SOB1期生

 2012-01-29
SOB(バカの学校)の1期生になりました。

SOBのホームページにこう書いてありました。
 
   思った瞬間にすっ飛んでいく子供のように、 心のままにあり、大好きなことを、やりたいことを、
   自分の人生の要素として取り入れていく。
   イキイキと、ワクワクと生きること。損得や利害で動く社会から見たら
    恐れや不安に基づいて、心を置き去りにして生きる側から見たら
   ノウハウや理論に基づいた正しさに縛られて その正しさを基準に生きる側から見たら
   無謀で、突拍子もなくて、あり得なくて
   だけど とてつもない勇気と幸せを与えられる。
   SOBでは 深い敬意と賞賛の思いを込めて そのような生き方を「バカ」と表現します。


これを読んだら、どうしてかわからないのだけれど涙が出てきてしまいました。

昨年の10月に、わたしはこんなことを書いていました。
   スティーヴ・ジョブズさんが旅立って
こうしていきたいと決めたのだけど、自我先生のツッコミにやられてしまうこともあります。
でも、同じ道を行こうとする人と歩いたら、少し元気良く進めるのではないかと思うのです。
SOBという未知のものに集まったわたしたちは「勇者」だと言われました(^^;)。
(そういえばやすらぎの部屋に初めて行った時にも同じようなことを言われました)

最初の2日間を終えても、SOBとは何かを上手に説明することはできません。
「本当の自分を思い出すこと」「魂の望むように生きること」
わたしというフィルターを通すと、SOBも奇蹟のコースも似たものになります。

今後も、どんなことをやるのかは明かされません。
準備や予習をすることなく、その日の課題に取り組むためなのだそうです。
これは、まるで人生そのものみたいですね。
いつもぶっつけ本番。
でもこれまでもなんとかやってきたし、これからもきっとなんとかやっていくんです。
ただ、何が起きるのか楽しみにしていればいい…。

卒業するころには、今よりも自我先生のツッコミをかわすことが
少し上手になっていることを期待しています!


レッスンの効果

 2012-01-26
今日は朝から予約してあった健康診断を受けに行き、午後はヴァイオリンのレッスンへ。
週の初めには鼻ズルズルでしたが、なんとなく治ったみたい。
健康診断なのにカゼひいてます…というのはシャレになりません(^^;)

レッスンの前に家で練習してから出かけますが、いつもうまく出来なくて、
焦った気持ちのまま、電車に乗ることになります。
今日も、鈴木教本3巻の1曲目が仕上げですが、うまくいきません。
2、3日前の方が弾けてたんじゃない?(焦っているから余計できない…)
人前で弾く本番でなくても、レッスンに行くというだけで十分緊張しています。

先生のお宅に着く頃には少し落ち着いて、お部屋に入ったら緊張していたのは忘れて、(あれ?)
仕上げの曲を弾くとなったら、再び緊張が戻ってきました。

復習シリーズをやっている時は少しは上達したかも?と思っていましたが、
新しい曲を弾いてみると、当然ですが指が動かなかったり、音が外れたりの頻度が多く、
自分が下手クソなのを実感します。
この前の本番がうまくいかなかったのではなく、普段からうまくいっていないのに
勘違いしていただけなのかもしれません。

頭の中には、こうやって弾きたい…というのがあるのだけど、
わたしのヴァイオリンからはなかなかそういう音が出てきません。
(これって、映像で見た自分のような感じです)

しかし先生は、そういったうまくいかない事にはとりあえず触れずに、
今の課題でやろうとしている、音楽的なお話をしてくれます。
楽しみにしていたp(ピアノ)の弾き方や、フレーズを繋げるには…といったお話し。
そうすると、なんとなくそれっぽい音になってくるから不思議です。

レッスンが終わるころには、始めよりもかなり良い音がしてきていると自分で分かります。
う~ん、レッスンの効果はすごいです。一瞬だけど、上手になります(^^;)
それを持ち帰って、次回まで維持できるかが問題です


p (ピアノ)とf (フォルテ)

 2012-01-25
寒かった週末の2日間とも、アーチェリーで朝から夕方まで半屋外にいたからか、
それとも、もう花粉が飛んでいるのか、体調がいまいちデス。

前回のヴァイオリンのレッスンで、次回からやる予定のバッハのメヌエットでの
p(ピアノ)とf(フォルテ)ついて説明がありました。
「p」は「弱く」という意味だと思っていましたが、
「緊張感を高くして、身体を固めます(^^)」とのこと。
「…?」と思いましたが、先生が弾くのを聴いたら納得です!!

「ピアノにも色々ありますが、緊張度の高さがピアノのひとつのあり方になります(^^)」
「フォルテは開放的に(^^)」
同じフレーズをピアノとフォルテで弾いて聴かせてくれました!

あの「p」の音が出したい!
家で自分でやってみると、んん…、なかなか思うようには出来ません。
かれこれ10日くらいやっているのですが…。
緊張感を高めて身体を固める…というのは、わざわざやらなくても大抵そうなってしまっていて、
これを更にやろうとすると、音らしい音になりません
イメージだけが先に行ってしまって、やることが伴わない感じです。

まだまだ良く分かってはいませんが、ヴァイオリンの表現の幅はとても広くて、
緊張度の高いp、鋭いp、柔らかいp、など、色々あるのかもしれません。
大きな空気をたくさん溜めて、先の細~い水鉄砲で遠くに飛ばすみたいな感じ?

フォルテ(f)の方も、ヴァイオリンで大きな音を出すには?という大きなテーマに関わっていて、
つい力を入れて弓に圧力をかけたくなるところですが、
それをやっても大きな音にはならないことが、わたしにも少しずつ分かってきています。
大きな音=ヴァイオリンを良く響かせる、
だから身体は緩めて開放的に、楽器の振動の邪魔をしない、かな?

なかなか思うようには出来なくて、不自由さを感じます。
思うように弾ける日が来るのは、いつのことかな?


バレエを観ました

 2012-01-21
昨日の仕事帰りにバレエを観に行きました。
その舞台に携わっている友人の話しを聞いて、久しぶりに見てみたいと思って。
客席から観るのは何年振りか、もう分からないくらいです。

よく知っている演目を、よく知っている人が踊るのを観ましたが、
観ているわたし自身の感じ方が前とは少し違っていました。

一番違っていたのは、やはり音楽に対しての興味の持ち方。
これまでは「オーケストラは失敗が無いのが当たり前」と思っていましたが、
(実際はそうではありませんでしたが…)
今では、オーケストラもダンサーと同じく、
生身の人間がナマで演奏しているのだから、いろいろな事が起こり得るのだ…と分かります。
舞台の上とオケピットの中と、同時進行でどちらもナマモノなのです。

出だしの音が揃うか?ホルンはひっくり返らないか?…など、
まったく余計なお世話なのですが、よく知っているものは、失敗する場所も良く分かります(^^;)
今日のオーケストラは、そんな心配は必要ありませんでした。
ヴァイオリンの小さい音でのユニゾンのメロディーがキレイで、夢見心地でした。
普段使わない曲が挿入されていましたが、フルートにブラヴォー!!と思いました。

バレエのほうは、主演の方の踊りを観たくて行ったのですが、
気持ちの良いくらい隅々まで神経の行き届いた動きに、「踊ってくれてありがとう」と思う程でした。
踊りでも難関がいくつもあって、全てをパーフェクトにやることは簡単なことではありません。
観ていて、先日のヴァイオリンのレッスンで先生が言った「コントロール」という言葉を思い出しました。
うまくいかない時、ミスを最小限に留めて、観ている人に感じさせないようにクリアしていきます。
人を感動させるには、本人が常に冷静であることが要求されます。スゴイです。

他にも、演出の仕方で疑問に思ったことがあったり(後で友人に聞きました)、
少々裏方根性で気になってしまう部分もありました。
久しぶりに客席に座りながら、
バレエな自分、音楽な自分、裏方な自分、それぞれの視点からひとつのことをみるという、
面白く、複雑で、忙しい時間を過ごしました。
普通の人の3倍くらい、楽しめたのではないかと思います。

舞台が良く見えて、オーケストラピットの中も見られるような席は無いかな…?
(今回の席からはコントラバスの頭くらいしか見えませんでした)


映像の自分は別人みたい

 2012-01-18
年が明けてからこの半月の短い間に、自分が映っている映像を3回見る機会がありました。

最初は、アーチェリーの初練習日。
ビデオカメラを持ってきた方がいて、自分の射っているのを映して見せてくれました。
技術的に気が付くことがたくさんありましたが、
それ以外に、自分ではもっと鋭く射っているイメージなのに、
実際にはとても淡々と静かに射っていて、何も感じたり考えたりしていないようにみえます。

その次は、新年会でのヴァイオリンの演奏の記録を見ました。
あんなに緊張して、まるでうまくいっていなくて、
頭の中ではものすごいスピードで「これではいかん、なんとかしなくては…」と
いろいろな事を考えていたにもかかえわらず、こちらもまた、それほど動揺は見えません。

3つ目は、やすらぎの部屋のユーストリーム生放送に参加した時の録画を見ました。
「話しをしている横で、話しとは関係なくお金を磨いていて」とよっしーさんに言われて、
なんとなく画面の端っこに居たのですが、
時々言葉を発しているのや、自分の横顔や動作を見ていると、
「わたしって、こんなふうなの?」と、いつも自分に対して持っているイメージとはかなり違う。
静かで、穏やかで、ゆったりとして見えます。
わたしが思うわたしとは、やっぱり違います。

映像で見た自分は、自分自身で思っているわたしとはかなり違っているけれど、
わたし以外の人は、あそこに映っている人を「わたし」だと認識しているんだ…と不思議なことを思います。
あれは、わたしじゃなくてわたしの入れ物みたい、とまたヘンな感覚。

自分の感情を表に出さないように、長年自分を訓練してきたようなところがありあます。
「自分の気配を消す」とか「邪魔にならないように居る」とかも、たぶん得意です。
今はもう、感じるまま振舞ったり、押さえた自分でいなくていいと思っているのに、
実際には、まるで感度の悪い楽器のように、思っている音が出ていません。

もっともっと、やって大丈夫なんだなぁ~。
自分でやり過ぎだと思うくらいで、きっとちょうどいいかもしれません。


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