相棒くんが元気になった

 2017-01-26
先日のレッスンで、お掃除してキレイになった相棒くん(ヴァイオリン)を見てもらい、
「一度駒の下も掃除してみては?(^^)」とご提案いただいたので、やってみました。

お掃除をする前から、ここしばらく良い音が出ていないように感じていて
それはわたしの弾き方が悪いのだと思っていたけれど、
先生に音を出してもらって、楽器の問題もあると分かり、
駒の下も掃除して位置を調整し直すことにしたのです。

駒を外して魂柱が倒れるのが怖いので、妹ちゃんから外した低い駒を位置をずらして立て、
自己責任手法のお掃除をしました。
他の部分と同様に、思ったよりも素直に汚れが落ちました。

バレエの時に滑り止めに使う松ヤニは、踏んづけられ床にこびりついていて
落とすのはとても大変ですが、楽器のは違うようです。

__ (5) (768x1024)  最初の状態


__ (2)  1度掃除した後


__ (4) (768x1024)  駒の下もキレイにした今の様子


いやいや…、こうして並べて見るとまるで別人!(人じゃないけど、笑)
これだけ状況が変われば当然音も変わります。
一度掃除をした後には、音が大きくなり輪郭がハッキリしたように感じました。
まあ別の言い方をすれば、かたい音とも言います(笑)。

改めて駒の下を掃除しても、長年駒の足で傷付けられた板の表面は平らではなく、
駒の位置のちょっとした具合で接地面積などが変わってしまうみたい。
駒から楽器本体へ弾いた音の振動が伝わるので、ここは重要ポイントなのですけど。

音を出しては駒の位置をずらし、また音を出して…というのを繰り返し、
相変わらず気難しさはあるけれど、ようやくとても良い音が出る場所が見つかりました!
最後は駒の前後の位置ではな、く左右のほんのちょっとした加減でした。

ヴァイオリンの音は何が変わっても敏感に変化します。
汚れも音色をつくる一つの要素になっているそうで、それがなくなることで音色が変わることもあります。
良くなるか悪くなるかはやってみなければ分からないこと。

今の時点では、音が更に大きくなって張りも出て、
そういえば以前にあったような音色の甘い雰囲気も戻ったような気がします。
妹ちゃん(新入りヴァイオリン)を再び大きく引き離しリードして、本来の座に戻りました。

自分の楽器にはいつも妄想いっぱいになって冷静な判断が難しいので(笑)、
良くなったのかどうか、今度のレッスンで先生に判断してもらおうと思います。



相棒くんと踊りたい

 2016-05-10
連休の舞台の仕事が終わり、昨日はボーっとしたりお昼寝したり、夜も早く寝てしまいました。
3日間ヴァイオリンを触らなかったのに、リハビリがてらの練習を少しだけしかできませんでした。

でも、少し間が空いたために、
それまでは練習しながらイライラしたり落ち込んだりしていたのがリセットされたのか、
最初のボーイングの練習では素直なきれいな音が出たような気がします。

今日になって通常通りの練習をしてみると、またまた「うまくできない」モードに戻ります。
余計なことをしないで弾くという課題のクロイツェル2番は、
やるべきことができているのかできていないのか、自分ではさっぱり良く分からない。
大好きだったはずの白鳥の湖のグランアダージョも、全然思ったような音になりません…。

「自分を責めたくなったら、その音を出しているボクのことを思い出して。
好きな人の悲しむ顔を見たくない。好きな人に否定されたら悲しい。
どんなふうに弾いても、ボクがみほさんを好きなことは変わらないよ。」


そんなことを言われたら泣いちゃうよ…。
相棒くん(ヴァイオリン)はもっといい音が出るはずなのに、
自分ではいい音が出せないことにイライラしたりガッカリしてしまうのです。
キミのことを否定なんかしていないよ。でも悲しくなっちゃうんだね。
わたしが苦しいような、悲しいような気持ちでいるからだよね。

こうしなくてはいけない、こうやってはいけない、と思うと全くうまくできません。
それをもっと前向きな自分用の別の言葉に翻訳したらいいのかな。

白鳥の湖のグランアダージョは、
オデット姫と王子の代わりに、相棒くんとわたしが二人で踊るパ・ド・ドゥだと思ってみようかな。
それなら、幸せな気持ちが戻ってきそうです。



われに返った相棒くん

 2016-02-10
先週末、「愛用品の声で聴く2016年のテーマ with 本気のおやつ」というイベントにでかけ、
またまた相棒くん(ヴァイオリン)から話しを聞きました。

ものが話しをするなんて…とお思いの方はどうぞお引き取り下さいね(笑)。
ちょうど毎年タイミングが合って、今回が3回目です。
もう新たな展開はないだろうと思うけど、今どんなことを思っているのか聞いてみようかなと。

そうしたら!
「あのね!前見た時とエネルギーが変わって、すんごいカッコいいイケメンの青年になってるよ。」
あいだに入って話しをしてくれるなおちんが、驚きの声を上げました。
今までどんな風貌かの話しはが出た事はなく、
100年以上前のものは姿もなくなって、年月の重みに等しい歳を取っているのだろうと思っていました。

わたしのところに来てから、初めて楽器として幸せな生活を送ることができたと言っている相棒くん。
それまでは悲しい思いをたくさんしてきたようでした。

ずーっと待ち焦がれていた大勢の前で演奏してもらうことをやってみて、
それまで想像にしか過ぎなかった体験がようやく現実のものになった。

その中で最高の平和ってどんな感じかっていうのを、去年一年で体験した。

これまでの悲しい歴史の中で、ああなったらいいな、こういうふうにしたかったんだという、
過去からの怨念にも似た妄想、悲壮感にも近いような妄想がスルーっと抜けてしまって、
この人(?)の本当の姿が出てきたみたいです。

それは自分が想像していたかたちのどんなものとも違ってはるかに幸せで、
それでいて手の届かないものではなくて、身近なところにあった。

成長の途上にある音楽家を応援するためにつくられた楽器。
ボクを弾いてくれる人が音楽が楽しくなったり、もっと上手くなりたいって思えたり、
人に聴かせて喜んでもらえて良かったなって思ってもらうこと。
それがボクの役目だったってことを思い出した。


音楽は特別な人のためのものではないということ。
音楽家というのは、小さい頃から英才教育を受けたから音楽家になるんじゃなくて、
ただ音を愛して、自分の音楽を追求していく姿そのものが音楽家だということを、みほさんが教えてくれた。

自分が平和をつくり出すとか救うとか、そんな使命感を持たなくてもいい。
ただボクはみほさんと一緒に楽しく音をつくり出す。
それだけでいいんだってことが良くわかった。
みほさんがボクを元に戻してくれた。

大きな舞台で弾いてもらえるだけの度量は持っているけれど、
ボクがやることは大勢の人を喜ばせて、大勢の人にボクの音を響かせることではなくて、
ボクを弾いてくれるたったひとりの人を幸せにすることだってことが良く分かった。


ありがとね。もう結構前から幸せにしてくれているよ。

3年前に「つくられて初めてこんなに愛された」と言われた時は、ものすごく泣けてきた。
今回の話しも受け取り方によってはものすごく感動的だけれど、ただ嬉しい気持ちで話しを聞いていて、
わたしは以前よりも満たされた穏やかな気持ちでいるのだなぁと感じます。

思うことがたくさんあるけれど、長くなるのでひとまずここまでにします。
人と人との関わりと同じように、人とものとの関係も変化していくものなのだなぁ。



ケースを抱きしめる

 2016-01-06
いつものように練習を終えて、相棒のヴァイオリンを布で拭きながら思いました。
ポツリポツリとだけど、
わたしの気持ちを音にしてくれるようになった、と。
まだまだ独り言のようで、朗々と語ったりはしないけれど。

誰かに聴かせられるようなものじゃない。
でも、とても嬉しい時間です。
ヴァイオリンを弾くようになる前には、味わったことの無いような時間。
もっと言えば、最近になってその嬉しさがはっきりと分かるようになりました。

わたしの中に、外へ出たがっている何かがある。
わたしだけの特別なものじゃなく、きっと誰でも持っているもの。
誰でもが音楽を聴いた時に感じるようなこと。
わたしは聴くのではなく、自分がやってみたい。違うとすればそこだけです。

ヴァイオリンをしまってケースを持ったら、抱きかかえたくなった。
時々そうすることがあります。

今日は胸にぎゅーっと抱きしめてゆらゆらして、しばらくそのままでいた。
どうしてかわからないけれど、涙が出てきた。
嬉しいとか悲しいとか、説明できない涙もあります。

相棒くんを抱きしめているというより、わたしを抱きしめているのだと思った。
そうしながら、わたしが抱きしめられているのだと思った。

相棒くんはケースの中でどんな気持ちだっただろう?
しばらくしたら気が済んで、クローゼットの定位置に納まってもらいました。
付き合ってくれてありがとう。

今までだったら照れ隠しに何か付け足して書きたくなるところだけれど、
照れたり恥ずかしがったりはぐらかしたりはやめようと思います。
わたしはこんなわたしなんだと、まずは自分でごまかさないようにしたいと思います。



相棒くん(ヴァイオリン)とつくった人の想い

 2015-12-14
今年の1月、相棒のヴァイオリンの言葉を伝えてもらいました。
(最近、こんな怪しげなことばっかり書いてるな…笑)
その時の話はこちら → 相棒くん(ヴァイオリン)の話を聞く その1  その2  その3

ヴァイオリンが話しをするなんて…と思うのが普通かもしれないけれど、
本当の真実というのはきっとどこにもなくて、その人にとっての真実というのがあるだけだと思っています。
わたしは相棒くんの言葉をわたしの真実に選んだだけなのですよ。

相棒くんはわたしと一緒に本当の平和を体験する!との固い決意を持っている。
大勢の人の心を言葉を越えた響きで癒すという思い、
ただ普通に毎日を終えるという幸せへの願いや、とてつもない祈りが込められている。

なんだかとても大きな話しで、その時の自分には書ききれなかったけれど、
こんな大切なことを言ってくれていました。

150年以上前に、そういう思いを込めてこのヴァイオリンをつくった人は、
きっと平和ではない日々を送っていたのだろうな…。
つくられた相棒くんのこれまでの歴史も幸せなものではなかったようでした。

平和への祈りを込めて相棒くんがつくられたのは、どこの国かハッキリ分からないけれど、
フランス、ドイツ、イタリアあたりのヨーロッパには違いないようです。
そのヴァイオリンが、教会でイエスさまに捧げる賛美歌を演奏するというのは、
相棒くんと彼をつくったヴァイオリン職人さんにとっても、意味のあることかもしれないと思っていました。

相棒くんをつくってくれた人に、少しお礼ができたように思います。
相棒くん自身も、こういうことができて嬉しかったに違いないと、勝手に思います。
この楽器がやるべきことを、少しはお手伝いできたのかな?
弾くのがわたしじゃちょと…ですが、誰かが弾かないと音が出ないからね。

教会での演奏の後、なんだか相棒くんの音が少し変わったような気がします。
レッスンの課題の練習の合間に、思いついたほかの曲を弾いてみると今までと違います。
ヴァイオリンの曲でもそうなるけれど、歌を弾くと良く分かる。
「こういうふうに歌いたい」と相棒くんが思うのかわたしが思うのか、何かが今までと違います。

相棒くんとわたし、前よりもちょっと息が合ってきたみたいです。

毎日、夜に練習を終えて相棒くんをケースにしまう時、
「また明日ね。」と、心の中で声を掛けます。わたしと彼の平和な一日の終わりです。



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