FC2ブログ

できなかったことを数えない

 2018-10-11
今日はヴァイオリンのレッスンでした。いつもの曜日のいつもの時間、通常の2週間間隔でのレッスンです。

どんな時でも充分な練習ができました!と思ってレッスンへ向かうことはないし、終わってからも、もっと練習すれば良かった、あそこがダメだったなど、できなかったことに気が向きます。

「反省だけならサルでもできる」
「できなかったことを数えることがキミを停滞させるんだ」

ということで…、
これからは心の中でもここでも、反省会はやめます。(なるべく…です)

自分は普段は特段暗い人ではないはずが、ヴァイオリンについては悲観的で心配性だと、思いたくないけれど認めます。舞台の仕事も若干そうだけど、劇場に入る前夜と終わってからの一人で家にいる時だけで、現場ではまったくさっぱりとしています。


2巡目クロイツェル36番は、先回の35番よりは少し良かったし、ツィゴイネルワイゼンの中で、家で練習してもなかなか上手くできなかった部分が、先生に言われた通りにしたら一瞬思うような音に近い音が出ました。

レッスンはできないこともできたこともあって、普段のように終わりましたが、自分の表現ツールはヴァイオリン…と書いたそばから、現実に引き戻されて、それは自分の勘違いだったか…?と、珍しく帰りの足取りも重く、というか現実に足が重く感じて、ただ単に疲れているのかもしれません(笑)。気持ちも身体も密度がいつもの半分くらいの感じ(←イメージです)。


20181011232151c9c.jpeg

先生のところへ行く途中に咲いていました。ちょっとピンボケだけどかわいいね。



改めて、自分の個性を受け入れる

 2018-10-09
絵画や彫刻や舞台作品などを見ると「そしてわたしはどうするの?」という思いがこころにやってくるのは、わたしは表現する側だという認識があるからなのだということに改めて気が付きました。

自分の表現ツールは何なのか。40歳過ぎて始めたヴァイオリン以外に、もっと上手くできることが他にあるのではないか。最近ヴァイオリンをどうやって表現することと結びつけて良いかわからなくなって、他に思いつくことを見に行ったり考えたりしてみましたが、やはり、どうしたって、ヴァイオリンなのです。バレエの代わりにヴァイオリンを、と思ったわたしは本当に正しくて、それを疑うわたしの方がおかしかった。

バレエを踊るのとヴァイオリンを弾くことのオオモトにあるものは、自分にとっては同じものです。他の人に理解できなくてもわたしにはそうです。それは小さい子どもの頃から感じていて、今もずーっと持っていて、何かを通して表したいと思うもの。これまで何度か中断したけれど、今もあまり上手くいっていないように感じているけれど、手段をヴァイオリン以外に探してでもそれをやらなくては…と思うくらい、あきらめ悪く持続する、何かです。

ツッコミどころのないそつない演奏ができるようにはならないかもしれません。平均的に全体的に良く…というのは無理かな。あちこち難ありでツッコミどころはあっても、それを忘れさせる何かがあるような音楽ができるようになりたい。

上手くいっていないと思うのは、気持ちと身体に不自由を感じているのと、上手くいっていないことに目が向ているからで、現実には少しずつ良くはなっている。わたしのやりたい音楽は、従来の下から着実に積み上げていく方法だけでは辿り着かないものかもしれなくて、飛躍した場所から足りないものを補うために降りてくるような方法が必要です。

ヴァイオリンの先生は、今まで、そのどちらからもアプローチしてくれていました。「できない自分」という意識が染み付いていて、辿り着きたい場所からのアプローチをしてくださっても、わたしの側が無意識のうちに受け取り拒否していたかもしれないと気が付きました。ツィゴイネルワイゼンを長い間やっているのは自分にとって大きな意味のあることだから、なのですよね。

そう言いながら今日はヴァイオリンの練習ができていない。眠たい時間に消音機をつけて弾くよりも、今日これを書くことの方が数段大切だと思って、記しています。半分言い訳なのは分かっているけれど。明日からはこれまでよりももっと楽に上手くいく気がしています。


201810092330469e6.jpeg



ウダウダ、治りました

 2018-09-28
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。午後に予定が入ってしまったので、午前中のレッスンに変更させていただいていました。前の日に練習疲れか手が動かしにくいように思ったのですが、朝はいつでもそんな感じです。それでも少し良くなったみたい。

家のことを済ませて練習してから行こうと少し早起きして、1時間くらいはできましたが、いやぁ、これでは全然足りない。普段の練習もだんだん時間がかかるようになってきていて、思うように練習できる時もありますが、時間が足りない時や、時間があっても気力が足りなくなってやることが全部終わらないまま終了してしまうことがあます。

2巡目のクロイツェル35番は練習の始めはいつもとても音痴で、やるうちに少しマシになってくるのですが、次の日になるとまた音痴に戻っているということの繰り返しです。ボーイングも全体的に息苦しい音で、先生の前でも力の入った叫びっぱなしの音痴な音になってしまいました。後で録音を聴いたら自分で聴いても苦痛でした…。

あまりの悲惨さに1巡目よりも下手になっているのではないか?と思って前のを聴いてみたら、これでもその時よりは少し進歩していました。…ホッとしてよいのだろうか…?次の36番はもう少し良く弾けるように練習をしたいです(毎回レッスンの次の日はそう思っているのにな)。

一方のツィゴイネルワイゼンは、少しづつですが自分でも進歩しているのが分かります。かれこれ長くやっているので当然といえばそうですが。練習の始めに音痴になってしまうのは同じですが、回復時間はクロイツェルよりは短くて済みます。とはいえ、後半の速くなる部分は指が回らず、フラジオレットの部分はまともな音が出ず、なんだかなぁ~と気持ちのテンションも低いので、この曲らしくなりません。

そんな状況でも、レッスンが終わったらそれまでのウダウダした気持ちはなくなりました!なぜだろう?不思議ですね。家で締め切った部屋でひとりきりで練習していると、だんだん部屋のサイズにあった弾き方になってしまうし、なんとなく独り言チックな音にもなり、それがウダウダに拍車をかけているのかも。

先生はいつでもわたしがイメージしやすい言葉で話してくださるので、どうしたら良いのか良く分るし、ウダウダから脱出できて元気になります。レッスンが終わった時には、クロイツェル35番が悲惨だったのも忘れていました(笑)。

レッスンの後はいつもいろいろ思うことがありますが、今日は改めて、いつでも何を弾いていても豊かな良い音で弾こうとすることを忘れないようにしようと思いました。楽譜を追ってショボショボ・ペシペシした音を出してしまうのはヴァイオリンを弾いているとは言えないのだ。先生にそのように言われたのではありませんが、すごくそう思ったのです。


IMG_9146.jpg

夏からずっと、代わる代わる花をつけてけてくれている街路樹のむくげ。そろそろ終わりかな。おつかれさま、ありがとうね。



少しウダウダしています

 2018-09-26
この前藤田嗣治の絵を観て、ひとりの人が描く「油彩」という絵の幅広さを感じて、同じようにヴァイオリンもいろいろな表現があるよなぁ…と思いました。

また別のことでは「役柄の中でしか現れないその人の魅力というのがある」と思ったり。もちろん、もともとそういう魅力を内側に持っていてのことではあると思いますが、日常ではなかなか表に出る機会が無いものを役柄を通して見ることができるのは見る側にとっても、演じる側にとっても貴重なことです。

自分はどうなのかというと、ヴァイオリンというツールを使いこなすにはまだまだ遠く…。ヴァイオリンを弾くことに精一杯でツールとして使うことを考えなくなってきています。漠然と何となく思ってはいても行き先が分からないので、これまで通り目の前のことに取り組んでいます。

それもなかなか思うように進まないけれど、日々細かい発見(というよりも改めて分ること?)などはあります。わたしはどうやらヴァイオリンの練習を「ヴァイオリンを持って、楽譜を見てその通りに音を出そうとすること」と思っていて、楽器と弓がやることのように思っているようだけれど、「弾くわたし自身も含めたひとつのパフォーマンスの練習」として考えた方が上手くいくのではないか?と書いてはみたけれど、それをやるまで手が回っていないなぁ…と思ってしまいます。

なんだかウダウダ気味ですが、今日はまた新しく気が付いたことがあります。いつもレッスンの前日になると何か発見する(笑)。今日は立ち方について、足の向きと身体の軸が少し捩れていたことに気が付いたので、足、骨盤、肩を捻らないように構えたら良い音になった。ヴァイオリンは斜め左で首も左を向いて、弓を持つ右手は身体の前から左上へ動いて、全体的には左を向くことになるけれど、わたしは更にウエストから上を左へ捻っていたようです。

ボーイングやヴィブラートの練習はそのままできますが、余裕がなくなるとまた捻れて弾いてしまいます(笑)。明日に備えて悪あがき練習をしたら疲れたのか、後からまた練習したら上手く手が動きません。朝になったら治っているといいな。



松脂、塗り過ぎでした

 2018-09-14
昨日は、この前購入したマッハワンのメイプルの肩当てといつも通りに相暴くんとレッスンへ。

新しい肩当ては、どの弦でもハイポジションで音の輪郭がハッキリしたというか、これまでよりも芯のあるような印象の音になります。今までは目が粗い音(?)がしていたように感じます。先生にそう感想をお話ししたら「これまで音が散漫になっていたのが、一ヶ所にまとまりつつ全体に音が広がるという傾向になっています(^^)。」と、実に的確な言葉にしてくださいました。そうです!そう言いたかったんです!!

まあ、わたしは言葉にするのがイマイチでしたが(笑)、自分が感じていたことが先生と同じようで安心しました。自分が耳が良いとは思わないけれど(弾きながらだと自分の音程には寛容です、笑)、音の質についてはわりと分かるようです。

先生はわたしの調子だけでなく、楽器の調子にも敏感です。潰れた感じの音になってしまっていたのはわたしのボウイングに力が入り過ぎなだけでなく、楽器の音が出にくい状態だったということもあったようです。ヴァイオリンの駒を少し調節して楽器自体は良くなったけれど何だか変。次に弓を見てくださって「松脂が少し多いようです(^^)。」とふき取って下さいました。これでかなり弾きやすくなりました!

わたしは良く「少ないようです(^^)。」と言われることが多く、それが頭にあったのか家でも、先生のところについてからレッスン前にもしっかりと塗っていたのです。多いとどうなるか、少ないとどうなるか、の検証がまだまだ足りないみたい。この前から少し音が出にくいように感じていたのは、その時既に松脂が多かったのかもしれないけれど、わたしは足りないのかと思っていました…。

今回は2巡目クロイツェル34番の残り2ページと、ツィゴイネルワイゼンを頭から。クロイツェルの重音シリーズは難しいし、ツィゴイネルワイゼンも太い強い音で弾きたい所が多く、どうしてもガシガシと力を入れて弾いてしまいます。本当は力じゃないのだと思います。

前の時間の方が鈴木教本の2巻「リュリのガヴォット」を弾いていました。わたしがやっていたのは数年前になりますが、それから進歩しているのだろうか?といつも心配になります(笑)。いやあ、まあ、たぶんその頃よりは進歩しているはずですが、いつも自信が無い。いつまでたってもメチャクチャ弱気です(笑)。

これからしばらくは通常通り2週間おきにレッスンへ通う予定です。いつもの日常が戻ってきた!ということはレッスンの日までの日数を数えながら課題の練習を進める毎日ということ。それ、結構好きなんだなぁと、レッスン終わったばかりの今日は思います(笑)。




≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫