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バロック時代はどうだったのだろう?

 2019-06-14
昨日はヴァイオリンのレッスンでした。梅雨の晴れ間の一日で助かりました~。肋骨のことはほとんど気にならなくなり、今はまた肩当てをして練習をしています。

レッスンの前に、今月に入ってから放送大学でバロックダンスの授業を受けて感じたことや分かったことなどを先生に報告しました(笑)。バロックダンスについてはたくさん発見や納得することがあり別の記事で書いていたのですが、途中で消えてしまったので挫折しました(苦笑)。

バロックダンスはバロック音楽と深い関係があり、メヌエットやガヴォットやアルマンド・クーラント・サラバンドなどは調べると舞曲と書いてあって、ではそれはどんな踊り?と思っていたのです。全くの初心者相手の授業なのでとても全部の踊りはできませんが、メヌエットやガヴォットは習い、音楽についても知りたかったことが少しだけ分かったような気がします。
分った気がすると言っても、教えてもらったことに沿って自分の中でいろいろと関連付けられるだけで、ヴァイオリンの先生が言うような「実際のところはどうだったのだろうか?」という考察には、自分はまだほど遠いのです。

バロック音楽やヴァイオリンの改良について一般的に言われていることが、果たして本当にそうだったのか?ビデオも録音も無い時代のことで、バロックダンスは当時の文献や舞踏譜を元に復元再現しているそうですが、ん~本当はどうだったのかなぁ…。ヴァイオリンは当時の楽器や弓が今も残っており(ストラディヴァリやグァルネリやその他…)、「そういうものがいろいろなことを教えてくれるのでは?(^^)」とのお話でした。

楽器も弓も、当時求められていた音楽ができるようにつくられているはずで、楽器や弓からそれを知ることができるのではないか?わたしはバロックヴァイオリンの奏法に詳しくありませんが、当時の楽器と弓で、その頃はこういう奏法だったとされている弾き方をしたら良い音が出るはず。実際のところどうなのかはわたしにはわかりませんが、当時の楽器や弓が語ってくれることはたくさんあるのだろうな。

バロックダンスの授業でも音楽やヴァイオリンについて話しがあったけれど、習っているヴァイオリンの先生のお話しの方がわたしには興味深いです。まあ当然と言えば当然です。だからなるべく頑張ってカールフレッシュの音階もやっています(笑)。


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晴れた日のアジサイは色が鮮やか



何度も心の中に湧き上がるもの

 2019-06-06
久しぶりに映画を観ました。バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフについての映画です。


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『ホワイト・クロウ』 公式サイトはこちらです。→ http://white-crow.jp/
映画の内容は、ヌレエフが1961年のパリ公演から亡命に至るまでに、生まれてからそれまでのソ連での出来事も重ねられており、興味深いものでした。

バレエやヴァイオリンは自分にはとても近いもので、だんだん好きかどうかも分からなくなってくる…。そんなことを思いながら映画館へ向かいました。誰かの情熱的な人生に触れると、自分の中で湧き上がってくるものがある。映画の中で流れるヴァイオリンの曲にとても心が動いてしまった。バレエじゃなくて、やっぱりヴァイオリンなんだ…。

帰ってから調べるとYouTubeにありました。(https://youtu.be/vajQJFC5gg0
こういう曲を聴くと、どうしてか分らないけれど平静な気持ちではいられなくなってしまう。何か奥の方から沸き上がるようなものがあって、嬉しいような苦しいような、泣きたいような気持ちになる。

スクリーンの映像とは関係なく、わたしひとりだけ違う世界に行ってしまったような気がしながら、映画館を出てからもしばらくは目がウルウルしたのがなおらなかった。
こんな気持ちに出会ってしまうと、自分のことなのにとてもビックリしてしまう。でも、そういえばこれまでも時々こういうことはあった。その度に「そしてわたしはどうするの?まだ全然やっていない!」と思って頭がクラクラしてしまうのです。

自分の身の回りにある幸せに目を向けて、穏やかにゆっくり楽しく過ごして行くのだなぁ…と思い始めて、実際にだんだんそうなってきていると思っているのに、あんな気持ちを思い出してしまったら、このままではやりのこしてしまうことになる…。

何をどうしたいのか、モヤモヤとした気配はあっても今はうまく書くことができません。でも、何度もやってくるこれは、もうやり過ごしてはいけないということです。どうしたらいいかは、きっと自分が知っているんだ。お願い、教えてください。



肩当て無しも悪くないかも

 2019-05-30
今日は久しぶりのレッスンでした。先回、もともと仕事の都合で1ヶ月空けてあったレッスンをお休みさせていただいたので…。

肩当て無しで弾くことは以前も試したことがあったけれど、弾きにくく感じて本当に少し試しただけ。今回は必要に迫られて始めたことですが、本気でやってみると発見があります。

わたしが肩当てを使わないのに合わせて、先生も「この方が分りやすいですから(^^)」と、肩当を外してレッスンをしてくださいました。恐縮です。以前、左腕を上げるのが難しくなった時に姿勢を変えて弾いたことがあったのですが、その時もわたしの態勢と同じようにしてレッスンをしてくれたこともあります。

肩当て無しのメリットはヴァイオリンの位置を自由に変えられることで、それは自分でも数日間で実感できました。他には、自分の場合は首の力をあまり使わずに済んで、楽です。それから、アゴで深くヴァイオリンを挟める(今使っている肩当てとアゴ当ての都合でいつもは浅めになっている)のでコンパクトにいろいろやり易くなる。

左手はヴァイオリンを支えながら動かすことになり、少し不自由な気がしますが、弦とポジションによってあまり変わらず弾けるところ、むしろやり易くなるところなどあって、不自由とは限らないです。左手が動かしにくい時には難しいかもしれませんが、今はまずまず動きは良いので大丈夫です。

左手のポジション移動は、肩当てをしないことで左手をなるべく指板から離さずに慎重に移動させていることに気が付きました。音程も頭の中でいつも以上に意識して弾かなくてはと思ったら「そんなに悪くありません(^^)」と言ってもらえました。いつもが乱暴な動き&テキトーな狙いだったのだな(苦笑)。

どこかに不具合がある時の方が、普段より慎重になって上手くできることがこれまでも何度かありました。何でもない時には自動操縦的に、雑だったり力でやってしまったりするみたいです。上質な自動操縦ができれば言うことありませんが。

これから少しの間はコンスタントに2週間おきのレッスンです。2週間では練習期間としてはギリギリで頑張らないといけませんが、今回のように空いてしまうのも元気がなくなり煮詰まります…。またチマチマ地道にやります。



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今年はベランダのミニバラにたくさん花が咲いています。毎日眺めて幸せです。



肩当てを伝わる振動が…

 2019-05-28
肋骨を痛めてからもなにくわぬ顔をして、だいたい普段のように過ごす振りをして仕事にも行っていましたが、ヴァイオリンを構える姿勢が痛かったので、しばらく練習を休んでいました。ようやく仕事も一区切りついて、身体も楽になってきたので少しずつ練習もやり始めました。

が、しかし…、構える姿勢は無理なくできるようになったけれど、弾き始めたら肩当てから胸に伝わる振動がダメです。直接骨に振動が伝わって、何でもない時はそれが心地良かったのですが、変な響き方でとても苦痛です。少し考えた後、肩当てなしで弾いてみることにしました。

肩当てなしで弾くと、ヴァイオリンの胴体に触れるのはアゴと首と鎖骨と肩。鎖骨に伝わる振動は大丈夫です。少し肩の部分が滑るので、応急的に滑り止め(100均のフタを開ける薄いウレタンみたいなやつ)を間に挟んだら快適になりました。翌日に家にあった革で滑り止めをつくったら、より良くなりました。

いろいろ万全になるまで変わったことはしないでおとなしくしていた方が良いのだろうけど、いつまでも練習しないわけにもいかないし。肩当てしないと、ヴァイオリンがこれまでよりも左横に、高さも少し上になります。こういう時は楽器も弓も低めに持った方が良いけれど、できなくはないです。で、慣れてくると、あれ?この方が弾きやすい??

いえ、正確に言えば、弾きやすさと弾きにくさ、どちらもあります。でも、この方が身体の自由度が上がるような気がするのと、相棒くん(ヴァイオリン)との親密さが増します。実際に密着度がアップしているから(笑)。もちろんG線、D線のハイポジションは弾きにくい。E線は結構大丈夫。ポジション移動はカールフレッシュではかなり難しく(肩当てしてたって同じように難しい…)、ツィゴイネルワイゼンは思っていたよりもできそうな気がします(気がしているだけかも)。

しばらくこれで弾いていようと思います。今週は予定通りレッスンへ行けそうですが、どの程度まで普通っぽく弾けるようになるかな…?無理せずにチマチマやります。



行き当たりバッタリ歩いたら

 2019-05-22
仕事が忙しかったり、肋骨を折ってしまったり(先週はそのためヴァイオリンのレッスンをお休みしました)、でもいろいろ大体落ち着いてきて、今日は表参道で用事を済ませ、珍しく真っ直ぐ帰らずフラフラ歩いてみる気になりました。普段、わたしはどこへ行っても直行直帰の人で寄り道するのは苦手ですが、お天気が良く気分も良かったので(^^)。

どこへ行くかは決めず、曲がってみたい道、目に入ったものに向かって歩いてみました。あみだクジみたい(笑)。どこに行って何に出会うのかちょっと試してみたかったのです。方向音痴だけど、迷子になっても帰り道はGoogleマップで調べれば良い。

青山墓地を抜けて、住所表示が西麻布になったあたりに花屋さんがあり、胡蝶蘭の株を見つけました。胡蝶蘭、育てたこと無いけれど何かの縁かもと、お店の人に声をかけて一株いただきました。

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その先で何となく角を曲がったら西洋の骨董屋さん?(昼は骨董、夜はバーだそうです)があって、そこでイヤリングを見つけて、しばらく眺めた後に買いました。お店の人はややごつい感じの男の人でしたが、丁寧に包んでくれて可愛い花柄の袋に入れてくれました。

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もうそろそろ帰ろうかと大きな道に出て交差点を渡ったら「←国立新美術館」の看板が。今やっているクリムトの絵のチラシは前から見ていたけれど、「これは行かなくてもいいかな…」となぜか除外していた展覧会です。今日も反対の広尾駅に向かって帰ろうと歩き始めてから、いやいや、あみだクジを全うしなくちゃと思って、行ってみることにしました。

わたしは放送大学の学生で、国立の美術館は特に割安で観られます。企画展の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」、行って良かったです。昨年行ったウイーンは寒くてグレーな印象で、それが思い出されてなんとなく敬遠してしまっていたのかも。

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一番嬉しかったのは、自分がシュテファン寺院の写真を撮った、まさにその場所から描いたルドルフ・フォン・アルトの絵があったこと。他にもシューベルトが使っていた眼鏡(この眼鏡を通して何を見てたのだろう…)、作曲家たちの肖像や彫像、劇場に関する絵、1800年代のドレスや帽子など、わたしの興味のあるものがたくさんありました。一番最後にあったロダン作の「グスタフ・マーラーの肖像」、気難しい顔をしていて「自分の心の内など理解しようとしてもムダだ」と言われた気がした。本当の最後に反対側から右の横顔を見たら、柔らかい表情をしていて、何だか安心した(^^)。

自分で計画して行動しなくても、もしかしたらそうしない方が、自分に必要なものや出来事に出会えるのかも?なんて、ちょっと思ってしまうような午後でした。



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