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自分を発掘する

 2019-07-12
珍しくずいぶん間が空いてしまいましたが、大丈夫です(笑)、変わりなく過ごしています。正確に言えば変わりないというのはちょっと違って、仕事や体調や表向きのことは良くも悪くもいつもの調子であまり変わりないけれど、自分の内側のことについては大きな変化の最中です。ふらふら、ゆらゆらしてます。

自分の発掘・修復作業にいそしんでいます。長い間、本来の自分に土をいっぱいかぶせて上から踏み固めていたみたいです。それに気がつくキッカケは前からいくつかあり、先月から本格的にその作業をしています。週末になると劇場での仕事があり、そのたびに中断して、しかも長い間慣れてしまった本来と違うかもしれない自分にすぐ逆戻りしてしまう。週が開けるとまた復元作業に戻り…というのを繰り返しています。

発掘・復元作業のひとつは、自分の心地良さや好みを丹念に試しながら改めて確かめること。こうしたい、こんなのが好き…という自分の中のかすかな声(笑)に耳を傾け、それを丁寧に拾って実行してあげるのはかなり忍耐のいることです。加えて、進むにつれ、これまでやらなくてはいけないこととして自分に課してきたことが進まなくなって、その日その時にやりたいことしかできません。その日、その時にやりたいこともたくさんあるので、かなり疲れています(笑)。

誰かにやれと言われたことでなく、自発的に始まってしまったことなので、仕方ありません。今日は自分のためにお弁当を作った(家で食べるお昼ご飯)。先週のある日「海苔弁が食べたい」と思ったのでそれを叶えてあげました。面倒くさいのだけど、久しぶりに作るお弁当はなんだかオママゴトみたいで面白く、また何か発掘された気がします。一人のお昼はお腹空かないなぁ…と適当になることが多いけれど、お弁当作ったらお腹が空きました(笑)。

外側からやってきた価値観を受け入れていつのまにか自分のものとしていたのにも気がついて、わたし、そうじゃないんだ…と、もう先の見通しも立たない…ような気がしています。今月のカレンダーには何も書き込むのをやめました(手帳には予定が書いてあるし、それを白紙にしたりはしません、笑)。

変な近況報告になってしまいました。手間の掛かる毎日ですが、心の充実感はあります。どうぞご心配なく(^^)。


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インゲンのごま和えと卵焼きの海苔弁 見た目地味ですが満足しました



何度も心の中に湧き上がるもの

 2019-06-06
久しぶりに映画を観ました。バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフについての映画です。


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『ホワイト・クロウ』 公式サイトはこちらです。→ http://white-crow.jp/
映画の内容は、ヌレエフが1961年のパリ公演から亡命に至るまでに、生まれてからそれまでのソ連での出来事も重ねられており、興味深いものでした。

バレエやヴァイオリンは自分にはとても近いもので、だんだん好きかどうかも分からなくなってくる…。そんなことを思いながら映画館へ向かいました。誰かの情熱的な人生に触れると、自分の中で湧き上がってくるものがある。映画の中で流れるヴァイオリンの曲にとても心が動いてしまった。バレエじゃなくて、やっぱりヴァイオリンなんだ…。

帰ってから調べるとYouTubeにありました。(https://youtu.be/vajQJFC5gg0
こういう曲を聴くと、どうしてか分らないけれど平静な気持ちではいられなくなってしまう。何か奥の方から沸き上がるようなものがあって、嬉しいような苦しいような、泣きたいような気持ちになる。

スクリーンの映像とは関係なく、わたしひとりだけ違う世界に行ってしまったような気がしながら、映画館を出てからもしばらくは目がウルウルしたのがなおらなかった。
こんな気持ちに出会ってしまうと、自分のことなのにとてもビックリしてしまう。でも、そういえばこれまでも時々こういうことはあった。その度に「そしてわたしはどうするの?まだ全然やっていない!」と思って頭がクラクラしてしまうのです。

自分の身の回りにある幸せに目を向けて、穏やかにゆっくり楽しく過ごして行くのだなぁ…と思い始めて、実際にだんだんそうなってきていると思っているのに、あんな気持ちを思い出してしまったら、このままではやりのこしてしまうことになる…。

何をどうしたいのか、モヤモヤとした気配はあっても今はうまく書くことができません。でも、何度もやってくるこれは、もうやり過ごしてはいけないということです。どうしたらいいかは、きっと自分が知っているんだ。お願い、教えてください。



ボスはやっぱりわたしの師なのだ

 2019-05-14
久しぶりにボスとの仕事でした。このところずっと他の人とばかり仕事をしていて、ボスとは年に一度くらいしか一緒になりません。

ずーっと前、一緒にやっていた頃は、圧倒的に仕事のできる師に要求されることに応えようと必死になって、できないくせにできないのは悔しいから無理やりにでも頑張って、でもそれをずっと続けるのが苦しくなって仕事を辞めたのだったな。何年も経って戻りたいと言ったら、わたしにはそんな素振りは見せなかったけれど喜んでいたと他の人が教えてくれた。

戻ったと言っても前と同じことはもうしたくないので、仕事の範囲を限定してよその人とばかり働いているけれど、数日間同じ劇場の同じ側の袖で過ごして、慣れ親しんだ間合いや空気感に、ああ、やっぱりボスはわたしの師匠なのだなと改めて感じた。

舞台をまとめるやり方は人それぞれ違うけれど、劇場にいる間何もしていないように見える時でも、ずっとその役割で居続けてくれてありがたかった。あんなにアクが強いのに(笑)、そこを自分色の世界にしてしまわない。圧倒的に仕事ができることはもちろんだけれど、ボスの何がそんなに良いのか、今になってようやく良くわかりました。

今回は演目のことも出演者のことも良く知っている人が他にいたので、わたしは当初の目標通りに機嫌よくそこに居ることがだいたいできました。以前はボスとの仕事の最中には、わたしを責めるボスの声が頭の中に聞こえてきて苦しかったのですが(…かなり危険な精神状態)、もうそれはありませんでした。

ボスと同じ職種はもうしないことにしています。そう決めて同じ裏方の仕事をすることは、だからわたしはもう弟子ではないと、裏切り者のような居心地の悪いような気持ちでいました。でも今回ボスの仕事を見たら、わたしはわたしの立場でそれをやれば良いのだと思えました。やっぱりボスはわたしの師で、わたしはボスの弟子で良いのだった。



新しい時代に願うこと

 2019-05-01
新しい令和という時代がやってきました。今、「令和」がパソコンで一発変換できるように、遅ればせながら単語登録しました。

午前零時に元号か変わってすぐにレッスンの予約をして、今朝は早起きして二重橋前の駅に地下鉄の即位記念乗車券を買いに出かけました。諸事情あって二往復して、お昼過ぎには二重橋まで行ってみました。



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大勢の人に混じって順番を待って写真を撮って、その場所で「令和が穏やかで、優しくあたたかい時代でありますように」と願いました。

それにはまず、わたしの心の中を穏やかで優しくあたかくしていくことです。願っていれば誰かがなんとかしてくれるのではなく、まずは自分ができることを。そして、自分がそうできたら、人にも優しくあたたかくして、自分が何かあってそうできないときには、他の人にそうやって優しくしてもらって自分を取り戻す、そんなふうにしていけたらいいなと思います。

現実も世の中も厳しいものだ、こんなことは単なるきれいごと、と言われてしまいそうですが、願うことが理想でなくてどうする、と思います。わたしの中に理想と反対の弱い部分がたくさんあるのは良く知っています。それを無いことにしないで受け入れた上で、それを越えて、穏やかで優しく、あたたかいところへ行きたい。

平成が終わる頃、心の中で大きな気付きがあって、自分に厳しくダメ出しされる苦しさがようやく終わっていくのかもしれないと思っています。わたしにも新しい時代がやってくることを願っています。



ちょっとボーっと過ごしています

 2019-01-15
このところボーっとしている時が多く、やることのペースが落ちています。予定をキャンセルするようなことはないし、ヴァイオリンの練習はできています。体調も悪くありません。ただ、何となく自分の心の中を検証する時期なのかもしれません。

先日とても綺麗なガラスの小さい花瓶を見つけて、欲しいと思ったのですが、好きなものに手を伸ばすのを躊躇するクセがあってその時には買わなかった。数日考えてもやっぱり好きだと思ったので、買いに行きました。今、キラキラするカラッポの花瓶をパソコンの横に置いてあります。

昨日外を歩きながら、まだあの花瓶に花を入れていないな、わたし、何の花が嬉しいかな?と考えました。ミモザみたいな黄色い小さな花とか、黄色いバラ、ピンクのバラも好き…と思って、ふと、それは本当に自分が好きな花なのだろうか?と考えてしまった。

変かもしれないけれど、わたしは花を買ってくると、それと同化して嬉しい気持ちになっているところがあります。だから花がたくさんあると少し疲れる(笑)。黄色やピンクの小ぶりな花と、同じような気持ちになって一緒に喜んでいるのが心地良い。でも、それが一番好きな花なのかな?お店で赤いバラが目に入ることもあるのに、なかなかそれを選ぶことがありません。好きだと思った花瓶をその場で買わなかったのと似ています。

赤いバラに同化するのはちょっとためらいがある。買ってみらた自分をそういうものだと思えるのだろうか。わたしはこんな人、好きなものはこれ、得意なことはこれ、と決めておけば、いろいろ面倒くさくないと思っているだけなのかもしれません。自分が知らない自分や、自分で無意識のうちにないことにしている部分がたくさんあるのだと、最近思います。

朝起きて、昨日までの記憶がなくなっていたら、その時何を好きだと感じるのだろう?大事に思っているはずのものに何も感じなくなっていたらどうしよう…。そんな恐ろしい、取り留めのないことを考えたりしてしまっています。やっぱりりょっとヘン(笑)。

もしそうなっても、ヴァイオリンは好きなままだといいな。アヴェ・ヴェルム・コルプスを練習すると静かな穏やかな気持ちになる。まだ自分の音を良く聴けていないのかもしれないけれど(笑)。ツィゴイネルワイゼンは、わたしにとっては赤いバラと同じようなもの。たぶん認めるのが難しいわたしの一部分、かな。

今度、とびきり綺麗な赤いバラを一輪買ってきます。



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