クレーメルを聴きに岐阜へ

 2017-09-07
9月の最初の日曜日、ギドン・クレーメルの演奏会を聴きに岐阜に行きました。東京でも読売日本交響楽団との演奏が2回ありましたが、岐阜ではシャコンヌを弾くとのことでそちらが良いかな~と思って。入っていた予定が無くなったので行かれることになり、もし行かなかったら後から後悔するような気がしたのです。

クレーメルの演奏はサントリーホールで2回聴いたことがあります。
クレーメルの演奏を聴いた(2015年10月) 
クレーメルの演奏会(2016年6月)

岐阜へ行くのは初めてで、せっかくなので一泊することにしました。昼には岐阜に着き、会場のホールへはバスを利用するので岐阜バスの一日乗車券を買って、コンサートの前にバスを利用して市内を少し探検してご飯を食べてから向かいました。岐阜駅からバスで20分くらい、県庁の近くの静かな場所にあるサラマンカホールという会場です。


__ (9)    __ (11)



ホールは客席700ちょっとの長方形(シューボックス形式)にバルコニーがついています。大きいとも小さいとも言えない大きさ。どうしてそう思うのか上手く言えないけれど、そこで働く人にも地元の方にもきっと愛されているのだろうなと感じられるホールでした。正面のパイプオルガンがコンパクトで可愛い。


__ (10)
  


お目当てのシャコンヌは演奏会の最初でした。まだ場が落ち着いた雰囲気になる前にいきなりなので、何だかもったいないような気分です。ヴァイオリンを持ってクレーメルが登場すると、ホールの規模が違うせいか以前サントリーホールで見たときよりも大きく見える。ここまでやってきてクレーメルに会えるのは嬉しいな、なんて思った。

シャコンヌは録音では何度も聴いているけれど、演奏会という場で生の演奏を聴くのはたぶん初めてだと思います。それがクレーメルの演奏だなんて、とても幸せなことです。ホールのせいなのか?ワーッと迫る大迫力というのとは違っていますが、小さい音になると俄然クレーメルらしさを感じられ、音がシューッと飛んできて気持ちがが引きつけられます。
でもあっという間に終わってしまったように感じました。2曲目くらいに演奏してくれたらもう少し受け取る準備が整っていたかもしれないと思ったりして。

他にはヴァインベルグの無伴奏ヴァイオリンのための12の前奏曲(チェロの曲をクレーメルがヴァイオリンに編曲)、ヴァインベルグの組曲「子供のノート」第1巻作品16(ピアノ独奏)、シューマンのピアノ三重奏曲第3番ト短調作品110、アンコールにショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲2番2楽章でした。

クレーメルにとってこの日のメインはヴァインベルグの無伴奏なのだと、弾き始めてすぐに、いえ、演奏のために舞台に出てきた時からそう感じました。曲はずーっとピチカート、ずーっとフラジオレットのものもあり、モノローグのような印象でした。シューマンは予習して行ったこともあって置いてかれることなく聴けました(笑)。イスに座って弾くクレーメルは足が宙に浮いたりしてちゃんと座ってられない小学生みたい。楽しそうに弾いていて面白かったです。アンコールはとってもエキサイティングでした!

満席ではなかったけれど、お客さんはとても喜んでいたように見えて大きな拍手がかなり続きました。前の人が視界を遮るような体勢になったり、後ろの人が長い間鼻をすすっていたり「ん~、聴く人の緊張感が足りないんじゃないの?」とも思ったけれど、この拍手でチャラになったように思いました。

これまで聴いた演奏会のように感動した!とか、心をどこかへ持っていかれたということはなかったのですが、遠くまで聴きに行ったということにとても満足しました。帰りのバスに乗りながら、サントリーホールへ電車で30分で行かれるわたしはとても恵まれているんだなと改めて思いました。今回のように遠くから聴きに来るというのも楽しいけれど、それはそれで大変です。

普段、旅行というものに全然興味を感じておらず、仕事やアーチェリーの試合の遠征でひとりで出かけていく機会はあったけれど、自分の楽しみだけのために最初から最後まで一人で過ごすのは初めてです。クレーメルさん、こういう機会をありがとう(^^)。



『シーモアさんと、大人のための人生入門』

 2017-03-18
久しぶりに映画を観ました。『シーモアさんと、大人のための人生入門』です。公式サイトはこちらかな?→ http://www.uplink.co.jp/seymour/


__ (3)


かなり前から公開されていて、テレビで取り上げられているのを見て知り、先月友人にも勧められました。そろそろ観られるところがなくなっていまいそうなので行って来ました。

ドキュメンタリー映画なので話の筋や結論はありません。89歳のピアノ教師・シーモア先生の言葉が散りばめられた美しい詩集のようでした。行く前から、わたし、きっとこれを絶対に好きだと思っていて、ウルウルしてしまうのが分かっていたのでなかなか観に行かれませんでした(笑)。

その昔、6歳のシーモア少年は家でピアノを弾きながら、その曲のあまりの美しさに涙が出たそうですが、それを話すシーモアさんを見ながらわたしも泣けてきちゃうのです。年齢に関わらず音楽を理解することはできる。同じ年くらいの頃、家の板の間で音楽に合わせてクルクルと踊っていた自分のことを思い出しました。

美しい音楽が好き。それに呼吸を合わせて一緒にいるのが好き。音楽を聴いて湧きあがってくるものと共にあるのが好き。「音楽は神さまの言葉」というのは本当にそうだと思います。その神さまは外にいるのではなく「心の中の源泉」であるともシーモアさんは言います。

そんな言葉に触れたら、わたしはもう本当に嬉しいのです。家に帰る途中でも、帰ってからも、何度もいろいろ思い出してはウルウルして、目が真っ赤になりました。消化するのに時間が掛かってなかなか文字にできませんでした。

神さまの言葉をクラシックの音楽にするには技術が必要で、それがなければ美しさを再現することはでない。毎日の積み重ねが大切だとも言っています。それが充分にできない自分にもまたウルウルしてしまう…。

毎日の練習を音楽と共にある喜びと切り離してしまっていることに、苦しさがあるのです。それは決してカイザーやクロイッエルの教本から強要されていることではなく、自分がそうしてしまっているのだな…。どんな曲にも喜びや感情が動く要素はあるのです。

このところ、ヴァイオリンの体験会や演奏の会で、わたしがなぜヴァイオリンを弾こうと思ったのかを話すことがありました。それは音楽を聴いた時に湧き上がるわたしの中の何かを表現したいから。それが以前はバレエで今はヴァイオリンになっている。バレエをやる人、楽器をやる人が誰でもそんなふうに思っているわけではないと思う。でもわたしは何度そこから離れても、やっぱりやりたいと戻ってくるのです。

英語は苦手でよく分らないけれど、映画の中で何度も「gift 」という言葉が出てきて、字幕では「才能」と訳されていました。自分に音楽の特別な才能があるとは全く思えないけれど、音楽へのこの気持ちは神さまがわたしにくれた贈り物なのだと、初めて思えました。

与えられたということは「それを使いなさい」ということです。使い方がよく分らないけれど、もうあれこれ言っていないでやります。また書きながら目が真っ赤になってしまっています(笑)。やっぱりこんなふうになるのは普通じゃない。ここにわたしの何かがあるのでしょう。

この映画は東京では来週25日から一週間、下高井戸で観ることができます。あとは逗子とか。オンライン上映というのもあるようです。



「嬉しい体験」という言葉でもまだ足りない

 2016-11-15
先週の土曜日、高校の同窓会の合唱祭がありました。

わたしの好きな、客席1000人規模の大ホールで歌いました。
やっぱりそのくらいのホールはホームグラウンドだと感じるんだよな。
緊張したけれどそれよりも同期の皆で歌えることがとっても嬉しくて
歌いながら「幸せだなぁ…」と感じる瞬間が何度もありました。

夏の終わりから6回の練習、7回目が本番というスケジュール、
ほとんどのメンバーが合唱は30年ぶりというなかで、
ちょっと難しいかも…と思った曲を、でも歌いたい!と選んで盛り上がって。

半数くらいが2、3回しか練習に参加できない状況でしたが、
メーリングリストを駆使して情報を共有し、各自で練習をして、
参加16チームの中、優勝狙いの先輩を差し置いて、なんと本当に優勝してしまいました!

こんなことがあるんだねー!と自分たちで驚いています。
なんとか入賞して、再演でもう一度歌いたいよね、と言っていたのだから。

先輩たちに比べて技術的に未熟なところもあるのは分かっています。
優勝狙いの先輩たちは突っ込みどころのない、隙のない演奏だったし。
自分たちの技術は完璧ではなかったかもしれないけれど、
まとまりや迫力が勝っていたのかなと思います。
だぶんわたしだけじゃなく、全員が歌いながら嬉しさを感じていたのではと思います。
そういうのは、聞いている人に伝わらないはずがない。

事務的なことや準備が必要なことを
あれよあれよという間に自然に分担してことが進んで行って、できることをできる人がやり、
(しないという役割も含めて)それぞれの役割を果たすという素晴らしいチームワークでした。

わたしは普段からヴァイオリンのレッスン用のICレコーダーがカバンに入っているので
練習を録音してアップするようになり、
本番もこっそり録音していました。(書いていいのか…?)
ビデオを隠し撮りする人もいて、たくさん写真を撮ってくれる人もいて、
終わってからもそれを見たり聞いたりして、数日ぼーっと過ごしていました。

あまりにもダイナミックに心が動かされる体験をすると、しばらく黙ってしまうのだなぁ…。
歌ったのが気持ち良かった、優勝した、ということよりも、
この体験を同期の人たちと共有できたことが何より幸せです。
数ヶ月前から本番までの歌の上達や気持ちの変化は、ドラマティックでした。

嬉しい体験ができる予感はあったけれど、予想を上回る事態になりました(笑)。
合唱祭は毎年開催ではなさそうですが、またぜひ歌ってみたいと思います。


__ (2)  このTシャツを着ているのがちょっと誇らしかった



30年ぶりの合唱祭

 2016-10-03
11月に高校の同窓会の合唱祭が開かれることになり、
友人に誘われて、わたしも同期の合唱に参加することになりました。
高校時代の合唱祭と同じようにアカペラの混声四部合唱です。

8月の終わりから時々召集されて練習をしています。入れ替わり立ち代り毎回20人くらい集まります。
全員集まれば、当日はおそらく40名くらいになるんじゃないかな。

みんなそれなりに歳を重ねて、男の人はお腹の出てきている人も多いです。
もともと学年全員の顔と名前を知っているわけではないのに、
それぞれ痩せたり太ったりして、知っていた人も分からなくなったりしています。

わたしは高校時代が人生の体重のピークで今より10キロくらい太っていたので、
最初は「誰だか分からない人」だったみたい。(笑)

当時はソプラノでした。話す声はそんなに高くないけれど。
合唱なんて高校卒業してから全くしていないし、普段カラオケにも行かないので声が出ないゾ…。
アルトに転向か?と思っていたけれど、何度か練習するうちに高い声も出るようになりました。

あれ?むしろ高校時代より楽に出るかも??
曲中にそれほど高い音はないけれど、ミやファの音が以前より苦しくないです。
やっぱりソプラノなんだな。むしろその下のレ、ドあたりが中途半端な高さで出しにくい。
とはいえ、息が全然続かないのでブツ切れで声量も足りないです。どうしたものか…。

指揮者を引き受けてくれるのは音大出の同じクラスだった男子で(50近いのに男子、笑)
「和音は伸ばしているうちに、生理的にだんだん合ってくる」とか、
「自分が和声の中のどの位置にいるのかが分かるようになれば大丈夫」とか、
とても興味深いことを言ってくれます。

息が切れても声が出なくても、みんなと歌っているととても楽しい。
高校の行事はどれも好きだったけれど、合唱祭は特に大好きでした。
30年後に、またこんな体験ができるなんて思ってもみなかった。

当時の合唱を越える!とゼーゼーしながら息巻いています。(特に男子)
それはどうか分からないけれど(笑)、
当時と同じかそれ以上の嬉しい体験になると楽しみにしています。


__ (2)



サントリーホールバックステージツアー その2

 2016-09-21
先日、サントリーホールのバックステージツアーに参加しました。
前の記事 サントリーホールバックステージツアー その1 の続きです。

IMG_4767 (1024x735)


ブルーローズ(小ホール)、ホワイエ、舞台の裏側を探検した後は、
サントリーホールオルガンプロムナードコンサート でした。
このコンサートはおおよそ月に一度開催される入場無料のコンサートです。
詳しくはこちら → サントリーホール オルガン プロムナード コンサート

バックステージツアーの内容にはこのコンサートが組み込まれているようなので、
きっと同日開催なのでしょう。
コンサートを聴きに来た他のお客さんに混じって鑑賞します。
全自由席。わたしは1階中通路後ろのブロックの真ん中あたりに座りました。

福本茉莉さんの演奏で3曲、30分のコンサートでした。
この演奏がとても興味深く、たくさん感じたことがありました。
それについては、また改めて書きたいな。

演奏者もプログラムも毎回違うようです。
来月(10月27日)も、日程が合えば行きたいと思います。
で、ホールのいろんな席も試してみたい(笑)。
パイプオルガンだったら、2階の最前列も良いかな。

コンサートの後、いよいよ舞台の上に上がらせてもらいました。

実際に上に立って客席を眺めてみると、
客席から想像していたのとはかなり違った印象でした。

2006席のどれもがとても身近に感じられます。
背中側の(オルガンの下の席)も、先日座った舞台上手の席もとても近く、
一番距離が遠い正面側・サイドの2階席でも、それほど隔たりを感じませんでした。

最初の映像の中で、音楽家たちが「アットホームなホール」だと言っていたのが、
何となく分かったような気がします。(もちろん形以外の意味もあるでしょうが)

自分が普段行く劇場は、舞台と客席は額縁で世界が分かれていて(プロセニアム形式)、
この雰囲気はありません。
サントリーホールはヴィンヤード(ぶどう畑)形式というそうで、
緩やかな段と傾斜の客席は、周りから包み込まれるような感じがしました。

IMG_4770 (1024x759)

妄想練習用に暗めにした客席の写真


舞台の間口(横幅)は想像していたサイズで、下手入り口からセンターまでは18~20歩くらい。
イメージトレーニング(笑)のために試してみた。
奥行きはそれほど広くなく、
舞台全体も袖幕があるのと違い、きっちり囲われているので凝縮した空間に思えました。

サントリーホールの舞台の上に乗ってみて、
演奏というのはお客さんに近づいて一緒になることなのかもしれないな、と感じた。
何を今更…だけど、わたしは自分の世界から出て行くことが怖くて、
境界線を引こうとしていたかもしれません。

見てもらうこと、聴いてもらうことではなくて、こちらから働きかけること。
ああ…、初めて身体で分かった気がします。
それを今、こうして文字にしたら、改めて本当に良く分かった。

大きなホールで弾くことを妄想してスケール大きな演奏を、と思い参加したのですが、
思わぬ方向から大きな気づきがありました。


サントリーホールが演奏家たちからもお客さんからも愛されていること、
そこに関わる人たちが誇りをもって働いていることも感じられました。
ここで心に刻まれる体験がたくさん生まれて、これからも続いていくのだろうな。
わたしはお客さんの一人に過ぎないけれど、そういうものに触れられて嬉しかった。

わたしも、自分が関わる色々な立場・場所で、そういう体験を重ねていきたいと思います。



≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫