落し物

 2011-08-28
アーチェリーの練習の帰り道、駅近くの道を自転車で走っていると…、
少し先に何か水色のものが落ちているのに気が付きました。
「…?」と思っていると、それを拾って走り出す人が!

「ウイッシュッ!」のダイゴがするような黒い革の手袋をつけて、革の靴を履いている男の人。
走る!走る!落としたところを見たのか、自転車を追いかけています。
拾ったものは、小さな女の子が持つようなポーチでした。
「頑張れ!!」と心の中で応援する。でもその差がどんどん開いていく…。
それでもまだ走り続ける…。「この人、すごいな…」と思うわたし。

しばらく追いかけたあと、走るスピードが急に落ち…。
「あ…、ついにあきらめてしまった…」
わたしは自転車のスピードを変えなかったので、その人を追い越すことになる。

その男の人を抜かした瞬間、自分の中の思い付きを無視することができなくて、
自転車を止めて振り返りました。
「それ、どなたのものですか?」
(息を切らしながら)「…あの、…子どもを後ろに乗せた、…自転車の…」
「わかりました!」
声を掛けると同時に出していたわたしの手に、落し物を託してくれました。
顔を見ると、たぶんわたしと同年代くらい、ロン毛の、不思議な雰囲気の男性でした(^^)

絶妙のバトンタッチで水色ポーチを受け取ったわたし、グゥーンとペダルをこいで、スピードアップ。
自転車の前に男の子、後ろに女の子を乗せたお母さんにようやく追いつきました。
「これ、落しましたか?」
「…、ハイッ!」
「男の人が気が付いて走って追いかけてたんですけど、追いつかなくて、代わりに預かってきました」
お母さんと後ろを振り向きましたが、その人の姿は見えなくなっていました。

知らない誰かのために、あんなに走る姿を見せてくれてありがとう。
わたしにお手伝いをさせてくれて、ありがとう。
なんだか、幸せな気分になりました。


神様に届くように弾く

 2011-08-27
普段ほとんど意識することがないけれど、ヴァイオリンという西洋楽器を習っていると、
わたしって、日本人なのだなぁ…と感じます。

ヴァイオリンという楽器の美意識は、絢爛豪華で明るくきらびやかなものだそうですが、
日本人の美意識は「間」だったり、「侘び寂び」だったりで、
わたしは、ヴァイオリンを弾いているのに、どうやらそちらに寄ってしまっているようです。
で、音が足元に落ちてくる…(^^;)

先生から「ヴァイオリンは神様に届くように演奏する(^^)」というお話がありました。
普段、現実主義で中庸な先生から「神様」と言う言葉が出てくることがなんだか嬉しい。
(もちろん、神様という発想が偏ったものだとは思っていませんが…)
奇蹟のコースを学んでいるわたしとしては、神様(キリスト)は全く違和感が無いし、イメージしやすい。
(奇蹟のコースにキリストや神がでてきても、宗教とは違うのだけど)(^^;)

西洋の文化は、神様抜きには考えられないものなのだろうなぁ。
ヴァイオリンは、神様のところに届くように弾くもの。
バレエも、神様に近づく…という発想から、動きの方向性は限りなく上へ向かうもので、
高いジャンプや、女性を高く持ち上げるリフトをしたり、
より高くつま先で立つためにトウシューズが生まれたりしました。

日本人は、奥ゆかしさとか慎ましさに繋がる押さえた表現や、
全てを言ってしまわない、余韻のようなものを大切にしているところがありますね。
わたしも近頃は、なるべく言いたいことや感じたことを表現するように勤めているけれど、
やっぱりアピール苦手な日本人気質がしっかりと根底にあります。

これを書いていて思い出したことがひとつ。
バレエで「自分の鼻が西洋人みたいに高い鼻だと思って、踊ってごらんなさい」と言われたことがある。
コレ、けっこう効き目があったように思います!
わたしはモロ日本人の、薄顔で低い鼻なのだけど、
「自分の鼻が西洋人のように高い」と想像してヴァイオリンを弾いてみたら、どうだろう?


旋律線

 2011-08-25
今日はヴァイオリンのレッスンでした。

去年の1月に初めてのレッスンを受けてから、もうかなり時間が経つのに
いまだに毎回緊張してしまうのはなぜでしょう?
先生と会うことやお話しすることは楽しみで大丈夫なのだけれど、
ヴァイオリンを弾くことに関しては、慣れることがないようで…。

普通にやっているつもりでも、手が震えていることに気が付いたり、
「息が止まっているようですが…(^^)」と言われたり。
最低限の呼吸はしているようだけど、事実弾き終ると大きく息を吐いたりしています(^^;)
毎回、レッスンの間は息が苦しい…。

少しずつできることが増えてくると、ひとつひとつの音符、弓や手の動きだけでなく、
ヴァイオリンで「音楽」を奏でるというのはどういうことか、についてのお話も増えてきます。
わたしは、そこが一番やりたいことであるはずなのに、
実際に自分からでてくる音は、そういうものとはかけ離れている感じで、
「音が足元の方に落ちている(^^)」と言われたりしています。(音が重く暗いという意味)

今日は「旋律線」という言葉を初めて知りました。
わたし、高校は美術選択で音楽教育は中学で終わっています(^^;)
旋律線に沿った弾きかた、メロディーの山や谷に合わせて弾く、
音楽は弾んだり、上がったり下がったり、行ったり来たりするもの…。

そう言われるままに弾いてみると、わたしの中から普段とは全く違う音が出てきて、
「そうかぁ、こういうふうにやって良いのだ…」と思うのでした。
自分の中のどこかに「ヘタなくせにそういうことをしてはいけない」と思っている部分があって、
相当強いブレーキというか、リミッターのようなものがかかっていて、(←これ、自我先生ですね)
そういうものから自由になる…というのが、ヴァイオリンに限らず、わたしの課題のひとつです。

「言いたいことをちゃんと言う演奏」「消極的にならないで主張する」
ヴァイオリンを弾いているだけで、こう言われることが面白いというか、
何をやっても自分というものは出てきてしまうのだなぁ~と、ヘンに関心してしまいます。

って、関心している場合ではないか、ハハ…。 


久しぶりに10円磨き

 2011-08-21
お財布の小銭スペース、わたしのは仕切りがあってふたつに分かれています。
片方には500円、100円、50円、10円、もう片方には5円、1円を入れます。
おつりを受け取った時に、お札をしまって(できれば順番を1000円を先頭に向きを揃えて入れたい)、
小銭を2箇所に仕分け、ついでにきれいなお金がきたら製造年も見てみたい♪と、
やること盛りだくさんなのですが…(もちろん後ですることもよくあります)。

今日、家で財布を覗いた時に小銭スペースの片方が地味~な感じになっていて、
なんと珍しく10円玉ばかりが8枚くらい入っていました。(100円も500円も無いゾ)
同じ種類の硬貨がたくさんあると、すぐに製造年や汚れ具合を見たくなる…(^^;)

10円玉たちを広げて見てみたら、「昭和三十九年」のものがありました。
古い10円硬貨特有の赤茶色が、いい味出しています。
わたしより年上のその10円硬貨に敬意をはらって、磨かせていただきました。

三十九年10円ー1        三十九年10円ー2  いつもながらキレイになるなぁ~(自画自賛)

磨いたあと、お金について色々と調べてみたくなり、
造幣局(硬貨はこちらの管轄)、印刷局(紙幣はこちらの管轄)のホームページを見ていたら、
楽しくなってしまって、ずいぶんと時間が過ぎてしまいました。
もちろん、より興味があるのは造幣局の方。
なんと工場見学もできるらしいです。しかも無料です。(事前に申し込みが必要なようです)

わたし、きっとそのうちに行くだろうと思います。


余計な力

 2011-08-20
通常通りの週末が戻ってきて、今日は午後からアーチェリー、
帰ってきてからヴァイオリンの練習。
前にも思ったことだけれど、アーチェリーの練習の後にヴァイオリンを弾くと
いい音が出ているような気がします。
身体を動かしたことで余計な力が抜けて、楽な気持ちで弾けるように思います。

一方、アーチェリーの練習では気持ち良く射つことができなくて、
余計な力ばかり入って、疲れるわりにはうまくいかない苦しい射ち方になっていました。
終わり近くになって、ようやく「ああ、これだ!」というのを思い出して、
そうやると、これまでがウソのように楽~に射てる(^^;)

帰り道、自転車をこぎながら
「力ばかり入ってバシャバシャしぶきを上げて泳いでも、ちっとも進んでいない」みたいな感じかなぁ~、
なんて思って可笑しくなりました。
力は必要な部分だけで、後はリラックス…、こういうのをコツとか言うのだろうな。

次回のヴァイオリンのレッスンでは、「前にやった曲シリーズ」でガヴォットを2曲の予定。
数ヶ月時間があいたことで、少し上達はしているし、
気持ちにも余裕ができて、前にはガチガチに力が入っていたのが楽になり、
余計な力が抜けたことでうまくできるようになっている部分が沢山あるように思います。

一足飛びに上手になったりはしないけれど、
少しずつでもできることが増えていくことは、嬉しいし、楽しいっ♪


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