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自分の感覚が疑わしい

 2020-06-29
温度湿度計を買いました。温度や湿度をパシッと数字で知りたい、というのではなく、なんとなくこのくらい…というので良いのでアナログのもの、アマゾンで探したらいろいろありました。自分の体感温度を信用できないかもと?思ったのがきっかけなので、それなりに信用できそうなのを選びました(笑)。

昨日届いて箱から出したらすぐに針が反応して動き始めたので、まずまず信頼できそうです。ヴァイオリンの練習中にエアコンをつけ消しすると、湿度が上がると音が下がり、湿度が下がると音が上がるので、合っているっぽい(笑)。わたしに必要なのは温度計の方ですが、湿度ほど変化はありません。練習中は窓もドアも閉めるので少しエアコンもつけますが、寒く感じるのは嫌なのですぐに止めちゃうのです。

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高さ10センチくらい。時計と並べても見間違えたりはしません(笑)。
気温は27℃~30℃くらいで安定しています。お風呂場の時計は気温の表示があり、それも同程度です。体感温度より高いように思って、これまで信用していなかったんですよね。でも合っていたのだな。ヴァイオリンを弾くときは動くこともあってか少し暑く感じますが、昔は30℃といったらもっと暑かったような?環境に順応できているということなら良いけれど。

この数か月で、世の中や自分の周りのことにいろいろな変化があって、わたし自身はあまり変わった自覚は無いし普通に過ごそうとしていますが、良く分からなくなっていることがたくさんあります。ひとりで過ごすようになり、食事の量や睡眠時間、そんな基本的なことも何だか変で、改めて調整中というか、お試し中みたいな感覚です。

それでも6月に入ってからは前の日常が少し戻り、友人と出かけたりご飯を食べたり、ひとりでも遊びに出かけました。先日、旧古河庭園へ行ってきました!5月のバラフェスティバルの時期に休園になってしまい残念に思っていましたが、その後も花を残してくれていて二番花を楽しむことができました。7月5日まで見られるそうです。


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好きな白いバラ「緑光」は見られませんでしたが、初めて見る可愛いバラが。



感じることがたくさんあって

 2020-05-19
新型コロナの影響でほとんど家で過ごしています。外出は日常の買い物と、週一の肩のリハビリと、気分転換の散策に出る程度です。

仕事は当面ありません。自粛が解除されても、さまざまな準備が整うまでには時間がかかりそうです。劇場を使う催しもの全般は一体どんな風に再開されることになるのでしょう?再開はあるのか??満員の客席やたくさんの拍手は、舞台の後ろ側にいるものとしても本当に嬉しいものでした。

多くの人がそれぞれの役割で場を共有する体験は、舞台に限らず他にもたくさんあるけれど、今はそれが叶わない。わたしは「人との密な関係は苦手」と思っていたのですが、自分の好きな距離を保って、でも人と一緒にいるのは結構好きだったのだと、今改めて感じています。

一人でいるのは日常的なことと思っていたはずが、本当にひとりで過ごしてみると全く落ち着かず、身体なのか気持ちなのか、どこかの奥の方がずーっと緊張している感覚があります。自分のこと、そんな人だとは思わなかった(苦笑)。

気持ちはそんなふうでも、まあまあヴァイオリンの練習をして、お花の世話と、部屋のかたずけを少しと、プリンをつくったり、手仕事をしてみたり、チマチマと過ごしています。今日は何度も書いたり消したりして、取り留めのない話になってしまいました。


ミニバラも胡蝶蘭も、たくさん咲いて賑やかです。


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ギュスターヴ・モローの描いた女性のように

 2019-06-21
汐留美術館のギュスターヴ・モロー展へ行きました。この週末で終わってしまうので混んでいて、入場制限のため並びました…。

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展覧会概要に「質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。」とあり、神話や聖書を題材に描かれた幻想世界を観たかった。モローが描いた女性がテーマになっていて、誘惑する・される、純潔であり官能的である、そういう存在としての女性の絵がたくさんありました。

なんだかんだ言っても、わたしは幻想的な美しい妄想世界が好きなのだろうし、だからチャイコフスキーのこれでもかと盛り上げるような甘い旋律にも同調していってしまうし、もうこれは抗えないことなのだと観念します(笑)。冷静で中庸で客観的な人でありたいと思ってきたけれど、それは自分がそうではないことを薄々知っていたからなのかもしれません(笑)。

そこそこ長く生きてきてこれまでにつくり上げられた自分が、もともとのわたしからはかなり違ってきているかもしれないことに気がつきました。何が好きで何が心地良いのか、頭で考えるのではなく試して体感して選びなおすというのを、チマチマとやっています。全く生産的ではないしとても疲れるけれど、少しだけ本来のわたしに戻ってきているかもしれません。

分りやすいことでは、眠たい、疲れた、お腹が空いた…、そういう基本的なことを無視しないで素直に感じて、それを満たしてやる。あとは身の回りのものとか服とか環境とか、身体も気持ちも心地良いものは何か?など。もう途方に暮れるほどいままでテキトーなものを自分にあてがってきたんだなぁと愕然とします。

自分で忘れていた本来の感覚を思い出すのは新しいような懐かしいような気分です。これを続けて行けば、やがてはモローの描いた女性のようになっていくのかもしれないなぁ…と(他の言葉で解説するのが難しい)、今日は改めて思いました。

最近、とても相棒くんが良い音を出しているような気がします。弾く側のわたしに何か変化があれば、そういうこともあるだろうなと思います。わたしが緩んで元に戻っていけば相棒くんも本来持っている良い音になっていくに違いないです。(幻想・妄想ではないことを願います、笑)



行き当たりバッタリ歩いたら

 2019-05-22
仕事が忙しかったり、肋骨を折ってしまったり(先週はそのためヴァイオリンのレッスンをお休みしました)、でもいろいろ大体落ち着いてきて、今日は表参道で用事を済ませ、珍しく真っ直ぐ帰らずフラフラ歩いてみる気になりました。普段、わたしはどこへ行っても直行直帰の人で寄り道するのは苦手ですが、お天気が良く気分も良かったので(^^)。

どこへ行くかは決めず、曲がってみたい道、目に入ったものに向かって歩いてみました。あみだクジみたい(笑)。どこに行って何に出会うのかちょっと試してみたかったのです。方向音痴だけど、迷子になっても帰り道はGoogleマップで調べれば良い。

青山墓地を抜けて、住所表示が西麻布になったあたりに花屋さんがあり、胡蝶蘭の株を見つけました。胡蝶蘭、育てたこと無いけれど何かの縁かもと、お店の人に声をかけて一株いただきました。

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その先で何となく角を曲がったら西洋の骨董屋さん?(昼は骨董、夜はバーだそうです)があって、そこでイヤリングを見つけて、しばらく眺めた後に買いました。お店の人はややごつい感じの男の人でしたが、丁寧に包んでくれて可愛い花柄の袋に入れてくれました。

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もうそろそろ帰ろうかと大きな道に出て交差点を渡ったら「←国立新美術館」の看板が。今やっているクリムトの絵のチラシは前から見ていたけれど、「これは行かなくてもいいかな…」となぜか除外していた展覧会です。今日も反対の広尾駅に向かって帰ろうと歩き始めてから、いやいや、あみだクジを全うしなくちゃと思って、行ってみることにしました。

わたしは放送大学の学生で、国立の美術館は特に割安で観られます。企画展の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」、行って良かったです。昨年行ったウイーンは寒くてグレーな印象で、それが思い出されてなんとなく敬遠してしまっていたのかも。

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一番嬉しかったのは、自分がシュテファン寺院の写真を撮った、まさにその場所から描いたルドルフ・フォン・アルトの絵があったこと。他にもシューベルトが使っていた眼鏡(この眼鏡を通して何を見てたのだろう…)、作曲家たちの肖像や彫像、劇場に関する絵、1800年代のドレスや帽子など、わたしの興味のあるものがたくさんありました。一番最後にあったロダン作の「グスタフ・マーラーの肖像」、気難しい顔をしていて「自分の心の内など理解しようとしてもムダだ」と言われた気がした。本当の最後に反対側から右の横顔を見たら、柔らかい表情をしていて、何だか安心した(^^)。

自分で計画して行動しなくても、もしかしたらそうしない方が、自分に必要なものや出来事に出会えるのかも?なんて、ちょっと思ってしまうような午後でした。



連休後も続きます

 2019-05-07
長いゴールデンウイークが終わっていろいろなことが通常営業に戻りましたが、わたしは引き続き、このあとあとも2週間くらい繁忙期ペースのままです。その合間にヴァイオリンのレッスンがあって、もろもろ全然大丈夫ではありません(汗)。

次の仕事の準備をしていたらヴァイオリンもリコーダーも練習する時間が取れず、それ以上にその仕事のことがとても心配になってきてしまいました。自分は心配性なんかじゃない!!と思っていたけれど、結構そうかもしれなくて、でも、いろいろ考えているようで肝心なことはあまり考えていなくて、余計なことに気を回して始まる前から疲れてしまうのかもしれないなぁ。

このまま現場に行ってしまったらグッタリするのは目に見えているので、ただ機嫌良くそこに居ることが自分だけでなく皆のためにもなるのだというつもりでいることにします。自分に割り当てられた仕事の分担というのはもちろんありますが、できること以上を求められているかもしれないと思って勝手に疲れてしまうよりも、自分で決めた役割をする方がわたし自身も周りの人も安心する(…と自分に言い聞かせる)。

こんなふうに書いていたら少し落ち着いてきました。ここ数日、気持ちも身体もバランスを崩しそうな感じでしたが、今、ちょっと大丈夫かもしれない…と思えてきました。ん~、久しぶりにグダグダしたことを書いてしまいました。こういうの、消してしまっても良いのだけど、またしばらく間があいてしましそうなのでこのままで。

新しい時代になったといっても、何かが帳消しになったり突然希望がやってくるわけではありません。少しずつ丹念に方向づけていく事ですね。



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