妄想ばかりが先行して

 2018-02-09
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。
いつも言っていただいていることですが、「外向きの愛想の良い、人が寄って来そうな良い香りの音で(^^)」と先生。

わたしが出す音は寂しめ&厳しめで、内向きな印象です。それは普段人に見せている自分とは少し違っているかもしれないけれど、本当の素の自分なのだろうな。自覚あります(笑)。出てくる音を変えるには、わたしの場合は自分の中身を変えるのが良いのではないかと思うのです。器用ではないので中身そのままであたたかい外向きな音を出すのは難しい…(^^;

厳しさの先にある美しさとか、精神的・知的な喜びが好みではあるけれど、この世に体を持って生まれたのだから、美味しいものを食べるとか、肌触りの良さやお風呂に入った時のホッとする感じ、そういう体感的な喜びにもっと心を開いていったらどうか?と最近思うようになりました。

今までも美味しいと思ったり暖かいとか気持ち良いとか、もちろん感じていたけれど、それをもっと積極的に楽しむ心のゆとりが生まれたら、出てくる音も変わってくるのではないかと思います。ヴァイオリンの音色のためだけでなく、わたし自身がそういうゆとりのある人になりたいなぁと、ようやくそういうことに心が向くようになりました。ちょっと、いろいろ頑張ることに少し疲れてきたというのもあるかな。

家でヴィブラートの練習をしながらイタリア絵画のふくよかな女性を思い浮かべたりして、またもや妄想先行な日々を過ごしていましたが、課題のほうがあまり上手く進まず、先回残したクロイツェル39番の終わりの方と40番は半分までしかできませんでした。ツィゴイネルワイゼンも練習はしていても、何か方法が間違っているのか練習が足りないだけなのか…という状況です。

妄想や理想ばかりが広がって、現実が置き去りにされていてはね…。わたし、このくらいの練習では全然足りないんだなぁ。と言いながら、週明けから旅行に出かけるので、ヴァイオリンの練習はしばらくお休みです。でも練習以上に、楽器を弾く上でもそれ以外でもわたしにとって良い影響があるだろうと思っています。

出かけるまでは練習できるので、忘れてしまうかもしれないけれどできるところまではやっておきます。


__ (6)

レッスンの後、ホッとした気持ちで見上げることが多かった樹たち。今はなくなってしまったけれど



わたしは指が開く人なのかも

 2018-01-26
昨日はヴァイオリンのレッスンへ。今年に入ってからは仕事がヒマヒマなので、レッスンを2週間に一度の通常ペースに戻しています。時間があっても2週間で課題を終わらせることはやはりプレッシャーですが、難しそうな曲の場合は「最後まで終わらなくても良いです(^^)」といっていただいているので、それに甘えて無理やり最後まで頑張ろうとしなくなりました。

今回はクロイツェル39番。見るからに嫌な感じのする楽譜で、特に難しいのが人差し指を押さえたまま残りの指を遠くへ広げて弾く部分。そのパターンが何度も出てきます。肩が外れそうな場合は無理にやらなくて良いと言ってもらっていて、自分でも気を付けていましたが、つい肩を捻る方向へ力が入ってしまい、肩が外れてその日の練習が強制終了…というのを3回ほどやってしまいました。装具していても外れなくなるわけではありません。そんなことやっていて、更に進まなくなってしまうのですよね…。

もう肩はとても緩くなっているのでそれほど痛くならないし、すぐに自分で戻せなくても静かにしていれば緊張が取れて戻るので大事には至りませんが、なるべくなら避けたい。で、肩を捻らないように肘の位置を動かさずに人差し指と小指を開いて押さえることにしました。最大に開くのは、例えばA線のシを人差し指で押さえ、D線で同じ高さのシを小指で押さえるという遠さです。

肩が外れるのは怖いので必死で指を開くと何となく押さえられます(若干他の弦を触ってしまうけれど)。レッスンが強制終了になるのは避けたかったのでそうやっていたら、先生には苦労なく指を開いて押さえているように見えたようで感心されました!他の人はもっと大変そうに押さえて、それでも届かない人もいるそうです。先生ご自身も肘を入れないと届かないとのことでした。

何がどうしてわたしは届くのか(それでも大変ですが)、自分では分らないけれど、わたしが他の人よりもできることがあるなんて!普段できないことばっかりなので、すごく不思議な気がします。できないことはできるようになるために「なんでだろう?」と考える必要があるけれど、自分で不思議であってもできることは考えなくて良いので、検証はやめておきます。

と言いながら、家に帰ってからどうやらわたしは指を反らすのが得意だからそのせいか?と思い、家にいた息子に同じように指が反るか見せてもらったら、あれ?同じくらい反る??「遺伝じゃね?」と言われて、ん~、親子だからそうかもね。他の人はどうなんだろう?

左手自体は今でもやっぱり右手よりも動きが悪く、握力も右の半分くらい。グーパーしたり、親指側から指を一本ずつ開いたり閉じたり、小指からもやったり、グーにしたまま手首を曲げたりのばしたりしています。病院でのリハビリは肩だけなので手のことは自分でやらなければと最近気がついた(笑)。

ツィゴイネルワイゼンがなかなか上手くいかないのは指の動かし難さや力の入り具合にも問題がある。音程がふにゃふにゃしてしまうのは、指が動くのと一緒に手首や腕がいちいち動いてしまっていて、どこにもよりどころが無かったのも原因のひとつだろうと思います。これまではそれにさえ気がつかないくらい何がいけないのか自覚できていませんでした。

フラメンコの踊りのように…、捻りながら回転する動きのようなイメージ…、大袈裟な音程…、ツィゴイネルワイセンはできるようになったら本当に面白いと思います。できなくてもそういうことを練習するのは今の段階でも楽しいです。


20180126084536d68.jpeg  大雪の翌日の太田黒公園



たどり着くのは自分に必要なこと

 2018-01-22
来月の中欧旅行に関連して、チェスキー・クルムロフという場所について調べていたら、「ロマ」という言葉を見つけました。

ジプシーという言葉には差別的な意味合いがあるそうで、それに変わるのがロマということのようです。ツィゴイナーとか ツィガーヌもジプシーと同じニュアンスなのではと思います。他のことを調べていたのに、気になることの行き着く先はは音楽に結びつくことでした。いえ、わたしが音楽に興味関心があるので、なんでもそれに結び付けて考えてしまうのでしょう(笑)。

「ツィゴイネルワイゼン」も「ツィガーヌ」もヴァイオリンでは有名な曲ですね。情熱的だったり激しかったり、わたしのようなあっさりしたそっけない弾き方では成り立たないような曲です。自分の中に情熱的な何かを探して掘り起こしている最中です(苦笑)。もっと血が騒ぐようなエネルギッシュな感じにならないものか…。(それ以前に問題山済みなのは承知していますが)

情熱的なそういう血が流れている人が弾いたらどんなふうになるのだろう?そう思って探したら、シャーンドル・ラカトシュ(Sándor Lakatos)という人のチャルダッシュをみつけました。(弾いている映像はありません)




でも、ラカトシュで検索すると出てくるのはこちらのロビー・ラカトシュ(Roby Lakatos)の方が多いです。さっきのシャーンドル・ラカトシュは彼の叔父さんらしいです。こっちのチャルダッシュ、もうすご過ぎて笑うしかない(笑)。




目をつぶってもう一度聞き比べたら、最初のシャーンドル・ラカトシュ叔父さんの方がとっても好き。ヴァイオリンを始めたころ「踊るように歌うように遊ぶようにヴァイオリンが弾きたい」と思っていたけれど、それはこういう音楽なんだよな~。今、その希望を取り下げた訳じゃないけれど、そんなふうに弾きたいと思うと同時に身体のどこかに緊張感が走るのを感じます。まずそこが違うのよ…。

ツィゴイネルワイゼンを弾いているのはありませんでした。他の、なんだか濃い目のお姉さんが弾いているのを見つけて参考にしています。いつまでたっても全然それっぽくならないので、この前のレッスンで先生がわたしに分かりやすい踊りや動きに例えてくださいました。何となくでも、ちょっとでも、そんな雰囲気でできるようになりたい。



今年最初のレッスン

 2018-01-12
昨日は今年に入って最初のヴァイオリンのレッスンでした。

年が明けてからは時間がふんだんにあるのですが、毎日ものすごく練習しているかといえば残念ながらそうではありません。頭のどこかで使える時間は全部練習に当てたらどうか?という非現実的な考えがチラリと浮かんだりすることがあります。でも浮かぶだけ(笑)。結局忙しくてもそうでなくても、練習できない自分にちょっとガッカリしています。

それでも、解読が難しかったクロイツェル38番はなんとか最後まで音にできました。先回のレッスンで「もし無理でしたら途中まででも(^^)」と先生が言ってくださったのを覚えていて、ほんの数日前には途中までで諦めていたのだけど、もう少しだけ進めてみようと思ったらそれまでの繰り返しが多く、ぎりぎりセーフで間に合いました。

「時間があってもそれほど練習できません…」と自分の残念さをお話ししたら、「(一日中練習しろと)昔のヴァイオリンの先生みたいなことはあまり言うべきではなくて、人生はヴァイオリンだけではないわけで(^^)」「ヴァイオリンの先生がそんなこと言ってはいけないかもしれないけれど、そう思います(^^)」と言ってくださいました。

わたしがこれからヴァイオリンを職業にしていくかもしれない若い人だったら、違う言葉を掛けてくださるのかもしれませんが、現状に即した現実的なものの見方をしてくださってありがたいです。もちろん、「一日中練習するんだー!」と頑張ることを止めはしないと思います。でもその心配はなさそう(笑)。

引き続きツィゴイネルワイゼンもやっています。「楽譜通りに弾く」というのとは少し違うこの曲を、楽譜通りに弾くことがままならない自分が弾くことは難しいのです。でもそれはどういうことかを理解できて少しでもそんなふうに弾けたら、何か自分の世界が少し広くなるような気がするのです。そのための練習課題のような気がします。

夕方になったらすっかり寒くなって、レッスンの前にはそれなりにでも頑張ってはいるので少し疲れてお腹も空いたので、鏡開きのお汁粉を作りました。あったまって足の先までポカポカになりました~。


201801121858507e5.jpeg    20180112185852732.jpeg



一区切りついたような気がします

 2017-12-30
27日に今年最後の仕事が終わり、翌日はたくさん寝てボーっと過ごし、昨日は神経内科の診察の日でした。今月は終わりの方はかなり疲れてしんどいな~と感じていた一方で、肩は相変わらす関節が離れ気味で装具をしているものの、疲れてもさらに悪くはなりませんでした。

ここには書きませんでしたが先月の終わりに久しぶりに神経の検査をしました。その時に、先生が「これなら良くなると思いますよ。」と言ったのです。「良くなる人もいるし悪くなる人もいる」「この病気は…ね。(難しい)」と言われてきたので、ついうっかりそんなことを言ってしまったのだろうと思って聞き流していました。

昨日改めて筋力や腱反射を診て検査の結果と合わせて「だんだん良くなっていくのではないかと思います。」と言われました。肩が脱臼しやすいことやリハビリの成果が出ていないことは自分が一番良く知っていて、どうなっていくのかな…と思ってはいるけれど、「良くなる」と言われたその言葉を選んで、そうなっていこうと思います。

久しぶりにヴァイオリンの練習を少しして、ツィゴイネルワイゼンの好きなフレーズも弾きました。先日ボスのマニアックなバレエの踊り方の話を聞いてから、ある人がわたしの頭の中でそのフレーズを踊るようになりました。その人だったらこんなふうに踊るに違いない。それをわたしはヴァイオリンで音にするんだ。楽譜に書いてあるアクセントも強弱も、全部その通りの踊りになっているから、ただそれを弾けばいいのです。

誰に教わったのでもないわたしだけのやり方だけど、ようやくそれが少しできる段階に来たのかもしれません。踊るように弾くというずっとやりたかったことが、これからできるようになっていきたい。

穴の中から少し明るいところへ出てきたような…。ああ、「トンネルから出てきた」というのはこの感じのことを言うのかもしれませんね。これまでと何かが大きく変わった訳ではないし、はっきりとした区切りがついたのでもないけれど、これが新しい段階の始まりだったら嬉しいです。



≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫