと過ごす時間は大切な時間です。
ほんの一瞬でもいい音が出たような気がしたら、それだけで充分幸せ。

なんの役にも立たないことに、こんなに向き合えることを幸せに思っています。
やりたいからやる!最高の贅沢かもしれません。
わたし、ほんとに幸せ。ありがとう。



身体から音楽が流れ出る

 2013-03-22
先日のお仕事で楽しみにしていた「グランアダジオ」はどうだったかというと、
わたしの好きなものとは少し違っていました。

コンサートマスターさんのヴァイオリンの音が、なんとなく自分が好きな種類とは違う…と思ったけれど、
他の曲を弾いている音はそうでもないので、弾き方が好みじゃなかったのかもしれません。
好きな曲はどんどん妄想が広がっていって、手がつけられませんね。
でも先日の YouTube のは、踊りもヴァイオリンもお気に入りです。

ヴァイオリンを弾くようになってから初めて「白鳥の湖」を聴いたら、
技術的なことが以前よりは分かるようになっています。
曲の途中でどうしたわけか急に調子が悪くなったように聴こえる部分があって、
今回に限らず、以前も良くそういう音を聴くことがありました。

今回そこを聴いて、オクターブでメロディーを弾いているのだと分かりました。
きっと以前は、その部分をひとりで弾いているとは思っていなかったんだと思います。
自分ではまだそういうことをやったことがないし、
一流演奏家は流暢に弾いているので分からなかったのだけど、難しいんだろうな…。

このところ「踊るように弾く」ことについて考えていたけれど、
「踊り手の身体から音楽が流れ出る」、そんな瞬間を見ました!!
その人の頭の中に流れている音楽が、身体を通して目の前に表れました。

それを見た時、もう嬉しくて! わたしはこういうことをやりたいのです。(ヴァイオリンだけど)
見せてくれて、本当にありがとう。

優れた踊り手は、自分の中に流れている音楽を身体で示すことで
オーケストラ(指揮者)を、こういうふうに演奏して欲しいとリードしていくことがあります。
今回はちょっと違う場面でしたが、こんな時にもわたしはとっても嬉しくなっちゃいます。

演出家と主役のうちの1組がロシアの方で、踊りのお国柄についても色々と思うことがありました。
ロシアと日本、どちらが良いとか悪いということでなく、違いがあるということ。

日本人のわたしはどんなふうにヴァイオリンを弾こうか…、
実際にはそんなこと考えて弾く余裕なんかないけれど、そんなことを思いました。



わたしへの期待価値は?

 2013-03-20
舞台のお仕事の後、アルバイトのお休みを入れられず出勤でした。

劇場にいると、相変わらずイライラしたりムカっとしたり、
自分を責めたり、口には出さなくても心の中で人を責めたり裁いたり…。
またもや自我先生の独壇場で、わたしが誰なのか分からなくなっていることにも気が付きません。
そんな自分にガッカリしながら、毎晩お風呂の中でため息つきながら反省会していました。

実務のできる若い人たちがいて、時々は手が足りない部分もあるけれど、
わたしの係りは「あたしの話し相手(笑)。」というチーフの言葉通り、
わたしがやれることはあまりありません。
4人でやるよりも5人目にわたしがいた方がなんとなくいいから、ということらしいのですが。

誰かが文句を言うのを「そうですね。」と聞いたり、
ひとりで作業している人の傍に行って、ちょっとだけ手伝わせてもらったり、
ただ、隣や後ろで立って見ているだけだったり、そんな仕事をしていました。

手持ち無沙汰な感じだし、サボっているようにも思えるし、
実際に何かを動かしたり言葉を発したりするのが、自分が提供する仕事と思っている部分があります。
もちろん多少はそういうこともやっているけれど、どうやらわたしへの期待価値はそうではなく、
ただその場に居て、なんとなくゆる~い空気を放っていればいいようでした。
(わたしの勘違いで「もっと動け!」と思われていたらどうしよう…

わたしが身体を使って何かを提供しようとしなくても、
そこに居るだけで、何かの価値を周りの人が受け取ってくれる。
そうだ、そうだった…。
それに気が付いたのは、もう仕事が終わった月曜日で…。
劇場にいる間に思い出せれば、もう少し楽な気持ちでいられたのに。


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