クラシック音楽は民族音楽

 2018-06-12
放送大学の授業は主にテレビやラジオで受講しますが、普通の授業のように先生から直接受けられる授業もあります。いろんな講義がありますが土日のものが多く、わたしの場合、日程的に受けられるものが限られてしまいますが、先週から週1回×4回の音楽に関する授業に出ています。

先週は音楽の定義や音楽学や歴史について、ざっくりとでしたが興味深いお話をたくさん聴きました。その中で「クラシック音楽というのはヨーロッパの民族音楽である」というお話が、わたしには目からウロコでした!

日本の学校での音楽教育は西洋音楽の流れのものでドレミファソラシドと習うし、「音楽といえばクラシック音楽が一番上にあって、その中でも交響曲が最上級の音楽」みたいな風潮もあります。わたしはそれに反感を感じながら、でも結局は西洋音楽の中のヴァイオリンやバレエが好きだし、舞台の仕事もそういったジャンルで、ドップリその世界の人になっていることは認めざるを得ません。

この「クラシック音楽はヨーロッパの民族音楽」という話を聴いて、何だか少し気が楽になりました。西洋文化のマネをして外発的近代化をしてきた日本人が「西洋音楽=音楽」と受け止めたことは良く分る。でもヨーロッパは広い世界の一部の地域だし、世界にはたくさんのジャンルの音楽があります。生まれて初めてそういう視点から自分の好きなものを捉えることができました!

それが分かっても、自分が18・19世紀のヨーロッパの音楽やバレエが好きなことには変わりありません。オペラに比べてバレエは芸術性が低いとか、バレエ音楽もそうだとか言われることがあっても、好きなものは好きなのだから仕方ないです。ただ、自分が関わっているものがとっても狭い範囲のマニアックなものだという認識は持っていたいと思います。マニアック好きだからちょうど良かった(笑)。


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今日出会ったビョウヤナギという花



教会でのパイプオルガンコンサート

 2018-05-25
先週、教会でのパイプオルガンのコンサートを聴きに行きました。2月のヨーロッパ旅行でたくさん教会へ行ったのに、パイプオルガンの音を聴く機会がなく、残念に思ったので。

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会場のカトリック東京カテドラル関口教会の聖マリア大聖堂は、とても素敵なモダンな空間で、一度友人の案内で訪れたことがあります。ヨーロッパの古い教会とは全く趣きは異なりますが、あの場所でのオルガンの演奏会をとても楽しみにしていました。

教会の聖堂というのは、正面の祭壇に向かって硬い木の長椅子が並べられており、パイプオルガンは後方の上方2階に設置されていることが多く、カテドラル教会の聖堂もそうでした。開演ベル代わりのふんわりとしたメロディーに続いて演奏が始まりました。オルガンの方を振り向いても演奏する場所はオルガンに隠れて見えません。みんな正面を向いたまま、ただ演奏に聞き入ります。

聖堂の照明は開場中から変化することなく、祭壇の上方から強めのライトが斜め下に向けられていました。オルガンの音がその光と共に頭の上から降り注ぎ、これまで味わったことのない心地良い感覚でした。わたしは前方3分の1くらいの位置に座っていましたが、前のお客さんたち皆さん、背中を伸ばして心なしか視線も上向きになっているように見えました。

あの聖堂の空間のせいか、とても清々しい響きで、音色も豊かでこれまで聴いたことのない色々な音がありました。曲によってライトが暖かな昼の日差しに感じたり、夕暮れに感じたりしました。誰でも知っている(深刻な場面の音楽で良く使われる)「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」の出だしの部分は白昼の稲妻のような、もしかしたら啓示体験というのはこんな感じなのかもしれないと思ったりしました。

プログラムの最初の方にあった「前奏曲とフーガ ニ短調 BWV539」は、あれ?聴いたことがある!と思ったら、無伴奏ソナタ1番BWV1001のアダージョとフーガでした!アダージョの部分が前奏にあたり、ヴァイオリンで弾く時のような雰囲気とは違い、バロックヴァイオリンの即興演奏のように流れるような演奏でまさにイントロ的で、フーガはオルガンでも弾きごたえのありそうに聴こえました。ヴァイオリンでのフーガは改めて良くできている曲なのだなと感じました!

ずーっと前を向いたまま、拍手をするタイミングもなくジーっとしていて身体が痛くなり忍耐が必要でしたが、演奏が終わってロレンツォ・ギエルミさんがオルガンの横から現れると拍手が鳴り止まず、アンコールは2曲演奏してくれました。とても良い演奏会でした。行って良かった。



パイプオルガンが聴きたくて

 2018-03-10
先月のオーストリア・チェコの旅行ではたくさんの教会や修道院を見てきました。ツアーに予定されていたところ以外に自分で行きたいと思って訪れた場所もあります。まるで教会めぐりツアーのようでした(笑)。

たくさん回ったのですが、それぞれの滞在時間はあまり長くなかったので、パイプオルガンの音は全く聴く機会がありませんでした。初めて見るヨーロッパの教会はどこへ行っても素晴らしい空間…としか表現できない自分がもどかしいです。パイプオルガンもさまざまで、大抵遠くの上の方にあるので詳しく見ることはできませんでしたが、あの空間でパイプオルガンの音を聴いたらどんな気持ちになるのだろう…?と、帰って来てからでは今更遅いけれど思っています。

そんな心残りを果たすべく、サントリーホールのお昼の無料オルガンコンサートへ行って来ました。昨年9月以来です。この日はドイツのマルティン・シュメーディングという方の演奏でした。これまでパイプオルガンにはどちらかというと直線的で固いイメージを持っていたけれど、この人の演奏を聴いたら、弾力のある曲線のような生き生きとしたものに感じられました。すごく良かった。


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3曲目のバッハBWV29は、あれ?これはとても聴き覚えがある…、無伴奏パルティータ3番のプレリュードと同じでした。不勉強で聴くまで知らなかった。




参考までに。演奏しているのは別の人です。

旅行先にはあちこちに教会があって、パイプオルガンもきっと身近な存在なのだろうなと感じます。そういう場所でオルガンの音楽が生まれて、初めて演奏されたのも教会のオルガンだったのだろうな。日本人にはなかなか聴く機会がない楽器ですね。

3月に入ってからとても眠たい日が多く、我慢できずにお昼寝してしまったり、夜も早く寝たりしていました。花粉で目が開かないのか?眠たいのか?と思っていたけれど、ようやく目が覚めてきたようです(笑)。教会めぐりの様子もそのうちに書いてみたいと思います。


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ウイーンのシュテファン寺院のオルガン

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クレーメルを聴きに岐阜へ

 2017-09-07
9月の最初の日曜日、ギドン・クレーメルの演奏会を聴きに岐阜に行きました。東京でも読売日本交響楽団との演奏が2回ありましたが、岐阜ではシャコンヌを弾くとのことでそちらが良いかな~と思って。入っていた予定が無くなったので行かれることになり、もし行かなかったら後から後悔するような気がしたのです。

クレーメルの演奏はサントリーホールで2回聴いたことがあります。
クレーメルの演奏を聴いた(2015年10月) 
クレーメルの演奏会(2016年6月)

岐阜へ行くのは初めてで、せっかくなので一泊することにしました。昼には岐阜に着き、会場のホールへはバスを利用するので岐阜バスの一日乗車券を買って、コンサートの前にバスを利用して市内を少し探検してご飯を食べてから向かいました。岐阜駅からバスで20分くらい、県庁の近くの静かな場所にあるサラマンカホールという会場です。


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ホールは客席700ちょっとの長方形(シューボックス形式)にバルコニーがついています。大きいとも小さいとも言えない大きさ。どうしてそう思うのか上手く言えないけれど、そこで働く人にも地元の方にもきっと愛されているのだろうなと感じられるホールでした。正面のパイプオルガンがコンパクトで可愛い。


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お目当てのシャコンヌは演奏会の最初でした。まだ場が落ち着いた雰囲気になる前にいきなりなので、何だかもったいないような気分です。ヴァイオリンを持ってクレーメルが登場すると、ホールの規模が違うせいか以前サントリーホールで見たときよりも大きく見える。ここまでやってきてクレーメルに会えるのは嬉しいな、なんて思った。

シャコンヌは録音では何度も聴いているけれど、演奏会という場で生の演奏を聴くのはたぶん初めてだと思います。それがクレーメルの演奏だなんて、とても幸せなことです。ホールのせいなのか?ワーッと迫る大迫力というのとは違っていますが、小さい音になると俄然クレーメルらしさを感じられ、音がシューッと飛んできて気持ちがが引きつけられます。
でもあっという間に終わってしまったように感じました。2曲目くらいに演奏してくれたらもう少し受け取る準備が整っていたかもしれないと思ったりして。

他にはヴァインベルグの無伴奏ヴァイオリンのための12の前奏曲(チェロの曲をクレーメルがヴァイオリンに編曲)、ヴァインベルグの組曲「子供のノート」第1巻作品16(ピアノ独奏)、シューマンのピアノ三重奏曲第3番ト短調作品110、アンコールにショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲2番2楽章でした。

クレーメルにとってこの日のメインはヴァインベルグの無伴奏なのだと、弾き始めてすぐに、いえ、演奏のために舞台に出てきた時からそう感じました。曲はずーっとピチカート、ずーっとフラジオレットのものもあり、モノローグのような印象でした。シューマンは予習して行ったこともあって置いてかれることなく聴けました(笑)。イスに座って弾くクレーメルは足が宙に浮いたりしてちゃんと座ってられない小学生みたい。楽しそうに弾いていて面白かったです。アンコールはとってもエキサイティングでした!

満席ではなかったけれど、お客さんはとても喜んでいたように見えて大きな拍手がかなり続きました。前の人が視界を遮るような体勢になったり、後ろの人が長い間鼻をすすっていたり「ん~、聴く人の緊張感が足りないんじゃないの?」とも思ったけれど、この拍手でチャラになったように思いました。

これまで聴いた演奏会のように感動した!とか、心をどこかへ持っていかれたということはなかったのですが、遠くまで聴きに行ったということにとても満足しました。帰りのバスに乗りながら、サントリーホールへ電車で30分で行かれるわたしはとても恵まれているんだなと改めて思いました。今回のように遠くから聴きに来るというのも楽しいけれど、それはそれで大変です。

普段、旅行というものに全然興味を感じておらず、仕事やアーチェリーの試合の遠征でひとりで出かけていく機会はあったけれど、自分の楽しみだけのために最初から最後まで一人で過ごすのは初めてです。クレーメルさん、こういう機会をありがとう(^^)。



『シーモアさんと、大人のための人生入門』

 2017-03-18
久しぶりに映画を観ました。『シーモアさんと、大人のための人生入門』です。公式サイトはこちらかな?→ http://www.uplink.co.jp/seymour/


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かなり前から公開されていて、テレビで取り上げられているのを見て知り、先月友人にも勧められました。そろそろ観られるところがなくなっていまいそうなので行って来ました。

ドキュメンタリー映画なので話の筋や結論はありません。89歳のピアノ教師・シーモア先生の言葉が散りばめられた美しい詩集のようでした。行く前から、わたし、きっとこれを絶対に好きだと思っていて、ウルウルしてしまうのが分かっていたのでなかなか観に行かれませんでした(笑)。

その昔、6歳のシーモア少年は家でピアノを弾きながら、その曲のあまりの美しさに涙が出たそうですが、それを話すシーモアさんを見ながらわたしも泣けてきちゃうのです。年齢に関わらず音楽を理解することはできる。同じ年くらいの頃、家の板の間で音楽に合わせてクルクルと踊っていた自分のことを思い出しました。

美しい音楽が好き。それに呼吸を合わせて一緒にいるのが好き。音楽を聴いて湧きあがってくるものと共にあるのが好き。「音楽は神さまの言葉」というのは本当にそうだと思います。その神さまは外にいるのではなく「心の中の源泉」であるともシーモアさんは言います。

そんな言葉に触れたら、わたしはもう本当に嬉しいのです。家に帰る途中でも、帰ってからも、何度もいろいろ思い出してはウルウルして、目が真っ赤になりました。消化するのに時間が掛かってなかなか文字にできませんでした。

神さまの言葉をクラシックの音楽にするには技術が必要で、それがなければ美しさを再現することはでない。毎日の積み重ねが大切だとも言っています。それが充分にできない自分にもまたウルウルしてしまう…。

毎日の練習を音楽と共にある喜びと切り離してしまっていることに、苦しさがあるのです。それは決してカイザーやクロイッエルの教本から強要されていることではなく、自分がそうしてしまっているのだな…。どんな曲にも喜びや感情が動く要素はあるのです。

このところ、ヴァイオリンの体験会や演奏の会で、わたしがなぜヴァイオリンを弾こうと思ったのかを話すことがありました。それは音楽を聴いた時に湧き上がるわたしの中の何かを表現したいから。それが以前はバレエで今はヴァイオリンになっている。バレエをやる人、楽器をやる人が誰でもそんなふうに思っているわけではないと思う。でもわたしは何度そこから離れても、やっぱりやりたいと戻ってくるのです。

英語は苦手でよく分らないけれど、映画の中で何度も「gift 」という言葉が出てきて、字幕では「才能」と訳されていました。自分に音楽の特別な才能があるとは全く思えないけれど、音楽へのこの気持ちは神さまがわたしにくれた贈り物なのだと、初めて思えました。

与えられたということは「それを使いなさい」ということです。使い方がよく分らないけれど、もうあれこれ言っていないでやります。また書きながら目が真っ赤になってしまっています(笑)。やっぱりこんなふうになるのは普通じゃない。ここにわたしの何かがあるのでしょう。

この映画は東京では来週25日から一週間、下高井戸で観ることができます。あとは逗子とか。オンライン上映というのもあるようです。



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